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見かけ?生き様? [社会]

昼食時のtv番組「おもいッきりDON!」を見ていたら“今日は何の日”というコーナーで、
久し振りに「M」を聞いた。私が「M」を聞いて思い出すのは、岸谷香さんには失礼だが、
NHKテレビ小説「だんだん」で、めぐみ(三倉茉奈)そして続いてめぐみ(三倉茉奈)が、
石橋(山口翔悟)に思いを歌に託して唄う場面である。(20081124のブログ「M」とコーラス)

実は「M」を聞いたのはその時が初めてだった。伝説の“プリンセス・プリンセス”の活躍時期は
私の人生で最も多忙な日々で全く知らなかった。今日始めて、オリジナルのボーカルで「M」を
聞いてさすがと思った。茉奈・佳奈も上手だが物語が手助けしてくれる分、人の心に届きやすい。
それに比べてステージ演奏はバックグランドがないから歌唱力がなければ人の心に届きにくい。
今日が誕生日の岸谷香さんの生き様を聞きながら、その歌唱力の源泉が分かるような気がした。

NHKテレビ小説「だんだん」を私がブログで度々とり上げるので、ある人から「如何なものか?」と
意見されたことがある。それでもめげずに最後までとり上げたが、その後のNHKテレビ小説では
正直ブログにとり上げる意欲が湧かない。私の好みもあるが、例えば最近の「ウェルかめ」などは
視聴していてもブログに書く気になれない。その理由は何なのか?一度考えたいと思っていた。
岸谷香さんの生き様、オリンピック選手などトップアスリートたちの生き様、「だんだん」と「ウェルかめ」等
を考える時、人の意見とは別に、私が大切に思っている事とは何なのか?が透けて見える。

目標、計画、設計、創作等の実施活動の中で、たくらみ、はかりごと等の作意をしない事。それが
私にとって大切なこと。‘ウソ’、‘作り事’、‘みせしめ’、‘後出しジャンケン’等は作意に当たる。
物語は、フィクションだから‘作り事’だが、そう思わせないような説得力が必要なのである。
そこに作者の生き様の差が出るのではなかろうか?政治にも‘ウソ’、‘作り事’、‘みせしめ’、
‘後出しジャンケン’等は欠かす事はできないのかも知れない。それでも、民衆や諸外国に見え透く
ようなものでは、長くは通用しないだろう。作意が見え透くかどうかは、それを発する側も、
受ける側も、そこに関係する人間の生き様にかかわっていると思う。今日のワイドショー番組
『ワイド!スクランブル』の「夕刊キャッチUP」で国母選手の人柄が見直される話が出ていた。
人間には失敗もあるし不完全な生き物という当り前の常識をベースに政府や文部科学省は
どのような人間像を求めているのか?国母選手の話が本当だとして、優しさや友達思いの
ボランティア精神といった心よりも、服装などの見かけを重視するのか?
そんな政府が、子ども手当を出したら、どんな子どもが育つのか?心配だ。如何なものか。
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国母選手騒動 [希望]

「オリンピック競技の華」アルペンスキー男子滑降を見ていて、あんな所をあんなスピードで良く滑れるもの
だと感嘆した。先日、ノルウェーのアクセル・スピンダル選手が転倒すれば死につながりかねない恐怖と
闘う様子をNHKスペシャルで特写を駆使して見せてくれたことを思い出した。以前スピンダル選手は、
競技中の事故で大怪我をして再起不能かと思われたが、その恐怖心と向き合って克服したと
いうのである。(http://www.nhk.or.jp/special/onair/100207.htmlを参照)

そのスピンダル選手が出場し、惜しくも0.07秒差の2位だったが、安定した実力に敬意を表する。
ディディエ・デファゴ(スイス)が1分54秒31で金メダルを獲得した。スイス男子のアルペン金メダルは1988年
カルガリー五輪以来。32歳は五輪の男子滑降では最年長の金メダルとのことだ。雪の状況が普段と
違って少しスピードが出なかったようだが、それでもハラハラした。
グルジア男子のノダル・クマリタシビリ選手はバンクーバー五輪リュージュの公式練習中に事故死したと聞く。
世界のトップレベルの選手でもそういうことが起こるのだから、五輪競技は大変な戦いだと思う。

