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続・スタンドプレー? [社会]

今朝も午前中は晴れて相当に冷え込んだ。今年初めて暖房を入れて仕事をした。
午後の散歩は、時間の都合で大部分(約1時間)をスロージョギングで賄った。
スロージョギングは、歩数増産に欠かせない手法である。若干心臓に負担が掛かる様なので
2009.08.25以来一旦休止していたが、ついに再開か?先日、心筋梗塞で大変な目に会った
ご本人の話を聞いて、ビビッており、まだ決断には至っていない。しかし一週間7万歩という
目標達成の為には背に腹は換えられぬので、今日はとりあえずのスロージョギングだった。
約1時間のスロージョギングであったが、去年の秋から始めた筋肉トレーニングの効果か
筋肉的には楽に走れた。心臓の問題は、繰り返し実施しないとよくわからない。

さて事業仕分けの第一弾が昨日終わり、「5日間で総額千5百億円の予算廃止と7千2百億円の
埋蔵金カットで、約1兆円規模の財源を確保できる」、と新聞に書かれていた。
しかし2009.11.13のブログ「スタンドプレー?」で書いたごとく、2日間で予算廃止が700億
埋蔵金カットが6千億の実績が出ていたので、その後の3日間の上積みは1/3に満たない。
第一弾と書くと、第何弾まで?と思うが、前半戦、後半戦しかない。埋蔵金カットを入れても
当初目標・3兆円削減は、‘夢のまた夢’?しかし民主党政治は中身のない見せ掛けの主張が
お好きなようだ?またそれを盛り上げるマスコミも “スタンドプレー” がお好きなようで
民衆が期待するような書き方を選択している。さすがに文章のプロ。実に巧妙な書き方だ。

政権交代によって、水戸黄門の印籠=マニフェスト、お奉行による白洲の裁き=事業仕分けという
大時代な道具立ても早、色あせた。マニフェストの公約実施のための初年度必要額7.1兆円の
圧縮を言い始めた鳩山首相は、‘事業仕分け’前半戦の結果をみて言い出したのは明らか。
選挙戦の中で、自民党を始め多くの人々が指摘していたが、党派的猜疑心だけは旺盛なのか
未熟な民主党関係者の言葉しか信じないという狭量で暗愚な首相?を頂いたものである。

この‘事業仕分け’の結果には多くの疑問があるが、私の身近な体験から問題のあるものを
1つだけ取り上げた。「介護予防事業:201億円」 の見直しは、私のいう 「人生の完成」、
ボケ防止等、前向きに生きるための財源であると共に、医療費その他、後向き費用の削減に
繋がる。筋肉トレーニングの効果が分からぬ?リハビリの効果に関しては昨日のブログにも
書いた。私個人の実践も効果証明だ。実に不勉強な「頭でっかち」仕分け人?如何なものか。
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見舞091116 [大家族]

昨日は何とか天気だったが、今日は朝から一日中雨の上、冬の寒さの冷え込みだ。
今年初めて指なし手袋を着用した。これから厳しい冬に向かう。昨日・今日と病院へ見舞い。
差当たり命には別状ないというのを口実に、少し遅くなってしまった。
80歳を過ぎのご高齢のお二人が、数日を隔てず転倒した弾みに怪我をされた。一人は軽症、
もう一人は骨折の重傷。重傷の方は食欲もなくなっており、若干心配なことである。

親父が、「高齢になって怪我をすると何日も寝込むから足腰が衰え、結局死の床に就く事に
なりかねない。用心の上にも用心せねばならない。」と昔よく言っていたのを思い出した。
昨日見舞ったS氏は軽症とはいえ、何日も入院していたので、多少は衰えたか?と
心配していたが、怪我で寝込んだにもかかわらず、以前よりも元気なくらいだった。
それで、リハビリを兼ねて、院内を散歩もしたりしながら、随分と話も弾んだ。

S氏は寝込んだにもかかわらず、元気なのは何故か?と不思議だったが、話の内容から
どうも‘リハビリ指導の先生’がとても親切で、リハビリを懸命にこなした為だとわかった。
親父の晩年(1970年代後半)では、まだまだリハビリなどは普及していなかったのか?
兎も角、‘リハビリ’と言う訓練・仕組みが、健康回復に大きな力になる事が良くわかった。

S氏の見舞いとは直接関係ないことだが、その病院で高齢者の入院患者さん同志の話し振りを
観察する機会があった。お互い、車椅子を使う不自由な身でありながら、相互の意思疎通が
儘ならず、知らず知らずに相手を傷つけている。場面が場面であるから、一層、傷つける方も
傷つけられる方も、私のような外部のものから見れば、異様な人々のように感じられた。
病院という常ならぬ環境だから、そのようなことがままあるのだろうか?

