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着眼大局、着手小局 [閑話]

月刊「Will」四月号に松田学著「『官僚亡国論』という亡国論」という記事が載っていた。
彼のブログによると「官僚のあり方論について正論を発信してほしいとの期待」が寄せられた
結果、この記事になったらしい。官僚に関する情報としては以下の様なものがあった。
1.OECDの29カ国における官僚経費などに関する日本との国際比較。
 a.一般政府支出の対GDP比は37%で、29カ国中、下から6番目の小さな政府
 b.一般政府生産費用の対GDP比は18%で、28カ国中、下から8番目で民間主体の経済
 c.総労働人口に占める一般政府雇用の割合は5%で26カ国中最低。公務員は最も少ない
 d.一般政府の雇用者報酬の対GDP比は6%で、28カ国中最低。最も安上りの公務員
 e.国家公務員は地方公務員を含む全体の16%で、21カ国中下から5番目。
2.中央・地方・その他公的部門職員(除く軍人)の人口千人当りの職員数比較(G5)
   仏=約82人、英=約72人、米=約71人、独=約54人、日本=約34人
以上の様なデータから著者は、メディアが経済産業省出身・古賀茂明等による公務員改革を
過大に取り上げている事、及び一般に蔓延している「小さい政府」論を批判していた。

また、天下りや渡り等の問題に関しても、官僚の生涯報酬や、年金の問題等を取上げて、
官僚たちが、退職後の心配の為にやっている事で、根本的対策を打たねばダメだと言う。
そして、もし官僚改革を本気で考えるなら日本の全体システムを新たに組み立てる改革が
必要になると結論付けている。
私は、この議論を読んで成る程と思う所もあったが、著者が古賀茂明を批判しているのと
同様の問題を抱えている事に気付いた。結局、対策は抽象論で、具体性が無いという事だ。
荀子の「着眼大局、着手小局」という言葉を思い出した。

現在、横行している大局観は、平成維新、全体システムの刷新という事で、理想像を描き
現状を破壊すれば、システムは刷新され、夢の様な素晴らしい国、郷土になるというのだ。
制度の設計図を如何に精巧に作成したとしても、中味の人間が如何なる生き方をするのか?
それを明確にしない限り、如何なる制度設計も絵に書いた餅に過ぎないだろう。制度設計の
夢は大局観ではありえない。物質文明の追求が大局では無い事が益々明らかになったにも
拘らず、先進国と比較して喜んでいる神経では、日本人が真に求めている大局を見失う。
西欧は最早、見習うべき相手ではなくなったはずだが、エリートといわれる高級官僚が、
自己の老後を心配して省益に奔走し、何時までも経済成長一点張りでは情けない。そして
橋下の国と地方の金の分捕り合戦を囃し立てるマスコミとその仲間のインテリもどうし様もない。
こんな輩が維新だ、全面刷新だ、と言っても未来に何の望みもなかろう。如何なものか
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言語と伝統・文化 [閑話]

昨日のブログ「22012-02-27正論?暴論?」にコメントが入っていた。時々、書込みをして
くれるnogaさんという人からだ。以前の書込に、それなりの応答をしたが、それを無視し
その後も同じ事を繰返し書込んで今日に至っている。私にとっては得がたい読者の一人。
何とか意思疎通したいと思い、書込みの内容に関する私の意見を再度、書いておこうと思う。

nogaさんの書込みには色んな内容があるが、引っかかる点は「日本語に時制がない」云々と
「英米人と対等に話し合うには、同性能の武器 (言語) を用意しなくてはならない。」云々
という点である。私は「英語を国語にすべきかどうか」という議論をしたいのではない。