そんな事を踏まえて昨日、自民党下村博文議員の質問に川端達夫文部科学相が、衆院予算
委員会で「日本選手団代表として極めて遺憾」と述べた国母選手の服装問題を考えたい。
国母選手は既に入村式、開会式共に欠席で謹慎したが、質問のため仕方なく建前を述べた?
そうならば下村議員の質問の意図は何だったのか?もう少し議論を深める必要があるのでは?

そもそもオリンピック競技参加者の立場は公的なものなのか?私的なものなのか?他の国際試合は
どうなのか?オリンピックとは異なるのか?国内大会はどういう位置づけなのか?この様に四角四面
に追求しても日本では結局はウヤムヤになる。それは日本的美意識のあいまい性という特質
によるのだと私は考える。あいまい性は俳句の切れ字、能の幽玄、雅楽の間、絵の余白等の
様に、その先を鑑賞者にゆだねる奥ゆかしさ、共感の誘いという長所と共に、分かりにくさ、
誤解や過ちの原因となり、馴れ合いによる「たこ壷化」という短所もある。‘あいまい性’という
日本人の基本的特性を基盤として、今回の騒動を、どのように考えたら良いのだろうか?
私の現在の心境は以下の通りである。
選手としての様々な行儀作法や心構えも大切だろうが、五輪選手にとり、オリンピックは世界との
戦いであると同時に、極限に挑む自分との戦いだろう?そのプロセスで「何を学び取り、それを
どのように役立てていくか?」 五輪選手の今後の生き様が問われているのではなかろうか?
国母選手よ、17日のオリンピックという大舞台での経験を大切にして欲しい。如何なものか。
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後出しジャンケン? [社会]

昨日、今日と天候は曇・時々雨。昨日は合唱練習の往復。今日は買物の片道を散歩に当てた。
何とか一日の万歩目標数は達成できた。今日の散歩途中で突然、笑うことががん予防に役立つ
という先日見たNHKの「ためしてガッテン」のことを思い出した。可笑しくなくても笑うマネをする
だけで効果があると言うので人影のないのを確認しながら、“ワッハッハ、ワッハッハ、・・・”とやった。
やってみると、腹から息を吐くので合唱の発声練習にもなる様に思った。顔も笑顔にして声は出さないで、勢い良く息を吐き出してまた素早く吸い込むことを繰り返すだけである。もし声を出していればほとんど狂人と間違われるだろう。勿論、人を見かければ声無き“ワッハッハ”も急停止である。
帰宅後、当該番組を「ためしてガッテン」のホームページ(下記URL)で探したが見当たらなかった。
謎である。http://www9.nhk.or.jp/gatten/whatsgatten/index.html

さて、先日の2010-02-10のブログ「石川議員騒動」で、鳩山首相が『マルコフ保全理論』のような
最適化理論で将来予測をしながら政府の意思決定をするなら、「子ども手当」も批判すれば、
鳩山首相はますますブレまくるのではないか?と書いたが、早速、面白い茶番が昨日、今日と
あったようだ。
鳩カフェview8953729.jpg
msn産経ニュースによると、首相のブログ読者を対象にしたお茶会
「リアル鳩カフェ」(2/14写真)で、子ども手当が話題になり、
その際、首相は満額支給にこだわらないような発言をしていた。
しかし2/15午前には、平成22年度分は満額支給すると強調した。
このような発言の微妙な言い回しも、『マルコフ保全理論』的
最適化理論の専門ならば、分かりやすい。
曖昧な発言をしておいて、その後の反響を見ながら
落しどころを考えるということであろう。まあ、“ジャンケン!”と声をかけておいて、一呼吸置いて
後出しする“後出しジャンケン”のようなものだ。微妙なやり方で相手の出方を見るのだ。

