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追憶091110 [思い出]

散歩前、素振りをして、ゴルフクラブを家の中に置きに入った間に、雨が降り出してきた。
今日は「技能の日」。昭和45年(1970)に技能五輪国際大会(国際職業訓練競技大会)が
日本で初めて開催された時の開会式が11月10日。それを記念して「技能の日」となった。
雨の中、傘差し散歩をしながら、何故か遠い昔のことを追想していた。私の人生など実に
心もとないもので、大河に浮かぶ一片の木ノ葉のように、当てどもなく流されてきたと思う。
小学生の頃には将来の事など何も定まっておらず、大学はおろか高校に進学できるかどうかも
私には何の目途もなかった。家族を始め周囲の仔細な観察で読めたかもしれないが、私には
そんな才覚もなかった。身体が弱かった私は、親から常に、「身体さえ丈夫だったら、土方
でも何でもして生きていくことができる」、と健康であるようにと激励され続けた。

小学校の卒業の時に優等賞をもらったが親から喜ばれた覚えがない。それかあらぬかわから
ないが、何時の頃からか私は親から「勉強しろ」と言われたことがないと思い込んでいた。
しかし今日、私が独楽回しに熱中していた頃に、母親が、「独楽回しに熱中する位、何々を
すればねぇ!」、と慨嘆したことを思い出した。‘何々’は勉強だったのか?それとも何か
手に職を持てるような何かの“技能”だったのかは分からない。そしてついに思い出した。
上述の「身体さえ丈夫だったら、・・・・云々」の後に続く言葉を。

それは、「お前は身体が頑丈じゃないから、頭で稼がなければならない。」というフレーズ。
随分と長い間忘れてしまっていたのは、覚えておきたくない私なりのトラウマが在ったのか?
今思えば、親の期待は、小学校の優等賞など問題にならないような高度なレベルだったのでは
ないかと気付いたのだ。何せ8歳年上の姉は、中・高・大学一貫の私立学校で、卒業式の送辞
・答辞を卒業まで通したという人だから、弟の私に相当以上の期待がかかって当然だった。

私は小さい頃から身体が弱く、親が甘やかせたから我儘な人間になった、と言われてきた。
“三つ子の魂、百まで”という諺もある。私は周囲への気配りも疎かにして、多くの人々に
迷惑をかけて生きてきたし、今でも皆に迷惑をかけながら生きている。それを思う時には
痛恨の極みで、生きていくのが苦しくなる。しかし私は‘我儘’な性格だから、すぐに忘れ
また明るい気持で生きていこう、天に任せて流されていこうと思う。‘我儘’とは、私には
「我の在るが儘」、それは全ての人に当てはまる“生きる源泉”? 如何なものか。
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