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梅ちゃん先生_第92話と幸せ [閑話]

今日、梅子(堀北真希)は在宅診療を任された末期がん患者・早野(津嘉山正種)が
生きる希望を失い治療を拒否していると考え、どうしたら早野に生きる希望が湧くのか?
悩んでいた。母・芳子(南果歩)や三上康子(岩崎ひろみ)は、子ども達の成長や幸せを
生甲斐だと、言っていた。また祖母・正枝(倍賞美津子)は子どもが居ても居なくても
生甲斐はあるといい、「ナポリを見て死ね」という言葉を例に引いていた。

正枝の話をヒントに、梅子は「日本の風景」という写真集を持参して、早野を説得しよう
と試みたが、早野は現役時代、外国航路の船乗で、当時のアルバムを見せてくれて、
「珍しいものは散々見た。もう充分」とのご託宣だった。アルバムの後半部分は、
写真が剥がされていて、何か曰くありげ。食堂「みかみ」に行った梅子が、偶然、信郎
(松坂桃李)と恋人・咲江(佐津川愛美)の二人と一緒になり、早野に‘さよこ’という
娘が居る事がわかった。咲江は女学校時代‘さよこ’に、裁縫を教わっていたという。
妻・妙子(丘みつ子)から家族は二人だけと聞かされていた。早野夫婦には事情がある?

先日のブログで、中村仁一著「大往生したけりゃ医療とかかわるな」を取上げたが、
この本を読んでいると、“人生とは”、“死とは”、“生きるとは”、“”幸せとは“何か?
などということを改めて考えさせられる。
確かに早野の様に、生きる希望をなくす事は、現代の様に何でも積極的、前向きな
考え方が正しいとする世の中では、間違っていると判断されるかも知れない。増して
早野の様に、近親者とのこじれた関係を放置するのは良くない!という批判は誰にも
非難出来ない。しかしそういう問題を解決するためには、梅子の様な素っ頓狂なお節介
でも居ない限り、なかなか修復は難しい。早野の様な状況になった時、娘との修復に
精神的・肉体的な負荷を掛けるか?余生を平安な状態で過ごすか?どちらが、本人に
幸せか?非常に難しい判断ではないか?幸せという概念は主観的なものである。

昭和30年当時のがん治療法はどんなものか知らないが、現代ですら、手術切除や、
放射線治療などのがん治療は免疫力を減少させるという。早野が、治療拒否したのは
あながち間違っていないと思う。特に治癒の可能性もないのに、チューブにつながり
延命治療で、生かされるのは、人によっては、姥捨山以上に残酷な仕打ちだと思う。
人間は死ぬ時にどんな恐ろしい事が起こるかと心配し、チューブにつながれて、
完全に意識をなくしてから死を迎えた方が、死者にとって幸せだと勝手に思っている。
しかし先の図書によると、人間は死に際して、恐怖を感じない様にできているという。
家族や個人の“幸せ”を、勝手にまとめて、政治家や役人、医者によって決められても
迷惑この上ないと思うが、官尊民卑的日本の伝統は今も継続中? 如何なものか
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