普天間問題も、その手を使って米国の出方を探りながら進めているのだろうか?相手の米国は、
日本の善良な民衆とは少し違う手ごわい相手だと思う。先行きが心配! 如何なものか。
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鳩山兄弟喧嘩 [社会]

有名な兄弟喧嘩に若貴兄弟,徳富蘇峰・蘆花兄弟がある。兄弟喧嘩のパターンには兄の現実主義
と弟の理想主義とが対立するという。前述の兄弟もそのパターンだったらしい。さて鳩山兄弟は、
母献金問題にからむ邦夫の情報漏洩が発端で鳩山兄弟間のバトルに発展するのだろうか?

既に鳩山首相の献金問題は2009/08の衆議院総選挙の前から邦夫の情報漏洩はあった。
MSN産経ニュースによると、「鳩山邦夫前総務相は8月7日、福岡県大川市での講演でこう明かし
兄弟共通の知人が問題発覚後,鳩山事務所から偽証を要請されたエピソード等を暴露している」
「兄の問題は、簡単に言えば、表にできない裏献金ばっかりいっぱい受けている。それでは
恥ずかしいから勝手に名前を借りた。だから死んだ人の名前も借りた。兄弟だから、私の友人
たちがいっぱい入っている。私の友人で、兄に紹介した人たちは、勝手に名前を使われて、
私のところに怒って電話をかけてくる。」 というような内容だった。

また、西日本新聞(http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/148616)によると、
2010年1月26日付で “自民党内で、鳩山由紀夫首相への実母からの資金提供疑惑追及に向け
実弟の鳩山邦夫元総務相にファミリー資産の実態を“暴露”させる案が浮上している。”という。
当の邦夫氏は25日、記者団に「倫理にもとることはしていない。政倫審に呼ばれればいつでも
行くが、党が恥をかくだけだ」と言明したらしいが、何らかの進展があったのではないか?
それが昨日の衆院予算委員会での質問へとつながったと考えられる。

そういった伏流水があって昨日、邦夫氏の談話をベースに衆院予算委員会で与謝野馨氏が、
「首相が資金提供を知っていたのではないか?」と糺したので、これは出任せ的な話ではない?
昨日の与謝野馨氏と首相との答弁をニュースで知って、録画していた国会中継の該当個所を
何度も見直した。そして、この話は相当核心に迫ったものだということを確信した。その理由は
鳩山首相の度外れた動揺である。彼の答弁は、いつも質問をはぐらかすようにまともには
答えない。宇宙人といわれる根拠だが、それは彼の頭脳が最適化理論に基づいて巧く切り抜ける
からである。しかし今回は何故あのように動揺したのか?いつも冷静沈着な首相に似合わない。
その理由は簡単だ。弟の談話というのが未知の変数だったからである。最適化理論も未知変数
が加わると、たちまち制御不能になってしまうのだ。元々、アバウトな計算で対応していれば
この程度の質問にこれほど動揺することは無い。高等数学的思考であるからこそ、このような
失態に陥るのだと推察する。首相は今後どんな計算で応答するのか?如何なものか。
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蛍雪と思い出 [大家族]

午後の散歩も朝から曇天続きで、風も冷たく、ついスロージョギングになってしまう。
散歩の最中に、ふとテレビ放送の豪雪の事を思い出し、雪明りという言葉から、何の脈略もなく
“蛍雪”という言葉が心に浮かんできた。そろそろ卒業式の時期だが、私の子どもの頃(半世紀
以上前)は、「蛍の光」という小学唱歌を卒業式で歌ったものである。中学や高校でも歌った?
「蛍の光 窓の雪 文読む月日 重ねつつ いつしか年も すぎのとをあけてぞ今朝は 別れゆく」
漢字で読むと何となく分かったような気がするが、小学生の頃はほとんど意味がわからなかった。
入学前から聞き慣れていたせいか、改めて意味を聞くのが恥ずかしく、結局今でも正確な意味を
知らない。(私は自意識過剰少年だった。今でも?)

