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維新の危険性 [物語]

今日は立冬、小春日和というには早過ぎるかもしれないが暖かくて過ごしやすい。
このところ、知人の母親が百一歳のご長寿を全うした訃報に相次いで接したが、フランスの
有名な人類学者・レヴィ=ストロース氏の訃報を知った。百一歳目前の逝去だった。
私のような鈍才には、彼の高邁な学問とその業績を到底理解できない。数多くある彼の著作
の中で、私が継続的に愛読しているのは、「構造・神話・労働」くらいのものだ。

彼(の書物)から学んだ事は、彼は人間主体が機能する‘知的メカニズム’の構造を研究し
それが人類共通のものであることを明らかにするために、研究を重ねたということである。
これは、人間の‘知的メカニズム’は、文化や文明の相違によって優劣はないということ。
人間の‘知的メカニズム’は、社会との共存・共生のために既存の社会に順応していくから
個々の人間の相互作用によって、様々に異なる文化・文明が生成されるというわけである。
組織や地域や民族の文化は、構成する人々が異なることによって多様化し変化するのだろう。

日本はいま、またまた非常に困難な状況に立ち至っている。今日の新聞にも「日本の洗濯」
という坂本龍馬の言葉が使われて、いまの閉塞感を払拭することが正しい事としている。
レヴィ=ストロースは、「構造・神話・労働」の中で、“スリッパの弁証法”という戯れの
名前をつけて、日本人の気配りの過剰さを面白おかしく指摘している。
日本人は、洗濯はやればやる程いい事だ、気配りはやればやる程いい事だと思っている?

いまの閉塞感を払拭する手段が、明治維新のような「日本の洗濯」で本当にいいのだろうか?
日本という地域・国家の価値観は、構成する国民一人一人の‘知的メカニズム’の働きにより
決まってくる。維新といえば日本人は美化された明治維新を思い出して喜ぶ。しかし
「昭和維新実現」を叫んで5.15事件(昭和7年)、2.26事件(昭和11年)が起こされた。あの
血なまぐさい戦争に、‘維新’とう美名で突き進んだことを皆は忘れているのだろうか?

個人の‘知的メカニズム’の構造に変りはなくとも、その活用によって醸成された“強欲”は
大きな慣性を帯びて一旦走り出すと簡単に止めることはできなくなる。鳩山内閣は、憲法の
改正、自衛軍の保持、集団的自衛権の保持も、視野に入れている。 ‘知的メカニズム’の
活用には優れているかも知れないが、頭デッカチお坊ちゃん宰相の思惑通りに行かないのが
世の中。思惑が外れたことに気付いたときでは遅すぎるのでは? 如何なものか。
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