私が言いたい事は、「日本語と英語には言語的優劣はない」という事である。その為に
私が知っている拙い言語の知識を簡単に述べたい。言語学や記号論に詳しくないから、
間違いがあれば読者諸氏から厳しく指摘していただきたい。
私が知っている言語知識(R.Jakobsonの著書等から)
* 人間の言語は、構想力や創造力、抽象や仮想、時空を隔てた事物を取扱う能力をもつ。
* 一連の特性によって、人間の言語は、動物言語とはかけ離れている。
* 記号での3つの時制 象徴(symbol)=未来、指標(index)=現在、類像(icon)=過去
「日本語が英語に言語的に劣っている」という事になると、言語的大発見になるのでは?
私は「言語には、人間の精神や脳、或いは伝統や文化と深い関係がある」と考えている。
nogaさんが、何故「英米人と対等に話合うには、同性能の武器 (言語) を用意しなくては
ならない」と主張するのか?その背景なり、根拠を、その考えに沿って探って見たい。

nogaさんの主張は、「言語」を過大評価し、英語を物神化しようとしている様に見える。
確かに言語には大きな力がある。言語の発達が、人間の成長と強い相関がある事は明らかだ。
人間が社会化し、個性化し、自己実現に至るのも、言語能力の発達によるといえる。しかし
それは或る言語能力が人間力の全てという事ではない。現代の嘘つき社会における充満した
嘘は文法上の時制で見抜けられる様な甘いものではない。それは欧米社会の様々な事件でも
明らか。情報を見分け社会から疎外されない為には、自国や他国の伝統・文化を正しく継承
しなければならない。物心付く前から獲得した伝統・文化(言語は、その核となるもの)を
基礎にし、基礎を何度も検証し堅固なものにしなければ人間的発展はできぬ。nogaさんは
日本人が英米人と対等に話合うのに英語を前提としている様であるが、それは何故なのか?
日本語が劣っている事を前提にしているからではないか?日本語を選択できない、という
前提は最初から日本は、英米に劣っていると言うに等しいのではないか? 如何なものか
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正論?暴論? [閑話]

月刊雑誌「Will」四月号に、曽野綾子の「生き残った世代の使命」という記事があった。
その中には、以下のような相当過激な言葉が散りばめられていた。
* 基本的生き方を忘れた日本人は、3.11後も平気で「安心安全」を使う鈍感人間。
* 原発反対を唱えるインテリは、思考が硬直化している事を露呈した事例だ。
* 政府援助前提の優秀な大学出身お坊ちゃん、お嬢ちゃんは、死滅する他ない?
* 遺体捜査には国のお金がかかる。無限にして良い事では無い。
* 想定外の状況で、生き方を自分の頭で考えられる人を育てる事=生残り世代の使命
この文章を悪意に取れば、幾らでも悪い方向に解釈できるだろう。しかし善意に解釈すれば
曽野綾子が、日本の現状を「井の中の蛙」と思え、やる瀬ない気持ちになるからだと思う。
彼女は、世界を飛び回って、戦争や内乱、政治の腐敗、堂々巡りの災害等で貧苦と病苦に
苛まれている多くの人々の状況を良く知っているからだ。

日本はなんだかんだ言っても、文明国で、教育も生産技術も最先端を行き、そしてまた
非常時には、人間本来の慈悲心を遺憾なく発揮できると、世界から高く評価されている。
しかし、そういう優れた側面に反して、現実の社会で議論されている事が、如何に偏狭な
視野狭窄的な状況に陥っている事か?それは例えば、原発の専門家の間でも、議論は全く
かみ合っていない事でも明白である。エネルギー問題も同様である。
何故、そうなるかといえば、少なくとも近代以降の日本人の議論は、議論をどんどんと、
すり替えて行くからである。例えば、沖縄基地問題も、移転問題から基地そのものの存続
問題にすり替えてしまっている。橋下の政治問題も、府の財政改善問題から国政における
道州制や地方自治法改正へと問題を転化している。問題のすり替えは無責任?

政治家が民衆の人気取りを本業とし、取上げた問題を、より大きな問題に転化して問題を
先送りするから、曽野綾子が指摘した上述の事態が発生するのである。民主党や自民党が
社会福祉を今まで金科玉条としてきたのも、橋下が、道州制や地方自治法改正へと問題を
転化するのも、どちらも権力維持のために問題を先送りし民衆を釣っているだけである。
日本は益々墓穴を掘る。現代日本社会が、曽野綾子のいう想定外の状況に陥っているにも
拘らず、現代日本の多くの人々は、自分の頭で考えられなくなってしまっている様だ。
「自分の頭で考えて生きていくことの大切さ」を学びとる機会として「東日本大震災」の
経験を活かす事は、現代日本の想定外の状況を切り抜けるためにも本当に大切だと考える。
何時までも口先だけの政治家に任せておく事は何時までも衆愚と言われる事につながる?
偽りの政治家、マスコミ、インテリに惑わされずに、自分の頭で考えよう!如何なものか
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インテリと伝統・文化 [社会]