もうだいぶ以前から流行らなくなって、最近の卒業式では敬遠されているらしい。少年時代に
育った神戸という都市は、夏に蛍が育つような綺麗な川は無かったし、気候温暖で雪もほとんど
経験がなかった。蛍の光や雪明かりで本を読むなど想像できなかったのもいたし方ないか?
もう一つ難解なのは、“すぎのとをあけて”という個所である。
“すぎのと”=‘杉の戸’、と‘過ぎの戸’の掛詞? 或いは “すぎのとを”でまとまった句?
“あけて”も、年が‘明けて’、と、戸を‘開けて’の掛詞?
日本語は曖昧で、それがまた日本的美意識なのだと思う。余り追求しないのが“華”か?

“蛍雪”でのもう一つの思い出は、私の中では小学館発行の「小学二年生」という雑誌から説明し
ないとつながらない。私が病気で寝ていた時に、母が「小学二年生」を買ってくれた時の事は、
今でも瞼にありありと思い浮かべることができる。母が買物に出かけた後、夕刻の日差しが寝て
いた部屋に差し込んでいたセピア色の情景。それは幼い病弱な私の物寂しい心を写したような
光景だった。そこに思いがけず未知の美しい表紙の雑誌を渡された時の“驚き”と“歓喜”。
今思い出してみると、それは私の生涯を通じて最大・最高の贈物だったかもしれない。

その後、この雑誌のシリーズをずっと購読し、中学生の頃に、「蛍雪時代」という雑誌があることを
知った。当時、本屋で立ち読みしたが、今で言えばNHKドラマ「とめはねっ!」のような高校生の
青春物語が掲載されていた。自分もそんな青春があるのだろうか?とトキめいたものだ。テレビ等
無かった時代の子どもは、今と比べると幼いものだった。 結局、高校時代は「蛍雪時代」を読む
ゆとりもなく、‘胸に棘さす事ばかり’で過ぎてしまった?如何なものか。
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若年ホームレス [大家族]

大阪、東京等にあるホームレスのための自立支援センターで、20~30代の入所者の割合が
急増しているという(今朝の朝日新聞)。一旦全員が入る大阪の自立支援センタ(舞洲1)では
30代以下、40代、50代、60代以上の年代別割合は、
①.06年度 15.0% 27.2% 44.0% 13.8% ②.07年度 18.9% 28.2% 42.4% 10.4% 
③.08年度 22.5% 31.9% 36.8% 08.7% ④.09年度 33.2% 32.2% 29.4% 05.2%
2009/4~2010/1(④)では30代以下が全体の1/3に達した。東京も23.9%が若年層である。

ホームレスを「林住期」に例えるのは不謹慎かも知れないが、50歳以上≒30歳代以下(年代別
人口の母数はほぼ同数≒33百万人?)になった事は、現代のホームレスが従来の社会現象とは
明らかに異なる事を示しているのではないか?直接的な要因はリーマンショックの影響である事
は間違いない。この状況が一過性で後遺症の残らない現象であることを祈りたい。30歳代以下と
いえば私達の子どももその範疇に入る。もし失職して再就職が出来なければと考えると他人事と
は思えない。私たちも経済的余裕があるわけではないから援助するにも限界があるだろう。
再就職も私の住んでいる地方ではなかなか難しいだろう。長期にわたれば支えきれないかも
しれない。だが、そうなっても、私自身は出来るだけの事はしてやりたいと思う。例えその結果、
私たち夫婦もホームレスになっても良い位の覚悟はある。それが家族というものだろう。