怪我をしても肉体の健康は‘リハビリ’を遂行するだけの精神力、意志があれば取り戻せる。
しかし精神の健康は目に見えないから、精神的に傷ついても、病状或いは治療の方法と回復の
関係も良く分からず、長い時間をかけて、混迷を続けているのだろう。
昨日・一昨日のブログで述べた「人生の完成」、「大団円へのシナリオ作成」等という事は、
肉体的、および精神的な健康・不健康の混迷の自分史を含めて、自分なりに、めでたく治まる
ように総括をすることなのである。難しい事かも知れないが、如何なものか。
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人生の完成?・続 [社会]

昨日のブログで、古代インドにおけるライフサイクル「四住期」の‘遊行期’について書いた。
私は、そのような‘遊行期’を考えるために、四国遍路を取り上げた。四国遍路について、
空海の悟りと四国遍路との関係、そして四国遍路の各地への伝播と言う現象を踏まえた上で
‘遊行期’が人生を完成させる時期、人生の完成への祈りの時期ではないか?と考えた。
しかし、「人生の完成」とは何か?「人生の完成への祈り」とは何か?の説明はしなかった。

今日は、「人生の完成」、「人生の完成への祈り」とは何か?について考えてみたいと思う。
‘遊行期’とは、四季でいえば‘冬’に当り、「死」を恐れながら暮らす暗いイメージがある。
しかし文章の展開でいえば、‘起承転結’の‘結’即ち締め括り、完結偏・大団円に相当する。
すべての人々には、生れてから今日まで様々な出来事がある。しかし何時かは「死」によって
人生の終結の時は来る。ならば‘遊行期’は、人生の完成、即ち、いろんな人生の山谷を超え
てきた自己の人生を、めでたくおさまる大団円にまとめる時期にすれば心は休まるのでは?
すべてが、めでたくおさまる大団円の場面を想像するだけで、胸がわくわくするではないか!

四国遍路(そして各地の遍路)は、正にそういった人々の‘シナリオ作成’の場であり、また
それの完成を祈る場であったのではなかろうか?四国遍路とかかわりのある‘遊行期’以外の
人々もまた、自らの未来への希望のために、お遍路さんを支えたのではないか?
四国遍路という知恵は、人生の挫折や失敗にめげず、積極的に生きる大衆の願いを受け止め、
それぞれの人々の人生が、めでたくおさまるための場を提供し、支えたのだと思う。

現代は‘遊行期’において、めでたくおさまる事は、極少ないエリートのみの特権か、または
一般的にはまやかし的いかがわしさを伴う宗教的な‘悟り’によってのみ可能であるものと
考えられているように思う。このような考え方が、酒や麻薬におぼれる傾向を増長している?
此処では ‘遊行期’における人々がめでたくおさまるための場の提供や支援の仕組みとして
四国遍路のみを取り上げたが、昔にはもっと様々な仕組みがあったことだろうと想像する。
現代日本は、福祉でも医療でもすべて金で解決しようとする。今までは老人を薬漬や介護漬に
して金儲けのタネにしていたが、最早、財政が破綻する段階では方向転換せざるを得ない。
これからは老人自らが「めでたくおさまる大団円」の祈りで、金がなくても身体が不自由でも
不服を言わず前向きな‘豊かな心’を持つ仕組みづくりが、より大切だろう。如何なものか。
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人生の完成? [思い出]

前に、五木寛之の「林住期」を読んでブログ (2008.03.19-20) に書いたことがある。
インドで生み出されたライフサイクルの四住期 (学住期・家住期・林住期・遊行期) で
‘遊行期’に関しては、その時には単に人生の終末期という程度にしか考えていなかった。
ところが年のセイか最近、親父の最も尊敬していた空海(弘法大師)のことを思い出し、
親父が晩年親しんだ四国遍路との関連から、‘遊行期’について少し思うところがあった。

空海は、宝亀5年(774)讃岐の現在の香川県多度郡・屏風が浦に生まれ、835(承和2年)
高野山にて入定した。62年の生涯である。804(延暦23年)最澄らと入唐、最澄は1年後、
空海は2年後に帰国した。当時、留学期間は20年間と定められていたという。1,2年で帰国
する事は違法であり罰せられても仕方なかったというが、学習成果を説得できればよかった
らしい。最澄も空海も有り余る才能でその関門を通過し、以後仏教界の重鎮として活躍した。