山崎正和著「日本文化と個人主義」1990年版(以下本書と略す)の3章「インテリの盛衰」
を参考に、智恵と知識の違い、そしてそこに関係する伝統・文化について考察したい。
本書は、知識人(≒インテリ?)を明治時代の第一世代と、昭和時代の第二世代に分類する。
第一世代は専門を超えた総合的な見識(智恵)を備えており、第二世代は、整備された
学校制度で育成され、与えられた専門(知識)領域に拠って立つ専門家だという。
私は知識人の世代交代に伴う知識人の諸特性変化を、学校制度や、高等教育の大衆化等
として論じる前に、伝統・文化継承の問題と、受取るべきではないか?と考える。

大学生の数 *明治43年(1910):7千人 *大正9年(1920):22千人 *1930:69千人
大正9年(1920)の就業人口 2790万人――その内
*近代産業:390万人(14%)、*農水産業:1510万人(54%)、*職人他:890万人(32%)
大正9年当時の就業人口比率を見るとき、私の曾祖父母や祖父母の時代は、まだまだ
沢山の人々が地域に根ざして伝統・文化の継承をしていたのである。また当時の大学生も
微々たる人数であり、明治維新後の第一世代知識人の伝統を引き継いでいたと思う。

そこで、知識人の第一世代から第二世代への移行は、何が原因だったのだろうか?
様々な要因が考えられる。本書にも、ラジオの普及、「岩波文庫」の発刊など、いろんな
事象が論じられ、知的社会の分裂が発生したとしている。そして従来の知識人は
象牙の塔に立て籠もる一部の専門家であり、そしてそこから分裂して、庶民との間に立つ
中間的知識人というものを位置づけている。私は、この中間的知識人(所謂インテリ)こそ、
明治維新での西欧文明との衝突ショックで、誇大妄想的夢を見た人々だと思う。彼らは近代の
啓蒙思想は、伝統や宗教・文化を背景にしなくとも普遍的道徳を確立出来るという立場で
あったから、日本の従来の伝統・文化の意義を過小評価し、或いは無視した。

昭和時代、近代産業の人々が増加し、故郷を離れて都会生活をする人々の多くが、孤独の
心理的不安解消のために、中間的知識人の傲慢な生き方を、真似たのが失敗だった。
心理的不安の解消には、知識+伝統・文化の伝承による知恵が必要なのだ。しかし正しい
処方箋の代わりに、中間的知識人の中核である悪しき啓蒙主義ジャーナリズムの宣伝に乗った。
啓蒙主義は、歴史上の実験において尽く失敗しており、伝統・文化を否定する間違いは、
既に明白になっている。しかし日本のジャーナリズムは未だにわかっていない。だから、やたら
維新だ!革新だ!と騒ぐのだ。戦前、戦争を煽ったのも同じ理屈である。
日本のジャーナリズムの猛省を促す次第である。如何なものか
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伝統・文化への思い [思い出]

私が伝統・文化を尊ぶというのは、自分の祖先を身近に感じ様とする事である。母方祖母の
曾爺さんの一人とは、小学生時代に田舎で会っているから、リアルに思い出す事が可能だ。
農家だったから、家に農作物を餌にしている小さい虫達がいて、這い回っていた記憶がある。
当時は、農薬もなかったのだろう。一晩、泊まったが、それでも悪い印象は残っていない。
ねずみや小鳥や虫達と共存していた農家の佇まいが、まるで昨日の事の様に映像化できる。

曾爺さんは何か威厳の様なものがあった。当時勤め人だった親父が尊敬している様に思えた。
父方の祖父と曽祖父は私の産まれる前に亡くなっている。宮大工の棟梁であったという。
幼い頃に聞かされた話だから、真偽のほどは定かではない。父方の祖母も余り記憶にない。
母方の祖母が一番長生きしてくれ、晩年は一緒に住んでいた。体を動かす事が好きで、畑で
野菜や花を育てていた。ほぼ一生涯、農婦として貫き通した、ということが出来るだろう。