ただ私は、今回のこの現象は、民主党政権奪取現象と同様、その背景に、日本的体質の基本的
変化があるという仮説も成り立つのではないかと思う。それは私のような古風な家族主義の崩壊
である。バブル絶頂期に“親子の断絶”、“世代間の断絶”が大いに話題になった事を思い出した。
当時、1989年に書いた“断絶”に関する文章を読み返した。1989年といえばバブル絶頂期、
親に頼らなくとも、親や古い世代の意見を聞かなくとも自由気儘に生きて行けると思われた時代で
ある。日本が最も繁栄を誇った当時、なぜ“親子の断絶”、“世代間の断絶”が大きな話題になった
のか?バブル絶頂期から崩壊期は、私のいう“起承転結”サイクルにおける“転”期である。アリと
コオロギではないが、“親子の断絶”、“世代間の断絶”は人々がリアリティを喪失し、独り善がりの
生活に埋没する日本的たこ壷型社会の悪しき体質である。バブル絶頂期に生れた人々は今や
二十歳前後。30代は当時ハイティーンである。今回の若年ホームレス現象が一過性のもので
あることを心から期待したい。昭和初期の世界金融恐慌時のように、欲望に走るのではなく、
今回のリーマンショックを反省のチャンスと捉えてリアリティを取り戻す縁(よすが)としたいもの。
日本の国が滅亡への“起承転結”サイクルから脱出する事を切に祈りたい。如何なものか。
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石川議員騒動 [社会]

夜来の雨は午前中も降り続いていた。散歩に出る時も降っていると思い込む程の状況だった。
幸い降っていなかったが湿度100%、近くの山も霞み何時降り出してもおかしくない天候だ。
しかし何と二時間近い散歩の間、雨はほとんど99.9%降らず、本当にラッキーだった。

石川議員が一夜にして‘離党’に変更したようだ。鳩山首相の一言で小沢周辺が動いたか?
民主党は離党届を受理し、小沢幹事長に民主党としてのけじめをつけさせる事を防止する作戦
かもしれない。トカゲの尻尾きり?それにしても民主党も変われば変わるものだと寒心する。
私の知る限り2000年以降でも民主党の2人の国会議員と1人の元国会議員が法律違反容疑で
逮捕された。彼らに対する民主党の仕置きは厳しく、離党届を受理せず除籍処分にしたのでは
なかったかと思う。その中の1人、西村真悟衆議院議員が弁護士法違反の疑いで逮捕された時
(2005/11)には、民主党として議員辞職勧告までしたのではなかったか?
当時の民主党代表は前原誠司氏?

その当時と今回の石川議員のケースを一緒にできないかも知れないが、政治資金規制法違反の
疑いで逮捕された石川議員の政治的・道義的責任は西村議員と匹敵するのでは?民主党の
自浄能力がないと問題視されている中、鳩山首相がもう一歩踏み込むべきではないのか?
従来の民主党の遵法精神は、単に「政権奪取」のためのスタンドプレーだったのだろうか?

今月号の「文芸春秋」の“米政府が分析する鳩山数学論文”(対談:佐藤優・手嶋龍一)を読むと、
鳩山首相を理解するためには、「偏微分関数による『マルコフ保全理論』のインテリジェンス」を
理解する必要があるそうだ。現在の状態が比較的直前の状態で決まるような確率過程を基にした
理論である。鳩山首相発言のブレはブレではなく、時々に起こる事象によって修正動作をしながら
政策を最適化しているという訳である。そうならば、石川議員の離党も、小沢幹事長の留任も、
鳩山首相にとっては一つの確率過程であって、国民、国会、党の反響を伺って次の手を考えて
いるのかもしれない。

されば、小沢幹事長の進言に逆らって「子ども手当」を来年度半額支給を決定したからといって、
再来年度の「子ども手当」支給は確実視できないということだ。首相が状況によって意思決定を
変えるのであれば、民衆はあきらめることなく民主党の無茶苦茶な政治を批判すべきである。
そうすれば鳩山首相はますますブレまくるのではないか?如何なものか。
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朝青龍騒動 [希望]

曇天の午後に散歩を兼ねたスロージョギングにでかけた。しばらくすると雨が降り出したが、降ったり
止んだりの繰り返しで目的地の図書館迄たどり着いた。帰路は弱い雨で路面がぬれていた。傘を
差すほどでもなかったので結局、傘を差さずに通した。今日は、前ブログ含め、開始後 満3年。
積算が正しければ初年/303回、次年/331回、3年目/293回。今日が928回目に当たる。
3年など短かったようにも思うが、孫達の成長を思うと、随分と中身の濃い年月のような気も。

