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閑話091109 [思い出]

しばらく続いていた秋晴れの天気も、今朝は曇天となり、午後の散歩ではパラリとお湿りが
あったが傘を差すほどでもなかった。農園芸愛好者には悪いが散歩愛好者には嬉しかった。
明治5年(1872)の今日は、旧暦から現在の太陽暦への切替を公布した日である。だから
太陽暦採用記念日という。太陽暦と旧暦との換算をしてくれるサイトのURLは以下の通り
 http://koyomi.vis.ne.jp/  何かの折には利用してみては如何?

農作業が主体の生活で、太陽暦に変更する必要性がなかったのだろう。私の父は明治30年代
後半の生まれだったが当時の田舎では相変わらず旧暦で生活していたようで、戸籍の誕生日
も旧暦だったようだ。私がまだ中学くらいの頃に自分の誕生日を、太陽暦では9月9日、即ち
‘重陽の日’だと、自分で宣言していたのを思い出す。その時には素直に「そうか」と安易に
頷いていたが、もしそうだとすると、太陽暦の普及は随分と遅れていたと推定できる。
私の記憶では昭和30年代初めまでは、日常頻繁に「今日は旧暦では何月何日だ」といった
大人の会話を聞いたように思う。昔の人は、自分達で旧暦‐太陽暦換算が出来たのだろう。

考えてみると、父母の時代は、大安、仏滅、友引等、旧暦を参考にして行事を決めたものだ。
仏滅の日に結婚式場が空いている、安い、という理由で若い人達が実行しだして、ちょっと
驚いたのも、既にだいぶ昔の事になる。思えば、“三丁目の夕日”の時代を最後に、日本は
高度成長時代から低成長、少子高齢化の時代を、新幹線さながらに猛スピードで駆け抜けて
きた。昭和34年(1964)開業当時時速200キロだった新幹線は現在では時速300キロになった。
この猛スピードの変化は、新幹線などの乗り物の世界では問題ないかも知れないが、社会の
変化スピードとしては如何なものか?‘友引’に葬式をしないというのは、今でも比較的に
守られているようだ。先日見たミステリーで、‘友引’に犯行を重ねる事から葬儀屋関係者
を追求するという挿話があり、何かホッとするような気がした。

現代は、伝統を軽視してドンドン壊す事が正義のように思われがちだ。それは現代思想を
読み違えて、伝統が人間を無意識のうちに束縛するというイメージが定着しているからでは
ないか?無意識のうちに束縛されることを嫌って、良いも悪いも壊して、果たして人間は
自由になれるのだろうか?自分の問題を自分で考えるのではなく、人の考えに振り回されて
原因を人のせいにしているから、社会を壊し続けることになる。如何なものか。
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