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蛍雪と思い出 [大家族]

午後の散歩も朝から曇天続きで、風も冷たく、ついスロージョギングになってしまう。
散歩の最中に、ふとテレビ放送の豪雪の事を思い出し、雪明りという言葉から、何の脈略もなく
“蛍雪”という言葉が心に浮かんできた。そろそろ卒業式の時期だが、私の子どもの頃(半世紀
以上前)は、「蛍の光」という小学唱歌を卒業式で歌ったものである。中学や高校でも歌った?
「蛍の光 窓の雪 文読む月日 重ねつつ いつしか年も すぎのとをあけてぞ今朝は 別れゆく」
漢字で読むと何となく分かったような気がするが、小学生の頃はほとんど意味がわからなかった。
入学前から聞き慣れていたせいか、改めて意味を聞くのが恥ずかしく、結局今でも正確な意味を
知らない。(私は自意識過剰少年だった。今でも?)

もうだいぶ以前から流行らなくなって、最近の卒業式では敬遠されているらしい。少年時代に
育った神戸という都市は、夏に蛍が育つような綺麗な川は無かったし、気候温暖で雪もほとんど
経験がなかった。蛍の光や雪明かりで本を読むなど想像できなかったのもいたし方ないか?
もう一つ難解なのは、“すぎのとをあけて”という個所である。
“すぎのと”=‘杉の戸’、と‘過ぎの戸’の掛詞? 或いは “すぎのとを”でまとまった句?
“あけて”も、年が‘明けて’、と、戸を‘開けて’の掛詞?
日本語は曖昧で、それがまた日本的美意識なのだと思う。余り追求しないのが“華”か?

“蛍雪”でのもう一つの思い出は、私の中では小学館発行の「小学二年生」という雑誌から説明し
ないとつながらない。私が病気で寝ていた時に、母が「小学二年生」を買ってくれた時の事は、
今でも瞼にありありと思い浮かべることができる。母が買物に出かけた後、夕刻の日差しが寝て
いた部屋に差し込んでいたセピア色の情景。それは幼い病弱な私の物寂しい心を写したような
光景だった。そこに思いがけず未知の美しい表紙の雑誌を渡された時の“驚き”と“歓喜”。
今思い出してみると、それは私の生涯を通じて最大・最高の贈物だったかもしれない。

その後、この雑誌のシリーズをずっと購読し、中学生の頃に、「蛍雪時代」という雑誌があることを
知った。当時、本屋で立ち読みしたが、今で言えばNHKドラマ「とめはねっ!」のような高校生の
青春物語が掲載されていた。自分もそんな青春があるのだろうか?とトキめいたものだ。テレビ等
無かった時代の子どもは、今と比べると幼いものだった。 結局、高校時代は「蛍雪時代」を読む
ゆとりもなく、‘胸に棘さす事ばかり’で過ぎてしまった?如何なものか。
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