四国遍路は空海の悟りを開いた修行の道と言う事になっている。そのような期間が何時頃に
あったのか?司馬遼太郎の「空海の風景」によると、空海の生涯は当時の同時代資料で相当
詳しく知る事ができるという。だが31歳で留学するまでの7年間だけが空白に近いとのことだ。
空海も、その時期に、阿波の大滝嶽、土佐室戸崎で修行したことについて言い残していると
いうことだが、四国遍路のような広範囲の修行をしたかどうか?明らかではない。

空海の事跡から四国遍路をたどると、それは青春期の‘学住期’における活動であった。
現代では年齢に関係なく、若い人でも人生に迷いを感じた時に、四国遍路に詣でるという。
現代的四国遍路は、直接的には、 ‘遊行期’と結びつかないように思われる。
しかし四国が発祥の八十八箇所巡りという遍路旅は四国だけでなくこの岡山の至る所に在る。
恐らく瀬戸内海の島々には遍く、八十八箇所巡りがあり、老人達が巡っていた事が偲ばれる
のである。この“八十八箇所巡り”の普及は、単なる流行の域を超えて人間のライフサイクルと
密接な関係があったからではないだろうか?空海の時代と現代との千数百年の時空に育った
四国遍路は空海の教えを現世において実現するために始められたのだろう。修験者のような
専門家を育てるのではなく、庶民のライフサイクルにおける‘遊行期’即ち人生を完結させるに
相応しい活動として育まれてきたのではないだろうか?“八十八箇所巡り”や“遍路の旅”は
長い歴史の積重ね、膨大な数の人々の知恵と努力による協力の賜物である。その根底には
人々の人々による人々のための 「人生の完成への祈り」 があったのだろう。如何なものか。
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スタンドプレー? [社会]

米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)の社説は、米軍普天間飛行場の移設問題に
ついて鳩山由紀夫首相を批判し、米軍再編計画全体が「鳩山首相のスタンドプレーで危うく
なっている」と指摘したという(asahi.com情報)。私は昨日のブログでは、普天間基地問題
をスタンドプレーではなく、憲法改正、正規軍編成というストーリーとして描いてみた。
しかし言われてみれば、鳩山政権の断末魔的様相の‘スタンドプレー’と考えられなくもない。
マニフェストが悉く化けの皮がはがれ、派手な‘事業仕分け’パフォーマンスも、中身がなく
国民を目くらませる手立ても、政権奪取後2ヶ月でことごとく尽きてきているからである。

マニフェストの「子ども手当」は既に破綻している。初年度:2.7兆円、次年度以降は何と
5.3兆円の巨額を食いつぶす穀つぶし政策である。この巨額な予算額を庶民は実感できない。
しかし例えば、「八ッ場ダム」の予算、‘事業仕分け’で明らかになっている予算削減効果
と比較すれば、その破綻状況は一目瞭然である。

例えば今晒し者になっている「八ッ場ダム」の予算は、膨れ上がった金額で4千6百億円。
1986年(昭和61年)計画、2015年(平成27年)完成というから30年間、従って年当り予算は
154億、「子ども手当」5.3兆円の1/345である。また、現在、‘事業仕分け’で、派手な
パフォーマンスをして95兆円の予算削減をしているが、初日がたった700億、二日目が
埋蔵金と大騒ぎして、独立行政法人の基金返納金額が、6千億円。埋蔵金は選挙のときに
自民党も言っていたが一過性のもの。毎年の5.3兆円の財源などはあろうはずがない。
「子ども手当」を目玉とするマニフェストが、‘スタンドプレー’でなくて何なのか?

‘事業仕分け’を情報公開でやるのも良いが、ニュースで見た限りでは、鳩山政権の
‘スタンドプレー’? いかにも予算を厳しく査定しているように見えるから、深く追求する
暇もない現役で働いている民衆は、鳩山政権は、良くやっている!と思うかもしれない。
しかし、前述したごとく、「子ども手当」5.3兆円や、膨れ上がった来年度予算95兆円強に
比べたら、箸にも棒にも掛からない成果である。‘スタンドプレー’も良いところである。
仕分け人とやらに質問されている担当者は、まるで江戸時代の奉行所の白洲に座らされた
罪人のごとき扱いを受けていた。これは人権問題ではないか?とさえ思わせる。いくら憎い
役人共とはいえ、対等の立場、国民の目線で優先順位、価値観の違いを議論していくべき?
‘スタンドプレー’は実を伴わぬ見せ掛けのアピールの事。鳩山政権危うし!如何なものか。
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憲法改正? [物語]

