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梅ちゃん先生_82回・私の見方 [物語]

今日は、第82話の展開の仕方について、多少、批判的見方を述べてみたいと思う。決して
ケチをつけるのではない。悪気のない正直な感想だから、善意に解釈して頂ければ幸いだ。

一番、気になったのが、涼子に対するギラン・バレー症候群の診断結果を言渡す場面だった。
ネットで調べると、この病気には、神経伝達速度検査、筋電図検査、髄液検査、血液検査、
細菌学的検査・免疫学的検査など色々な検査方法がある。昭和30年は、レベルが低かった?
それでも、患者にとっては驚天動地の診断結果を、視聴者には簡単そうに見えた検査だけで
簡単に宣言して居る様に思えた。梅子(堀北真希)は正に権威を笠に着た大学病院の先生?

ホームドラマに、専門的な医学の話を織込むのは難しいだろう。私はそういう事を問題に
したいのではない。「梅ちゃん先生」という物語は、大学病院の様な患者との距離をおかぬ
身近な存在としての町医者になりたい梅子を描いているのではないか?ならば、あの様な
態度で良いのか?あれでは、大学の権威を笠に着た大学病院の先生そのものではないか?
大学に居る時には権威を笠に着て、町医者になったら豹変するというのでは不味いのでは?
ナレーションを使うとか、色々検査して出た結論だとか、言葉を補うべきではなかったか?

もう一つは、坂田(世良公則)が、建造(高橋克美)の見舞いに来た時のことである。
坂田はさんざん梅子を褒めちぎった後で、「あんな娘が居るだけでありがたいと思った方が
良い!」、「チャンと認めてやれ!逃げるな!」と建造に迫り、最後に「梅子君は、
あんたの事を愛しているから、愛しているから・・・・」というセリフを言って病室を出た。
私は、「愛とは関心であり、責任」だと思っている。「医者の不養生」という事もあり
建造と共に、梅子も、建造の病気に気付かなかった事は大目に見ても良い。しかし建造が
やっと認めてくれた直後に、開業の話をはじめてするのは、建造への配慮がなさ過ぎる。
梅子が、建造に対して、育ててくれ、お世話になった事に深い感謝の念は持っていても、
“愛”と呼べるほど崇高な精神状態には至っていないだろう。“愛”の定義など曖昧な国
日本ではどうでも良い事かも知れない。しかし梅子が尊敬する坂田が、そんないい加減な
先生で良いのだろうか?そういう先生を尊敬する梅子もちっぽけな先生になるのでは?

坂田先生は、元々、敵前逃亡した卑怯未練な人間だから、いい加減な先生かも知れない。
私が思い描く梅子も、私の勝手な想像による偶像であり、「梅ちゃん先生」が描く人物は
皆、何処にでもいる平凡で、欠点や間違いの多い庶民を描きたいのだと思う。そういう
観点を再確認する意味も含めて、批判的見方を示してみた。如何なものか
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