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コペルニクス的転回? [物語]

日本的たこ壷型社会ということを考えてきて、行き着いた一つの着地点が日本中心主義(天動説)
という心のあり方、生き方、社会のあり方である。
私の大大大・・・・先生の福沢諭吉は、「文明論の概略」で、西洋文明を動的安定社会と喝破した。
即ち多様な価値観が競い合うところに生れてくる“安定”のある社会だ。法律も絶対的に正しい等
と考えない。だから憲法改正も頻繁に行われる。それでいてダイナミックな安定感がある(安定感
を維持する)というのが西洋文明社会である。仏教の‘無常(変化せざるものなし)’という概念が
動的安定社会という概念と妙に一致するのが面白い。

日本は島国で比較的外敵が少ない平和な地域、適度な外来文化による刺激と共に、地震や噴火
台風や洪水という災害などと戦う環境条件から、高度な日本的文明社会を形成してきた。
様々な経緯を経て鎖国政策を採用した。鎖国当時、日本は中華思想を見習い、社会を日本中心
主義、即ち日本を中心に社会は動くと考えた。地動説ではなく、天動説である。様々な工夫を
凝らして、社会の変化速度を日本人を基準に制御しようと試みた。この日本中心主義志向は、
260年の長期平和という成功を収めた。

そして明治維新と繋がるが、この激動を日本人は、天動説から地動説へのコペルニクス的転回と
して理解していただろうか?「富国(動的安定社会)→強兵」という計画のはずが、「強兵→弱国
(静的混乱社会)」という結末になったことを考えると、天動説から地動説へのコペルニクス的転回
を承知していたとはとても思えないのである。「富国=強兵」程度の認識しかなかったのでは?
そして戦後60余年経過した現在で相変らず日本中心主義(天動説)でしかない?

ご承知のごとく、“憲法”という概念は、動的安定社会である西洋文明の「要」に当たる。“憲法”が
なければ、只の混乱不安定社会だろう。然るに、西洋社会では“憲法”をイとも簡単に改正する。
これが‘動的安定社会’の極意であり特徴だ。ところが、明治憲法は“不磨の大典”と偶像視され
一度も改正されなかった。そして、戦後民主主義日本の憲法もいまだかつて一度も改正されて
いない。勿論“憲法”改正すればコペルニクス的転回が出来るのではない。
日本人が、“静的安定社会”と“動的安定社会”の違いを認識して、日本という国が、どのように
対処すべきかの基本認識を打ち立てる事こそ大切である。しかし日本の‘静的安定社会志向’
という伝統に由来する「政治音痴」、「軍事常識の欠如」、そして「抽象的思考の欠如」などが、
国民的議論を阻害し、危うい政治家による跳梁を許す事になる? 如何なものか。
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