私の先祖の直接的思い出は精々、この辺までであるが、こんな話が伝わっている。
明治23年の国会開設の話に関して、私の曾爺さんかどうか知らないが、「国会が開かれる」
というので、どんな大きなクス玉が開かれるのだろうと楽しみにしていたというのである。
のん気な浮世離れした話で眉唾とも思われるが、田舎人独特の諧謔?と思ってみたりする。
ただこの話で感じるのは、明治維新は、制度的には木で竹を継いだ様な不連続的な事件だが
地域の人々にとっては、地に根を張った揺るぎない自信、伝統・文化の継承が伺われる事。
そこには、兼好法師が説いた「珍しいもの、面白いもの等には距離を置いて見る」精神が
息づいていると思われるのである。

兼好法師は南北朝という激動の時代に朝廷に仕えた貴族だ。学校で習ったときには、なんで
こんなに断定的に価値観を決め付ける事ができるのか?と、反発したものだ。しかし思えば
史上でも稀な南北朝という動乱の時代を生抜いた兼好は、出家して「聖」の世界の住人となり
貴族の身分を解脱し、一人の人間として生きるための得がたい智恵を我々に残してくれた。
伝統・文化は、反発するものでもなければ、鵜呑みにして、偶像視するものでもない。
批判的に受止めながら、真髄を抽出して、それぞれの生きる智恵とするものだと思う。

物質文明の発展にも惑わされず、日本人の美しい心・尊い内面を磨く鏡として伝統・文化を
批判的に受止めながら、真髄を抽出することが重要ではなかろうか?現在の悪の資本主義
(善の資本主義もある?)・悪の商業主義に毒されたマスコミや、会社、そしてそれらに
振回される政治家を含む全ては、軽蔑し無視するしかない?何時か滅びる!如何なものか
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明治維新の成功と失敗 [歴史]

明治新政府は封建支配体制を打破し、先進国を目指して制度設計した。制度設計において、
肝となるのが神道の伝統を模様替えして、天皇を現人神とする国家宗教を創設した事である。
これは、高度な文明や科学技術を創造する西欧の社会統治の基盤が、キリスト教によって
育まれた西欧の倫理と信条である事を見抜いて模倣したもの。
創られた日本国宗教は、過ちなき現人神という1神教的な色彩の強い宗教となった。

明治22年(1889)の帝国憲法発布を明治維新の一応の完成として見た時に、既にそこに
明らかな失敗の原因がどす黒く潜伏している事が分かる。失敗の原因とは何か?
維新の元勲達が、人間としての倫理・信条は日本の方が勝っていると考えていた事である。
即ち、西欧社会を観察した時、物質文明が発展した時に日本人の倫理・信条も堕落すると
いう事に気付かなかった事である。物質文明の発展(富国強兵)にのみ、囚われていた
片手落ちの観察だった。西欧社会の堕落を民族性と考え、対策を忘れていたのである。
まだ、明治の元勲が健在な時代は何とかなった。しかし、元勲が居なくなると、最初の
制度設計時の「建前と本音」を使い分ける模倣宗教では済まされなくなる。学者・宗教家達
による国家宗教の理論的一人歩きとなって、政治思想をはみ出す大混乱となるのである。

それは、国家宗教(帝国憲法)を背景とする軍国主義と、それに抵抗する社会(共産)主義と
いう対立が歴史的に語られるのだが、事実上は、国民の共感を呼ばなかったのである。従って
抵抗者は大量に転向し、実質的には批判勢力にはなり得なかった。これも日本の大不幸か?
その原因は明治維新に対する幻想である。維新によって生活が豊かになり楽になるという幻想。
豊かな生活をする為の精神的な準備、文明社会に生きる為の内面的な準備がなかったのだ。
「教育勅語」や「軍人勅諭」の教えに導かれて、効率的生産、能率的軍備を増強した日本は
どんどん豊かになっていく。勿論、飢饉などで酷い面もあった。しかし豊かさを実感したから
こそ、不満も軍事テロ等へとエスカレートしたのである。