さて朝青龍問題について、庶民として将来に活かしていくために書いておこうと思う。
1.朝青龍騒動と‘神事’との関係について
最初に庶民として私は、相撲における‘神事’が現代日本の中では、異様に扱われているのでは
ないか?という注意を喚起しておきたい。相撲と‘神事’を結びつける考え方を延長する方向は
危険な思想だと思う。それは、戦前の天皇を‘神’に結びつける思考法と類似している?

2.「地鎮祭」を現代日本の庶民感覚の‘神事’の例として取り上げる。
「地鎮祭」は土木・建築工事開始の際に、神祇者(神主)の主催で執り行われるレッキとした
‘神事’である。工事の無事と完成した構築物の安全を祈って行われる。相撲界の神事と土建
業界の神事とを対比させて考えると、協会=相撲協会・土建業界団体、また力士に対応するのは
現場監督や作業者である。或いは住宅の場合には居住者である。日本人は生活の中に多くの
神事を取り入れて生活している。相撲業界の‘神事’だけを特別視するのは如何なものか?
一般庶民やマスコミは‘神事’を現代日本全体の中で捉えて議論して欲しい。
そうしないとプリンシプルのない日本では、トンでもない方向に話が進んでしまう?

3.朝青龍騒動と‘異文化交流’との関係について
 2010年1月場所の番付表を見ると、幕内42人中、外国人はモンゴル:12人、グルジア:2人、
ブルガリア、エストニア、ロシア:各1人の合計:17人、外国人の割合は40%を突破している。
この現状を見れば、相撲業界は国際化というだけでなく、外国人に乗っ取られかけている。
以前のブログ「2009-08-18ゴルフと弓術」でも紹介したが、昔は精神性だけでなく、心技体揃った
名人が実技で外国人を唸らせた。今の横綱審議委員やマスコミ、評論家は、‘神事’を持ち出して
負け犬の遠吠えともいうべき惨めな姿である。今後外国人横綱・大関等に対して、良く分からない
相撲文化を押し付けるやり方ではなく、相互理解を基調として、彼らの心技体を尊重しながら
相撲文化を発展させるべきではないか? 上から目線では納得しない?如何なものか。
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世論調査2010.02.06 [希望]

昨日はイベントがあって午前中にスロージョギングをした以外、その準備等も含めてイベントに集中した。
イベントは幸い成功裏に終わり、夜は気持ちよく祝杯を挙げた。今日も仕事の後、午後には軽く
スロージョギング、途中でデオデオによってマウスや合唱練習に使うICレコーダ等を購入。ささやかだが
我々には大きな買物。店員さんが親切で感じがよく、気持ちよく買物が出来てハッピー!

少し時間遅れだが、10/02と09/12の朝日新聞の世論調査を振り返り、比較分析を試みた。
今回は、全国の有権者を対象に1704件、有効回答は1042人。回答率61%。私は、この様な
電話による小数のサンプリング調査を余り信用していない事を、はじめに断っておきたい。
09/12の世論調査は、2009-12-22のブログ「民主党支持率」で分析をした。その時は
鳩山内閣支持率、および政党支持率の前回(11月)との比較は、次のようになる。
◎ 鳩山内閣全体支持率:62%→48% その差:14%。 政党支持別の鳩山内閣支持率は
政党毎の支持率では、民主党:92%→87%、自民党:24%→13%、無党派:39%→24%
◎ 政党支持率では、民主党:46%→42%、自民党:14%→18%、無党派:28→31

今回の鳩山内閣支持率、および政党支持率における前回(12月)との比較では、
◎ 鳩山内閣全体支持率:48%→41% その差:7%。 政党支持別の鳩山内閣支持率は
政党毎の支持率では、民主党:87%→?%、自民党:13%→?%、無党派:24%→20%
無党派層の不支持は、54%と不支持を大きく上回っている。
◎ 政党支持率では、民主党:42%→34%、自民党:18%→27%、無党派:31→?
前回,全国有権者:3465件、有効回答:2115人。回答率:61%とサンプリング数が多い。
それに比べて今回の有効回答は前回の約半数だから、細かな分析はできなかった?

