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見舞091116 [大家族]

昨日は何とか天気だったが、今日は朝から一日中雨の上、冬の寒さの冷え込みだ。
今年初めて指なし手袋を着用した。これから厳しい冬に向かう。昨日・今日と病院へ見舞い。
差当たり命には別状ないというのを口実に、少し遅くなってしまった。
80歳を過ぎのご高齢のお二人が、数日を隔てず転倒した弾みに怪我をされた。一人は軽症、
もう一人は骨折の重傷。重傷の方は食欲もなくなっており、若干心配なことである。

親父が、「高齢になって怪我をすると何日も寝込むから足腰が衰え、結局死の床に就く事に
なりかねない。用心の上にも用心せねばならない。」と昔よく言っていたのを思い出した。
昨日見舞ったS氏は軽症とはいえ、何日も入院していたので、多少は衰えたか?と
心配していたが、怪我で寝込んだにもかかわらず、以前よりも元気なくらいだった。
それで、リハビリを兼ねて、院内を散歩もしたりしながら、随分と話も弾んだ。

S氏は寝込んだにもかかわらず、元気なのは何故か?と不思議だったが、話の内容から
どうも‘リハビリ指導の先生’がとても親切で、リハビリを懸命にこなした為だとわかった。
親父の晩年(1970年代後半)では、まだまだリハビリなどは普及していなかったのか?
兎も角、‘リハビリ’と言う訓練・仕組みが、健康回復に大きな力になる事が良くわかった。

S氏の見舞いとは直接関係ないことだが、その病院で高齢者の入院患者さん同志の話し振りを
観察する機会があった。お互い、車椅子を使う不自由な身でありながら、相互の意思疎通が
儘ならず、知らず知らずに相手を傷つけている。場面が場面であるから、一層、傷つける方も
傷つけられる方も、私のような外部のものから見れば、異様な人々のように感じられた。
病院という常ならぬ環境だから、そのようなことがままあるのだろうか?

怪我をしても肉体の健康は‘リハビリ’を遂行するだけの精神力、意志があれば取り戻せる。
しかし精神の健康は目に見えないから、精神的に傷ついても、病状或いは治療の方法と回復の
関係も良く分からず、長い時間をかけて、混迷を続けているのだろう。
昨日・一昨日のブログで述べた「人生の完成」、「大団円へのシナリオ作成」等という事は、
肉体的、および精神的な健康・不健康の混迷の自分史を含めて、自分なりに、めでたく治まる
ように総括をすることなのである。難しい事かも知れないが、如何なものか。
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