従って戦争に対して負けないのであれば、天皇さえ明確な反対は出来なかった。マスコミが
軍隊のお先棒を担いだのも、「バスに乗り遅れるな!」だったのである。明治の元勲達は、
日露戦争でも、冷静な判断力を失わず、ロシアに勝った等という幻想は抱かなかった。
それに対して、大正・昭和の指導者には、元勲達の思いは伝わっていなかったのである。
明治維新の失敗は、戦後の復興後も繰返されている。国家宗教の呪縛と物質文明の発達に
目がくらみ、日本人の美しい心、尊い内面性を軽視し、物質文明の発展を最優先してきた
為である。現代に至るまで、日本人の美しい心、尊い内面性は絶え間なく損なわれている。
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橋下フィーバーと群集心理 [社会]

今朝の朝日新聞にも「橋下市長の大阪府民の支持率調査」というのが1面に掲載されていた。
1市長の支持率が大新聞の1面に載るのは珍事だが、橋下市長率いる維新の会が国政に関与
するから、という事のようだ。「次期衆院選で影響力を持って欲しいかどうか?」を問う
アンケートらしい。維新の会の詳細も立候補者の人物も不明確な状況で、回答者の回答に
どれだけの信憑性があるか知れたものではない。そんな質問をした結果を1面に載せるのも
狂っているとしか思えない。しかも調査母数:1443件、回答率64%。統計的信憑性は≒ゼロ?
従来、政党や政府の支持率調査でも、大新聞の世論誘導の手段として批判されてきた。
「維新の会」調査は、既存政党や政府の支持率調査よりも、一層酷い世論誘導である。

朝日新聞だけではなく橋下人気にあやかりたい大新聞は、こぞって関連記事を取上げている。
一番漫画なのは、「大阪維新の会」の選挙公約の事を、大新聞もネットも、なんの断りもなく
幕末の龍馬の船中八策にあやかって、「船中八策」等と呼んでいる事である。これは誰が
言い出したのか?橋下あるいは維新の会が付けたのなら、お前ら「馬鹿か?」と言いたい。
幕末の歴史的英雄とされている竜馬に、自らをなぞらえるとは、礼儀知らずにも程がある。
また、マスコミが付けたなら、公正が看板のジャーナリズムの名を返上してもらいたい。

私は「第二次世界大戦になぜ、日本は参戦したか?」を年来のライフワークとして、取組んで
きた。そして到頭、政治に群集心理を利用するマスコミの正体を目の当たりにした。
第二次世界大戦におけるマスコミの戦争協力は、軍部の締め付けのため、という口実が嘘だと
承知していたが、何故、マスコミが軍部のお先棒を担ぐ様な真似をしたのかが解せなかった。
しかし大新聞をはじめネットも含めて、皆が橋下を龍馬に見立て、橋下フィーバーに浮かれている
様を、誰一人可笑しいとも思わず浮かれている状況から、大凡の見当は付いたといって良い。

いつの時代にもいる衆愚というのは、困窮の原因を環境(社会)のせいにする。従って
橋下フィーバーに即座に反応し、便乗して、浮かれ騒ぐ輩が出てきても何ら不思議ではない。
しかしマスコミも分裂症患者なのか?困窮の原因を国家に押付けて恥じる事は無いのか?
橋下は、今や出来もしない国会改革、総理公選制、道州制などの誇大妄想狂に成りつつある。
何年も掛けて大阪府の問題も大阪市の問題も不十分なままで棚上げして、「船中八策」か
「船中泊」か知らぬが、そんなもので、日本の本質的な問題が解決すると思っているのか?
一般庶民が、生活の苦労から逃避するために、はかない夢を見るのは良いだろう。だが
真ともな知識人やマスコミが、今更、理想的社会を夢見て、愚かな群集心理をかき立てて
どうするつもりなのか?勿論、マスコミは、橋下フィーバーは金儲けのタネになるから、蜜に
群がる蟻の様に皆が群がるのだ。しかしそれだけだと、安心してはならない。
金を儲けに目が眩みだすと人間の強欲は、社会を破壊しつくすまで限界を知らないのだ。


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群集心理と時代認識 [社会]