前回の結果は、内閣支持率に比べ、政党支持率が余り下がっていなかったが、今回は内閣も
政党も支持率が20%前後と急落している。この調査結果が、実態を表しているのか、或いは
サンプリング数不足による推計の誤りなのか?推計不十分と考えるべきではないかと私は思う。
折しも今日、自民党を離党した田村耕太郎参院議員(鳥取選挙区)が民主党に鞍替えして
民主党は、参議院の定数242の半数121に達したという。選挙上手な小沢幹事長は「個所付け」
その他で参議院選挙の地盤を固めているのだろう。小沢が適切な時期で幹事長を降りればまた
同情票も乗っかり民主党の風が吹いて、7月の参議院選挙で民主党独裁になる?
私はこの様なシナリオを決して期待しない。民衆の良識を期待したい! 如何なものか。
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続・小沢民主党 [社会]

昨年の12/25のブログ「小沢民主党」に、“現段階は小沢色一色に染め上げて、さらに「小沢色」の
政策を実現していくサイクル”という新聞記事を引用した。そして小沢がヒトラーの如く尊敬され、
民主党が大日本帝国軍隊の様に虚像の‘理想’に突き進むことのない様にと、警告した。

小沢幹事長は土地取引疑惑について不起訴処分になった事で一件落着と純化路線を強化中?
昨日の衆議院予算委員会の国会中継で石破茂(自民党)が民主党県連に流した個所付け資料
が外部に漏洩した事を捉え、予算委員会前から情報を外部に漏らす事は国会軽視、憲法無視だ
と糾弾していた。自民党時代に族議員が内々で漏らしていたと言うが、それは部分的で、かつ
今回の小沢幹事長の疑惑同様、証拠はない?それに反し民主党の今回の機密漏洩は明らか
に組織的・計画的な行動であって、その重要性の認識すら乏しい。このように幼稚な知識しか
持ち合わせていない与党国会議員、および党組織を、小沢幹事長は意の儘に操っている。

コンクリートから人へという見た目だけカッコいいキャッチフレーズも、道路予算凍結見直しで60%も解除
原則3年以内に完成しない道路は「凍結候補」とし概算要求額は「0~1億円」とした歯止めを緩め
10年度以降も造り続ける道路を増やすという。解除された10年度の予算額は計約100億円だが
総事業費は約3兆円。民主党県連の要望した事業は全て解除された。道路予算凍結も、
結局は党利党略と事業仕分けの派手なスタンドプレーのためだということが明白になってきた。

私が以前から指摘してきたように、民主党政治は“羊の皮を被った狼”でしかないのである。
民衆は現段階の政治状況を見て、‘民主党は古い体質が残っている’という程度の認識で、
それでも自民党よりはマシだろうと考えるのではないか?しかし私はその様に楽観視する訳には
行かない。明治から第二次世界大戦までの約80年間における悲劇の“起承転結”サイクルを
真底心配するからである。戦後の約60年間も、よく戦前の状況に譬えられてきた。

“転”から“結”への飛躍は、化学反応における「触媒」を必要とする。触媒は、「己の正義を絶対と
信じる正義の味方」である。詳細は割愛するが、第二次世界大戦でその触媒を果たした人物の
一人に「辻正信」(田中克彦著「ノモンハン戦争」岩波新書参照)がいるという。政界・経済界のみ
ならず、学界まで、あらゆる所に巣くっていると著者は書いている。日本が二度と愚かな道を
進まぬために、このような危険な人物の連鎖反応を防がねばならない。民主党はその様な
連鎖反応の温床になりかねない要素を持っている?動向への注意が必要?如何なものか。
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