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伝統・文化と革新 [閑話]

何時もの事で墓参りのついでに京都散歩を楽しんだ。大原を散歩したが、今日は三千院や寂光院といった有名な場所の訪問のみではなく、文字通り大原の里歩きをした。今日のアプローチは地下鉄で10時前に京都駅から国際会館駅、そこから京都バスを乗り継いで大原に11時に到着した。大原のバス停からまず呂川沿いの道である。念仏寺、そして三千院にも立ち寄った。
DSC09232勝林院.JPG
今日のハイライトは、何といっても勝林院だった(写真は勝林院本堂)。私にとって勝林院は、法然上人と、天台宗の賢真(当時法印)との大原問答の場所として記憶されている。私は、今日参拝の勝林院さんに頂いた「勝林院略記」を読んで、この大原問答が真剣に生死の事に悩んでいた人々に重要な内容であり、如何に当時画期的な出来事であったか、がわかった。
この大原問答は、文治二年(1186)秋の事だというから、既に930年近く前の事であるにも関わらずまるで昨日のごとく思われるのは、その内容が、常に役立つ花も実もあるものだからだと思う。

上人の述べられた事を、ここに簡単にまとめておこう。
1)悟りの道には例えば天台宗などの修行(聖道門)がある。それを批判するものではない。
2)己の悟りを唯一のものとせず、自身を頑愚の類と卑下して南都六宗を立てた。
3)「往生」と「成仏」とを一緒にせず、分けて考えた。成仏は難しいが、往生は易しいと。
4)阿弥陀如来の願力を強い縁とするから、有智無智を差別せず、往生できると説いた。

このことから、私は改めて、伝統とは何か?文化を伝えるとは何か?考えた。法然上人の教えは、当時、実に革新的なものだった。しかしそれは、伝統、文化の伝え方に関する思い違いを正したもので、新しい何かがあるとすれば、同時代の人々には感じられなかった事を感じ取ることが出来たということだ。法然上人は、阿弥陀様と同様、無智な衆生が出離の道を悟るために考え抜いた事が、専修念仏だった。法然は我が身だけの済度に飽き足らなかった。

阿弥陀様のお力にお縋りしなければ悟れるはずがない。阿弥陀様や仏陀、そして様々な賢人、偉人を輩出したのは、伝統の力であり、文化の力である。こんがらかった糸をほぐすことが、伝統や文化を継承するために大切である。そんな分かり切った事が、時代を経るに従って解り辛くなるのは、文化や伝統の継承に問題があるから?最近、維新だか電信だか知らないが、やたら改革だ革新だと喚いている輩は、伝統や文化の継承を正す手段と弁えているだろうか?今喚いている程度の連中が、正しい伝統、文化を学びとっているとは到底思えない。こんがらがった糸を益々、解き難くしているのではないか? 如何なものか
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