朝日新聞の1面を橋下市長の記事が連日の様に賑わしているが、異常ではないか?以前にも、
何とか東というお笑い芸人が宮崎県知事になった時には、宮崎県庁が観光名所になった。
まあこれは地域・地方産業振興に役立った。それ以外にも、取り上げられた県知事もいた。
どうもマスコミは、アメリカのひそみに倣って、知事から総理大臣を作りたいのではないか。
文筆の力で、総理を誕生させるのが、政治記者の「夢」なのか?兎も角、最近の新聞には
うんざりするので、何でこんなフィーバーが起こるのか考えてみた。

C.G.ユングは第一次世界大戦後から第二次世界大戦後迄、ドイツ問題を扱った論文を残して
いる。その中で群集心理の問題を多面的に論じている。私は此処で、そんな難しい事を書く
つもりはないが、読んで感じたのは、その時代認識と、現代との類似性である。

ユングの当時の時代認識には、例えば以下のようなものがある。
* 神を失った人間は、別の神や、例えば金、労働、政治的影響力に強迫観念を持つ。
* 意識だけを自分だと思い込み、無意識を締め出してしまう(人格の分裂)。
* 意識と無意識、精神と自然、知識と信仰の間に葛藤が生じる。
* 意識が、本能を抑圧できなくなると、病理学的な分裂の様相を呈する。
* 意識は、あらゆる困窮の原因を環境(社会)のせいにする傾向が強い。
* 抑圧された者たちの為という集団運動が、転がり始める。
* 要求が満たされても形こそ違え、同じ苦難を繰返す。狼を追い払うに虎を使う。
* 外部の政治的、社会的改革に向かう。内的人格分裂も解決されると勘違いする。
* 文化こそ、恐るべき集団化の危機に立向う唯一の手段である。

ナチスドイツの問題は、文明の進展した先進国にとって解決済みの問題ではない。
確かに日本では「東日本大震災」でも、暴動や略奪がなかったと海外から高い評価がある。
日本人の無意識は、こういう大災害の時にはいまだ健在だったという事である。
しかし第二次世界大戦の当時には群集心理によって戦争に突入した。日本人の無意識は、
負の状況ではうまく働いても、攻撃的な状況では決して手放しで信用できない。
上述した当時のユングの時代認識と現状の政治状況を見る時、橋下市長の記事は異常では?
これはまるで、新聞が提灯持ちして、橋下一派を大宣伝しているだけではないか?
道州制などという問題は時間を掛けてジックリ議論していくべきである。
欧米社会を悪し様に批判する割には、日常生活で欧米崇拝している分裂文筆業者では、
革命や革新は、欧米社会の悪しき伝統である事が今だ分らぬのだろう。 如何なものか
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伝統・文化とロボット [社会]

伝統・文化の伝承という事で一つの事例を新聞紙上で見つけた。今朝の朝日新聞の31面
「先人に学べ、新防災力」と題し、東日本大震災の教訓から、各地に残る津波被害の石碑や
古文書が注目されているという事を報じていた。先人に学び、子孫に伝える意思は、
伝統・文化伝承の原点である。しかしこういう被害情報が何故一般に伝承されにくいか?
被害地を完全な遊休地にするなら別だが、何らかの運用を続行するとなると、長年の間に
被害情報の公明正大化に利害関係が絡んでくるからである。

この記事の様にやけに意気込んだ「伝えねばならぬ!」調の伝統・文化伝承を、私は常に
眉に唾してみる事にしている。「相撲は国技」とか「オリンピック開会式の服装」とかでマスコミが
思い出した様に説教調でまくし立てる「伝えねばならぬ!」式の伝統・文化、礼儀作法に、
私は関心が薄い。私が「伝統・文化伝承」という時、それは成長期に無意識に身に付いた
伝統・文化や、成人後に政治的社会的な立場で主張する伝統・文化(或いは礼儀作法)に
関する問題ではない。私の関心は、夏目漱石のいう「内発的開化」によって自らが見出す
自己の人生を生きる上で大切な「伝統・文化」、或いは心の礼儀作法である。

