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ネットと分断社会 [社会]

今日も月間雑誌「Will」3月号の記事・「ツイッターは“バカの絆”」小林よしのり著 を
取上げて考えてみたい。著者は、仕事や調べ物には、ネットの便利さを評価しているが、
ネットの「言論」に懐疑的? そこで、twitterやfacebookといったソーシャルメディアが、
言論を形成する土台たりうるか?を論じている。記事の結論は、有益な情報交換を
している「共同体」と、無益?な仮想の「共同体」とに二極分化している。
そして、誰もが平等だった?はずのネットが分断されているから、「ネット社会」も
限界が迫っているのでは?という。
その推論の根拠は、1) ‘共同体の絆はもっと具体的で身体的’
2) ソーシャルメディアでの繋がりを、「共同体の復活」と言えるのか?言えない、である。

ネット上の空疎な記事の例を上手に挙げて、なかなか面白い議論をしてくれている。
私は常に、人の発言を善意に解釈するように心掛けているから、この記事に関しても
色々と啓発される所があった。 啓発された内容を一部書いておきたい。
1つは、人間は人類全体、集団、共同体、個人という様々なレベルにあっても、自ら
統一体として実現するという課題を担っているという事を、改めて思い出した。
もう1つは、人と動物との特徴的差異としての文化(知識、信仰、道徳、法律、慣行等)を
世代を通じて伝えていく動的過程の中で、人間を把握する事の重要性である。

人間は、当初、社会に抱かれた状態にあり、そして自我に目覚めて社会と対立し、やがて
社会と自己とを統合する事によって自己実現していく。「Haru曼荼羅」は幼い時期、
早い段階での社会と自己とを統合した証である。個人としての成長過程でも、共同体や
公的・私的の様々な組織の変容においても、「社会との統合」の概念が重要だ。
主体(個人や組織)は、動的過程の中で世代を通じて文化を伝える様々な社会生活の側面を
観察し、その側面に働きかける事によって、主体も、社会との統合の機能を活性化できる。

ネットは、そういう観点から利用すべきものであろう。従来の何かの代替品ではなく
創造的な使い方を編出していくべきであり、固定観念に囚われては駄目だろう。
新しい道具は、何でもありがたがって使うべきだというのではない。ソーシャルメディアは、
文化を伝達する手段として、万人から可視化されているのではないか?
閉鎖的なものもあるかも知れないが、それもまた、文化を伝える実態である。
世代を通じて文化を伝える様相を、多面的に捉える事が、社会との統合化に繋がる?
ネットが分断されているのではなく社会が分断されているのでは? 如何なものか
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