雨は夜半に止んだようだが今朝は結構冷え込んだ。午後から少し薄日が差し、散歩には
悪くない日和だった。最初は風の冷たさで寒かったが、約1時間半、丁度身体が温まった。

昨日のブログ“自分の問題?”に、「全人類に普遍的に通用する共通の理想的な道」はない
のではないか?と書いた。その件で、それを否定的に捉えて「普遍的な秩序」があると言う
コメントを頂いた。そこで私はコメントに対して、少し議論がすれ違っているのではないか?
という書き込みをした。詳しくは、コメントを参照されたい。
後で気付いたのであるが、‘普遍的秩序’が、1つではなく、複数でしかも相当多数ならば
私の書いた、‘それぞれの理想的な道’という考え方とも類似的な側面があるように思う。

さて、鳩山政権に関する批判であるが、鳩山友愛政治の本丸に関することである。
鳩山友愛政治の本丸は、1)自主憲法制定、2)北方領土問題解決、3)アジア共通通貨
という、当面のマニフェストとは縁もゆかりもなさそうなものばかりだということである。
今民主党の甘言に乗せられて自分達の目先の欲に釣られていると、何処に連れて
行かれるか分かったものではないということを、十分に理解しておく必要がある。

普天間基地問題も、そういった観点から考えると、日本の軍備を正当化する憲法改正への
道を、アメリカに認めさせるための序曲とも考えられるのである。
アメリカの軍事基地がなくなって、日本軍(今の自衛隊とは異質な)の基地ならば、日本の
兵隊さんなら、言葉も通じるし、気心も分かるから、国民は戦前同様に喜ぶかもしれない。
しかし張子の虎ではない。日本を守る“日本軍”となれば、その権力は想像も出来ない。
今のように、善良な国民の認識レベルでは、文民統制など絵に描いた餅でしかない?

官僚支配の打破、天下り官僚根絶などと耳触りの良い言葉を吐きながら、自分達の都合で
平気で官僚を民営化すべし、と決めた企業に送り込む。そのような言う事とする事が違う
口舌の徒が、国民の議論を疎かにして、苦悩する沖縄住民を楯に取り、普天間基地問題で
突破口を開こうとしているのではないか?
小泉政権は、良かれ悪しかれ、本丸を全面に押し出した正々堂々の正直政治だった。
鳩山政権は、衣の下に鎧を隠した、恐ろしい「独裁政治」ではないか?如何なものか。
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自分の問題? [希望]

昨日、雨散歩で幼い頃を追憶して、消し去られていた‘記憶’を取り戻した。そして自分の
‘我儘’さ加減も再認識した。されど「我の在るが儘」は“生きる源泉”? と結んだ。
私は、人が生きる原点は、“自己の肯定”だと思っている。自分の存在に自信が持てなく
なった時に、周りの環境と自己とが対立するような時に、“在るが儘”の自分を自分で肯定し
そして肯定した自分に自信を持って、周囲と調整しなければ、生きていけないだろう。

或る雑誌記事を読んでいたら、若者達の悩みの中で大きな割合を占めているのは、“世間への
適応に対する不安”だと書いていた。自分が世間に受け入れられる様に自分を変えなければ
ならぬと思い込んでいるというのである。そしてそのために自分がどういう人間になるべきか
分からなくて、思春期には荒れ狂うのだという。私の薄れた記憶を辿ってみても思春期に荒れ
た状況や理由など良く思い出せないが、最近の若者と大して変らなかったのではなかろうか?

その雑誌記事の結論めいた結びは、社会は、個人に合わせて自らを変えていくべきであると
いうことだった。私は、この論旨に反対するものではない。ただ私の付け加えたい事は、
社会が、全ての個人に合わせて自らを変えるような、そんな理想的な道は無いのではないか?
ということである。現代思想に至る道筋を辿ってみれば、比較的明確な事のように思える。
西欧的知性が歴史的正統性を持つとする考え方が妥当性を失い、マルクス主義を最後として
世界や全人類に普遍的に通用する共通の理想的な道等は幻想に過ぎなくなったのではないか?
理想的な道があるとすれば、それは、その個人や組織、地域や社会の歴史的な背景を考慮した
個人や組織、地域や社会のそれぞれの道でしかないのではないか?

