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角界と政界 [社会]

朝青龍は行動に問題があったかも知れないが、とうとう引退させられた。各論はさておき
大きな時の流れのなかで省みると、 “日本的たこ壷型社会”の悪い体質が見え隠れする。
‘50,60洟垂れ小僧’等とうそぶく長寿社会日本では、彼はまだ若干29歳。ヨチヨチ歩きの
赤ン坊の様なもの。それをいい年の人々が、寄ってたかってイジメている構図に見える?

内館牧子は、「その国とその業界、その仕事に対して敬意を払うことを忘れないで欲しい」
と言ったそうだ。そういう彼女はモンゴルやその文化に敬意を払ったのだろうか?
15歳の少年時代から親元を離れ高校卒業後、角界に入り頑張ってきた出稼ぎ青年に敬意を
払っていたのか? 敬意とは一方通行では無い。異文化コミュニケーションもままならず?いつも
自分は相撲に精通した立派な日本人として上から目線でモノを言っていたのではないか?
日本には、「出る杭は打たれる」という処世術としての警告がある。元横綱・曙も「角界での
地位が上がる度に、様々な注文が付き、訳が分からず凄いプレッシャだった。」と語っていた。
たこ壷型社会では、若くて覇気のある人間は生き辛かろう。朝青龍は、“出る杭”として
叩かれ、ストレスの発散で少しやりすぎた?それでも社会には社会の厳しい掟があるのだから、
29歳の若さで引退せざるを得なかったのは止むを得ないのかもしれない。

一方、政界を見ると、鳩山首相・小沢幹事長の虚偽記載或いは記載漏れは、
もしそれが正確に情報公開されていれば、今回の政権交代は不可能だった可能性もある。
そういう意味では、“角界の品格”などという悠長な議論ではなく、“民主主義の根幹”に
かかわる問題で、秘書や母親のセイで済まされるような問題ではない。
そのような人間が、権力の座に居続けるのでは、日本の未来は無い? そのままで良いのか?
忠臣蔵ではないが、片手落ちではないのか?
朝青龍を引退に追い込んだ以上、首相や幹事長を、厳しく糾弾するのが民衆としての筋と
いうものだろう。日本人がそこまで論理性もない支離滅裂な集団になったとは思いたくない。

武士道などの古い日本の伝統にも、「出処進退が爽やかの事」は、素晴らしい特性である。
政府・与党が少子化対策としてイの一番になすべきことは、子ども手当などの「朝三暮四」的
姑息な政策ではない。首相や幹事長が自らを反省して引退することではなかろうか?
民衆の多くは、自分らしく爽やかな心で生きていける社会であることを望んでいると思う。
そういう爽やかな風通しの良い社会になれば、子どもを生む気にもなれる?如何なものか。
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立春の歌 [和歌・俳句]

今朝の洗面所の温度は6℃。この冬二度目の最低気温だった。正に春は名のみ!
立秋の和歌には忘れがたい名歌があるが、今日(立春)の風は冷たい隙間風に身も縮む!
手元にある本から、立春の歌(和歌と俳句)を拾ってみた。

◎ ふる年に春立ちける日よめる 在原元方(業平の孫、天暦7年(753)66歳没) 古今集
 年の内に春は来にけり一年(ひととせ)を 去年(こぞ)とやいはむ今年とやいはむ
 旧暦では旧年中に立春を迎える事もあった。一般には立春は新年であったから
 旧年中に立春を迎えた日に読んで、その日を去年というべきか、今年というべきか?
 と、立春を迎えたことを喜びながらも、新年と重ならない事に戸惑っている風情が面白い。

◎ 春立ちける日によめる 紀 貫之(天慶9年(946)没) 古今集
  袖ひぢてむすびし水の凍れるを 春立つけふの風やとくらん
 夏の盛りに袖を濡らすのも気付かず、手にすくい上げていた水も冬には凍っていたろう。
 その水を、立春の今日の風が解かしているのだろうか?
 夏の暑さ、冬の寒さと春風、日本の四季と水との関わり方を31文字に読み込んで絶妙!

◎ 春立つや 新年ふるき 米五升  ばせを41歳 天和4年(1684)
 旧年中から蓄えた米が五升もある立春を迎えた。新年で改まった心は盛り上がる。
芭蕉は,たった五升の米の蓄えで豊かな気持になって新春を寿いでいる。芭蕉は“自足”の人。
自ら足るを知る人だった。日本人がこういう精神を忘れだしたのはいつ頃からだろう?

◎ 春立ちて まだ九日(ここのか)の 野山かな  ばせを45歳 貞享5年(1688)
 立春からまだ9日しか経っていない(故郷の)野山の春の気配を言い表している。
この句は、江戸へ出て20年弱、成功して故郷に錦を飾った時のものである。
この句の前(貞享4年)暮れに作った句に、“故郷や へその緒に泣く 年の暮れ” がある。
今は亡き父母への思いも新たに見渡した早春の故郷の野山は、どの様な風情に見えたろうか?

