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インテリと伝統・文化 [社会]

山崎正和著「日本文化と個人主義」1990年版(以下本書と略す)の3章「インテリの盛衰」
を参考に、智恵と知識の違い、そしてそこに関係する伝統・文化について考察したい。
本書は、知識人(≒インテリ?)を明治時代の第一世代と、昭和時代の第二世代に分類する。
第一世代は専門を超えた総合的な見識(智恵)を備えており、第二世代は、整備された
学校制度で育成され、与えられた専門(知識)領域に拠って立つ専門家だという。
私は知識人の世代交代に伴う知識人の諸特性変化を、学校制度や、高等教育の大衆化等
として論じる前に、伝統・文化継承の問題と、受取るべきではないか?と考える。

大学生の数 *明治43年(1910):7千人 *大正9年(1920):22千人 *1930:69千人
大正9年(1920)の就業人口 2790万人――その内
*近代産業:390万人(14%)、*農水産業:1510万人(54%)、*職人他:890万人(32%)
大正9年当時の就業人口比率を見るとき、私の曾祖父母や祖父母の時代は、まだまだ
沢山の人々が地域に根ざして伝統・文化の継承をしていたのである。また当時の大学生も
微々たる人数であり、明治維新後の第一世代知識人の伝統を引き継いでいたと思う。

そこで、知識人の第一世代から第二世代への移行は、何が原因だったのだろうか?
様々な要因が考えられる。本書にも、ラジオの普及、「岩波文庫」の発刊など、いろんな
事象が論じられ、知的社会の分裂が発生したとしている。そして従来の知識人は
象牙の塔に立て籠もる一部の専門家であり、そしてそこから分裂して、庶民との間に立つ
中間的知識人というものを位置づけている。私は、この中間的知識人(所謂インテリ)こそ、
明治維新での西欧文明との衝突ショックで、誇大妄想的夢を見た人々だと思う。彼らは近代の
啓蒙思想は、伝統や宗教・文化を背景にしなくとも普遍的道徳を確立出来るという立場で
あったから、日本の従来の伝統・文化の意義を過小評価し、或いは無視した。

昭和時代、近代産業の人々が増加し、故郷を離れて都会生活をする人々の多くが、孤独の
心理的不安解消のために、中間的知識人の傲慢な生き方を、真似たのが失敗だった。
心理的不安の解消には、知識+伝統・文化の伝承による知恵が必要なのだ。しかし正しい
処方箋の代わりに、中間的知識人の中核である悪しき啓蒙主義ジャーナリズムの宣伝に乗った。
啓蒙主義は、歴史上の実験において尽く失敗しており、伝統・文化を否定する間違いは、
既に明白になっている。しかし日本のジャーナリズムは未だにわかっていない。だから、やたら
維新だ!革新だ!と騒ぐのだ。戦前、戦争を煽ったのも同じ理屈である。
日本のジャーナリズムの猛省を促す次第である。如何なものか
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