だから或る地域や社会が、自分達の地域や社会の成り立ちを考察し、それらがその構成員で
ある家族や組織、或いは個人に合わせて自らを変えるという行動をとる事は可能だろう。
しかしだからと言って、家族や組織、或いは個人の全てに合わせることは難しい?また、
家族をとっても、家族全員に合わせて家族の運営を行うといっても、家族全てに合わせる事は
難しい?結局、個人とそれを取巻く家族や、組織や地域・社会との相互の対話、気配り等に
より相互に調整していかざるを得ないだろう。この調整に個人が積極的に関わるという意味で
周囲との相互調整を他人に任せないで、“自分の問題”として取組むべきだ!と私は言いたい。
“自分の問題”として周囲と相互調製する中で、 “在るが儘”の自分を磨くと共に、社会を
鍛えてゆく。それが社会と個人の相互変容である。如何なものか。
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追憶091110 [思い出]

散歩前、素振りをして、ゴルフクラブを家の中に置きに入った間に、雨が降り出してきた。
今日は「技能の日」。昭和45年(1970)に技能五輪国際大会(国際職業訓練競技大会)が
日本で初めて開催された時の開会式が11月10日。それを記念して「技能の日」となった。
雨の中、傘差し散歩をしながら、何故か遠い昔のことを追想していた。私の人生など実に
心もとないもので、大河に浮かぶ一片の木ノ葉のように、当てどもなく流されてきたと思う。
小学生の頃には将来の事など何も定まっておらず、大学はおろか高校に進学できるかどうかも
私には何の目途もなかった。家族を始め周囲の仔細な観察で読めたかもしれないが、私には
そんな才覚もなかった。身体が弱かった私は、親から常に、「身体さえ丈夫だったら、土方
でも何でもして生きていくことができる」、と健康であるようにと激励され続けた。

小学校の卒業の時に優等賞をもらったが親から喜ばれた覚えがない。それかあらぬかわから
ないが、何時の頃からか私は親から「勉強しろ」と言われたことがないと思い込んでいた。
しかし今日、私が独楽回しに熱中していた頃に、母親が、「独楽回しに熱中する位、何々を
すればねぇ!」、と慨嘆したことを思い出した。‘何々’は勉強だったのか?それとも何か
手に職を持てるような何かの“技能”だったのかは分からない。そしてついに思い出した。
上述の「身体さえ丈夫だったら、・・・・云々」の後に続く言葉を。

それは、「お前は身体が頑丈じゃないから、頭で稼がなければならない。」というフレーズ。
随分と長い間忘れてしまっていたのは、覚えておきたくない私なりのトラウマが在ったのか?
今思えば、親の期待は、小学校の優等賞など問題にならないような高度なレベルだったのでは
ないかと気付いたのだ。何せ8歳年上の姉は、中・高・大学一貫の私立学校で、卒業式の送辞
・答辞を卒業まで通したという人だから、弟の私に相当以上の期待がかかって当然だった。

私は小さい頃から身体が弱く、親が甘やかせたから我儘な人間になった、と言われてきた。
“三つ子の魂、百まで”という諺もある。私は周囲への気配りも疎かにして、多くの人々に
迷惑をかけて生きてきたし、今でも皆に迷惑をかけながら生きている。それを思う時には
痛恨の極みで、生きていくのが苦しくなる。しかし私は‘我儘’な性格だから、すぐに忘れ
また明るい気持で生きていこう、天に任せて流されていこうと思う。‘我儘’とは、私には
「我の在るが儘」、それは全ての人に当てはまる“生きる源泉”? 如何なものか。
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閑話091109 [思い出]

しばらく続いていた秋晴れの天気も、今朝は曇天となり、午後の散歩ではパラリとお湿りが
あったが傘を差すほどでもなかった。農園芸愛好者には悪いが散歩愛好者には嬉しかった。
明治5年(1872)の今日は、旧暦から現在の太陽暦への切替を公布した日である。だから
太陽暦採用記念日という。太陽暦と旧暦との換算をしてくれるサイトのURLは以下の通り
 http://koyomi.vis.ne.jp/  何かの折には利用してみては如何?