人間が赤ちゃんの時に言語を学習できるためには何が必要だろうか?私の考えでは、誕生、
いや誕生前から最低限度の価値観を持つ事だと思う。この最低限度の多様な価値観こそ、
人間の言語学習能力、その他、人間の学習能力の源泉だと思う。何故なら、ロボットは愚か
最も知能の高い動物すら、人間の言語学習すら出来ない。ロボットに様々なロジックを組み
込んで幾ら仕込んでも、猿真似以上には成らないのではなかろうか?何故ならロボットには
命(即ち「死」)がないから、独自で価値を持つ事ができないのでは?
人間が成長期に無意識に身につけた伝統・文化も、決して貴方任せで身につけたのではなく
選択幅が少なかったとはいえ、本人の自主的判断で身につけたものだろう。

人間は最初から価値観を持って自主的に学習し、価値観を加筆修正する事によって成長する。
しかし、人間は愚かで過ち多き生物だから、加筆修正には、いつも誤謬がついて回る。
そういう所から様々な問題が噴出してくるが、それらの問題解決もまた人間としての営みで、
恥じる必要は無く、楽しんで問題解決すれば良いのである。自ら価値観の中を探索しながら、
問題解決の傍ら新しい発見があったりすると本当に楽しいものである。そういう時には、
人々は様々な所で繋がっている事を確信できる。人間がロボット人間に陥るのは、誤った
加筆修正を頭から正しいと信じ込み、突っ走るためではなかろうか?
他人の批判よりもまず、自分の伝統・文化の棚卸しが大切ではないか? 如何なものか
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ロボット人間とは? [閑話]

昨日約20年前のTVドラマ「系列」の話を書いた際に、「日本は自立できないロボット人間の
大量生産時代に突入」と、ロボット人間化が20年前以上に進んでいると書いて後悔した。
それは「ロボット人間とは何か?」を、曖昧にしたままであったからだ。私の様な愚か者に
この様な問に応えられる能力はないが、一度書いたことに対する責任を果たすために、
20年前と現在との比較という視点から、考えの一端を書き止めておきたい。

ドラマの中の元会長:浜岡茂哉(佐藤慶)は何故、川谷拓三演じる立山社長をロボットと
決付けたのだろうか? 《常に発言には表と裏がある。しかしそれをいちいち並列標記して
いると、学術論文の様に論旨が分かり難くなるので省略する。》
元会長は系列下請けとして、親会社(東京自動車)の横暴に反抗し戦ってきた。立山は、
吸収合併した会社からの生残り。元会長は志を同じくしていると思ったから社長に抜擢した。
吸収合併された会社を愛した立山から見れば、現在の会社(浜岡一族創業の大成照明器)も
東京自動車と一緒。自分の生残りのためには妥協も、裏切りもあり、という訳である。
立山の意見に賛同した仲間も、似た様なものだと思う。

この様に、ミクロに状況を分析すると、立山をロボットと決め付けるのはおかしい?
そこで今度はマクロな視点から、立山=ロボット?を考えてみたい。
関係者が、立山社長就任パーティに、親会社の指令で大勢欠席した。それら関係者と同様に
親会社の命令で会長を蹴落としただけではないか?否というなら立山は、自社の為元会長を
蹴落とした後の構想があったのか?目先だけのその場凌ぎではないか?もっと言えば、
元会長の構想を理解した上で、拒否したのだろうか?親会社任せの無責任行動では?
「皆で渡れば怖くない!」という、無責任造反の謗りを免れないだろう。

此処まできて気付かれたことと思うがロボット人間とは、言われた事を忠実に実行する人間
という意味ではない。現に立山は、元会長の言う事を聞かず親会社に寝返ったのだから。
ロボット人間には、人間臭い深い思いがない。尊敬する人生の指導者、を持ってない人間と
いう言い方もできる。人間は、伝統や文化によって成立っているが、伝統や文化を伝承する
という事を、忘れてしまっているのがロボット人間?自立した人間は、伝統や文化によって
自由になる。いつも自分の居る所を心得ている。仕事も、鍛錬も、戦いも、遊びも、学習も
何もかも、自分の居場所から出掛け、そして英気を養う為に、何時でも戻って行ける。
現代の若者に居場所がないというのは、ロボット人間化の証拠では? 如何なものか
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