こうして並べてみると、昔は、立春と新年とが、深く結びついていることが分かる。だから、
今よりも新年の慶びと、春になる喜びとが共鳴しあって大きく盛り上がったと推察できる。
立春を元旦とする太陽暦が日本には自然では?しかし国際的に共有は難しい?如何なものか。
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悪い日本的体質と再帰性 [閑話]

○ 苦を楽に 腕(かいな)鍛える 冬の雨 2010.02.01作
今日もスロージョギングをしながら‘最近は俳句が出来ないが、どうもスロージョギングだと句作の余裕が
ないのかな?’とぼんやり考えていて、上記の句を思い出した。一昨日、当地は一日中雨。
夕方から傘差し散歩だった。傘を利腕の右から左に持ち替えても無意識にすぐ右に持ち替える
ので右手が疲れてくる。‘ヨシ!左腕を鍛える積りで意識的に左手で持とう’とやってみると、
傘を持つことが苦にならず以外に楽しめたのである。
旭化成の元会長・宮崎輝氏の「苦労を楽しむ」という素晴らしい言葉がある。私のような凡人には
傘を持つ程度の“苦”しか楽しめないが、それでも楽しまないよりは楽しんだ方が良い様に思う。

一昨日、北の方は全国的に大雪。昨日の朝、写メールで雪景色の孫達の写真が届いた。横浜や
川崎も数センチ積もったそうである。関東地方も温暖化で、真夏の直射日光以外は当地(岡山)と
余り気候に相違を感じなかったが、積雪でもやはり違った。ただしビル街は積雪はないようだ。
そんなやり取りをしていたら、“最近の小学校では雪の日は校庭使用禁止”という。迂闊にも知ら
なかった。世の移ろいを感じてしまった。2009-08-16のブログ「8.30衆議院総選挙と再帰性」
政権交代が起こるとすれば、“日本という国が21世紀になり戦後の環境変化に順応して
特質を変えてしまっていると考えるべき”だと書いたが、正にそれを裏付けるものだ。

日本人は自然環境変化への順応性により発展してきたが、国際社会環境の変化に対する順応性
は鎖国によって衰えた。明治維新後、懸命に順応しようと頑張って来たが、日本人特有の
たこ壷型社会の“起承転結”サイクル(2009-11-23のブログ「続2・たこ壷社会」参照)によって
第二次世界大戦に突入して破滅した。戦後社会は表面的に欧米的形態となったが内面は似ても
似つかない?日本人の特長である自然との密接な関係が無くなり、本来の良さはなくなっている。
それにも拘らず、たこ壷型社会という体質を変えることができない。国際的社会環境の変化への
順応性に民衆が不満を感じ、ソロスの “再帰性” の罠にはまっているのではなかろうか。

雨天や雪の日の校庭禁止にはそれなりの理由があるのだろう。しかし幼い子ども達に最も大切な
ことは日常的な自然からの学びではなかろうか?自然からの学びは日本人の大切な特長だ。
その特長の優先順位を下げるなら、それに代わるような大切な考え方を導入すべきである。
基本路線変更を場当たり的にやるのが悪い日本的体質である。現在の政権交代に伴う政治の
やり方もそのような悪い日本的体質のあらわれではなかろうか?如何なものか。
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社会と私の健康① [閑話]

昨年末のブロク「2009-12-18私の健康管理」で、今年から“PDS”サイクルの考え方に沿って健康
管理を推進して行きたいと宣言した。早速、1月の結果をまとめておきたいと思う。概要としては
当面設定した目標はほぼクリアしたと考えている。健康法の実施結果は以下の通り。
1.食後・間食後の歯磨き。外食以外はほぼ完全実施。今後は変化なければ記録を割愛する。
2.万歩記録。合計・413千歩。1日平均・13300歩。1週間平均・93300歩。いずれも目標達成
3.筋トレ。25日実施で0.806と目標実施率の50%以上を達成した。
4.スロージョギング。28日実施で0.903と目標実施率50%以上を達成した。1日平均時間・44.5分
5.ゴルフ素振り、アプローチ、練習場等。7日実施で0.226。目標実施率30%以上のため未達。

さて社会の健康であるが、鳩山首相の施政方針演説を再読した感想をまとめておこう。
施政方針演説を国政の中でどう位置づけるのか?国政とは、何を目的としているのか?
そういった観点から、「“いのち”を守りたい」で始まり、「命を守る政治」で終わる演説は、正に
国政の目的が“社会の健康管理”、施政方針が‘社会の健康管理’の目標と言えると思う。
しかし世界一の長寿国で、“いのち”とは生きているだけにとどまらない事は自明だろう。
首相が守りたいという“いのち”、演説で31回繰返されているが、その内容は漠然としている。
“いのち”の量的側面を軽視する必要はないが、“いのち”の質的側面こそ重要課題であろう。
成長分野の発展途上国をターゲットとした量的な成長の話は出てくるが、質的な側面には具体的に
ほとんど触れられていない。‘教育’という単語は14回出てきたが、内容的に中身はない。
今朝の新聞では、小沢幹事長は、農業団体の自民党離れを促す露骨な手段を弄しているという。
それも政権交代に伴う掃除というなら良いだろう。しかし党利党略だけでは仕方ないのでは?

昼食時、ワイドショー番組『ワイド!スクランブル』を見ていたら、「夕刊キャッチUP」で永田町の
自民党内で取り沙汰されている‘謎の鳥’の話が紹介された。「日本には謎の鳥がいる。その正体
はよく分からない。中国から見れば「カモ」に見える。米国から見れば「チキン(ひよこ)」に見える。
欧州から見れば「アホウドリ」に見える。日本の有権者には「サギ」だと思われている。小沢の前で
は「オウム」に過ぎない。でも自身は「ハト」だと言い張っている。」、というものだった。
自民党も相手が‘宇宙人’では、戦い様がないということか?
私はブログ「2010-01-26社会と私の健康管理」で鳩山首相の言動は‘宇宙人’的で、社会の
健康診断上非常に難しい新種のがん細胞ではないか?と心配した。そこで前の文章に、
「そして私は、ハトと言い張る鳥のことを日本の「ガン」だと心配?」と続けたい。如何なものか。
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