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伝統・文化への思い [思い出]

私が伝統・文化を尊ぶというのは、自分の祖先を身近に感じ様とする事である。母方祖母の
曾爺さんの一人とは、小学生時代に田舎で会っているから、リアルに思い出す事が可能だ。
農家だったから、家に農作物を餌にしている小さい虫達がいて、這い回っていた記憶がある。
当時は、農薬もなかったのだろう。一晩、泊まったが、それでも悪い印象は残っていない。
ねずみや小鳥や虫達と共存していた農家の佇まいが、まるで昨日の事の様に映像化できる。

曾爺さんは何か威厳の様なものがあった。当時勤め人だった親父が尊敬している様に思えた。
父方の祖父と曽祖父は私の産まれる前に亡くなっている。宮大工の棟梁であったという。
幼い頃に聞かされた話だから、真偽のほどは定かではない。父方の祖母も余り記憶にない。
母方の祖母が一番長生きしてくれ、晩年は一緒に住んでいた。体を動かす事が好きで、畑で
野菜や花を育てていた。ほぼ一生涯、農婦として貫き通した、ということが出来るだろう。

私の先祖の直接的思い出は精々、この辺までであるが、こんな話が伝わっている。
明治23年の国会開設の話に関して、私の曾爺さんかどうか知らないが、「国会が開かれる」
というので、どんな大きなクス玉が開かれるのだろうと楽しみにしていたというのである。
のん気な浮世離れした話で眉唾とも思われるが、田舎人独特の諧謔?と思ってみたりする。
ただこの話で感じるのは、明治維新は、制度的には木で竹を継いだ様な不連続的な事件だが
地域の人々にとっては、地に根を張った揺るぎない自信、伝統・文化の継承が伺われる事。
そこには、兼好法師が説いた「珍しいもの、面白いもの等には距離を置いて見る」精神が
息づいていると思われるのである。

兼好法師は南北朝という激動の時代に朝廷に仕えた貴族だ。学校で習ったときには、なんで
こんなに断定的に価値観を決め付ける事ができるのか?と、反発したものだ。しかし思えば
史上でも稀な南北朝という動乱の時代を生抜いた兼好は、出家して「聖」の世界の住人となり
貴族の身分を解脱し、一人の人間として生きるための得がたい智恵を我々に残してくれた。
伝統・文化は、反発するものでもなければ、鵜呑みにして、偶像視するものでもない。
批判的に受止めながら、真髄を抽出して、それぞれの生きる智恵とするものだと思う。

物質文明の発展にも惑わされず、日本人の美しい心・尊い内面を磨く鏡として伝統・文化を
批判的に受止めながら、真髄を抽出することが重要ではなかろうか?現在の悪の資本主義
(善の資本主義もある?)・悪の商業主義に毒されたマスコミや、会社、そしてそれらに
振回される政治家を含む全ては、軽蔑し無視するしかない?何時か滅びる!如何なものか
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