農作業が主体の生活で、太陽暦に変更する必要性がなかったのだろう。私の父は明治30年代
後半の生まれだったが当時の田舎では相変わらず旧暦で生活していたようで、戸籍の誕生日
も旧暦だったようだ。私がまだ中学くらいの頃に自分の誕生日を、太陽暦では9月9日、即ち
‘重陽の日’だと、自分で宣言していたのを思い出す。その時には素直に「そうか」と安易に
頷いていたが、もしそうだとすると、太陽暦の普及は随分と遅れていたと推定できる。
私の記憶では昭和30年代初めまでは、日常頻繁に「今日は旧暦では何月何日だ」といった
大人の会話を聞いたように思う。昔の人は、自分達で旧暦‐太陽暦換算が出来たのだろう。

考えてみると、父母の時代は、大安、仏滅、友引等、旧暦を参考にして行事を決めたものだ。
仏滅の日に結婚式場が空いている、安い、という理由で若い人達が実行しだして、ちょっと
驚いたのも、既にだいぶ昔の事になる。思えば、“三丁目の夕日”の時代を最後に、日本は
高度成長時代から低成長、少子高齢化の時代を、新幹線さながらに猛スピードで駆け抜けて
きた。昭和34年(1964)開業当時時速200キロだった新幹線は現在では時速300キロになった。
この猛スピードの変化は、新幹線などの乗り物の世界では問題ないかも知れないが、社会の
変化スピードとしては如何なものか?‘友引’に葬式をしないというのは、今でも比較的に
守られているようだ。先日見たミステリーで、‘友引’に犯行を重ねる事から葬儀屋関係者
を追求するという挿話があり、何かホッとするような気がした。

現代は、伝統を軽視してドンドン壊す事が正義のように思われがちだ。それは現代思想を
読み違えて、伝統が人間を無意識のうちに束縛するというイメージが定着しているからでは
ないか?無意識のうちに束縛されることを嫌って、良いも悪いも壊して、果たして人間は
自由になれるのだろうか?自分の問題を自分で考えるのではなく、人の考えに振り回されて
原因を人のせいにしているから、社会を壊し続けることになる。如何なものか。
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維新の危険性 [物語]

今日は立冬、小春日和というには早過ぎるかもしれないが暖かくて過ごしやすい。
このところ、知人の母親が百一歳のご長寿を全うした訃報に相次いで接したが、フランスの
有名な人類学者・レヴィ=ストロース氏の訃報を知った。百一歳目前の逝去だった。
私のような鈍才には、彼の高邁な学問とその業績を到底理解できない。数多くある彼の著作
の中で、私が継続的に愛読しているのは、「構造・神話・労働」くらいのものだ。

彼(の書物)から学んだ事は、彼は人間主体が機能する‘知的メカニズム’の構造を研究し
それが人類共通のものであることを明らかにするために、研究を重ねたということである。
これは、人間の‘知的メカニズム’は、文化や文明の相違によって優劣はないということ。
人間の‘知的メカニズム’は、社会との共存・共生のために既存の社会に順応していくから
個々の人間の相互作用によって、様々に異なる文化・文明が生成されるというわけである。
組織や地域や民族の文化は、構成する人々が異なることによって多様化し変化するのだろう。

日本はいま、またまた非常に困難な状況に立ち至っている。今日の新聞にも「日本の洗濯」
という坂本龍馬の言葉が使われて、いまの閉塞感を払拭することが正しい事としている。
レヴィ=ストロースは、「構造・神話・労働」の中で、“スリッパの弁証法”という戯れの
名前をつけて、日本人の気配りの過剰さを面白おかしく指摘している。
日本人は、洗濯はやればやる程いい事だ、気配りはやればやる程いい事だと思っている?

いまの閉塞感を払拭する手段が、明治維新のような「日本の洗濯」で本当にいいのだろうか?
日本という地域・国家の価値観は、構成する国民一人一人の‘知的メカニズム’の働きにより
決まってくる。維新といえば日本人は美化された明治維新を思い出して喜ぶ。しかし
「昭和維新実現」を叫んで5.15事件(昭和7年)、2.26事件(昭和11年)が起こされた。あの
血なまぐさい戦争に、‘維新’とう美名で突き進んだことを皆は忘れているのだろうか?

個人の‘知的メカニズム’の構造に変りはなくとも、その活用によって醸成された“強欲”は
大きな慣性を帯びて一旦走り出すと簡単に止めることはできなくなる。鳩山内閣は、憲法の
改正、自衛軍の保持、集団的自衛権の保持も、視野に入れている。 ‘知的メカニズム’の
活用には優れているかも知れないが、頭デッカチお坊ちゃん宰相の思惑通りに行かないのが
世の中。思惑が外れたことに気付いたときでは遅すぎるのでは? 如何なものか。
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