SSブログ

立春の歌 [和歌・俳句]

今朝の洗面所の温度は6℃。この冬二度目の最低気温だった。正に春は名のみ!
立秋の和歌には忘れがたい名歌があるが、今日(立春)の風は冷たい隙間風に身も縮む!
手元にある本から、立春の歌(和歌と俳句)を拾ってみた。

◎ ふる年に春立ちける日よめる 在原元方(業平の孫、天暦7年(753)66歳没) 古今集
 年の内に春は来にけり一年(ひととせ)を 去年(こぞ)とやいはむ今年とやいはむ
 旧暦では旧年中に立春を迎える事もあった。一般には立春は新年であったから
 旧年中に立春を迎えた日に読んで、その日を去年というべきか、今年というべきか?
 と、立春を迎えたことを喜びながらも、新年と重ならない事に戸惑っている風情が面白い。

◎ 春立ちける日によめる 紀 貫之(天慶9年(946)没) 古今集
  袖ひぢてむすびし水の凍れるを 春立つけふの風やとくらん
 夏の盛りに袖を濡らすのも気付かず、手にすくい上げていた水も冬には凍っていたろう。
 その水を、立春の今日の風が解かしているのだろうか?
 夏の暑さ、冬の寒さと春風、日本の四季と水との関わり方を31文字に読み込んで絶妙!

◎ 春立つや 新年ふるき 米五升  ばせを41歳 天和4年(1684)
 旧年中から蓄えた米が五升もある立春を迎えた。新年で改まった心は盛り上がる。
芭蕉は,たった五升の米の蓄えで豊かな気持になって新春を寿いでいる。芭蕉は“自足”の人。
自ら足るを知る人だった。日本人がこういう精神を忘れだしたのはいつ頃からだろう?

◎ 春立ちて まだ九日(ここのか)の 野山かな  ばせを45歳 貞享5年(1688)
 立春からまだ9日しか経っていない(故郷の)野山の春の気配を言い表している。
この句は、江戸へ出て20年弱、成功して故郷に錦を飾った時のものである。
この句の前(貞享4年)暮れに作った句に、“故郷や へその緒に泣く 年の暮れ” がある。
今は亡き父母への思いも新たに見渡した早春の故郷の野山は、どの様な風情に見えたろうか?

こうして並べてみると、昔は、立春と新年とが、深く結びついていることが分かる。だから、
今よりも新年の慶びと、春になる喜びとが共鳴しあって大きく盛り上がったと推察できる。
立春を元旦とする太陽暦が日本には自然では?しかし国際的に共有は難しい?如何なものか。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。