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春日これ好日? [閑話]

◎ うらうらと 心浮き立つ春なれば 軽やかに鳴く野辺の鶯 (拙作)
ぬるむ春になれた身に、この処の花冷えは、ひとしお身にしみた。その反動で、
この暖かさは、桜の開花を一挙に早める事になるだろう。
  
おぼろの春に無粋な話で恐縮だが、野田内閣が今日午前、消費増税法案を閣議決定した。
消費税率を2014年4月に8%、2015年10月に10%に引き上げるという。
閣議決定は良いが、連立政権内部は、国民新党は政権内残留組と離脱組に分裂。
民主党内も、小沢元代表らの反発も予想され、支離滅裂状態のようだ。そこで今日は
素人なりに各政党首脳の発言内容を吟味して、何が真相なのか?検討してみた。

1)みんなの党・渡辺代表発言の注目すべき点は、「民主党は国民との約束よりも、
  官僚との約束を優先した」という内容だ。この発言を吟味する。

野田首相が、政治生命をかけて消費増税法案を23年度末迄に閣議決定した理由は、
昨年11月の主要20カ国・地域(G20)首脳会議での国際公約履行のため?内容は
「社会保障と税の一体改革案を具体化し、実現する法案を平成23年度内に提出する」
それはまた、自民党政権が敷いた政治スケジュールなのである。自民党政権時代に
決められた「法案提出期限」(守らなければ法律違反)付の大事な法案が、
連立政権の3党合意で蔑ろにされた理由はなにか?思い出した理由は何か?

第一の理由> 政権交代で舞い上がっていた!というしかない。民主党政権内の人々は
 所詮、その程度の人物集団でしかない、という事である。
第二の理由> 対国内総生産(GDP)比で約2倍に積み上がろうとする国・地方の長期
 債務残高、である。そしてこの理由こそ、渡辺代表が指摘した「官僚との約束を優先」

2)自民党・谷垣総裁の発言「マニフェスト(政権公約)違反のけじめをつけなければ
  ならない。衆院解散・総選挙をすれば問題解決の道筋もおのずから見えてくる」
  この発言を吟味しよう。そして、明らかになった事を基に今後を考えよう。

「マニフェスト(政権公約)違反のけじめ」とはどういう事か?
1)で見てきたように、民主党政権は、消費増税法案には当初、見向きもしないで
八ツ場ダムだの、基地移転のトンチンカンだの、‘事業仕分け’だの、子ども手当だの
高速料金無料化だのの幼稚園生政治で、全く「着眼大局、着手小局」を欠いていた。
確かに「政治家指導で官僚無視」だったかも知れないが、こんな政治では国が潰れる。

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平等社会がダメにする日本?(2) [閑話]

S50年(1975)とH17年(2005)の文教費は、GDP比では16%-しているが
高等専門学校、短期大学、大学、大学院、国立養護教諭養成所、専修学校、各種学校等の
卒業生の減少比は、-12.6%であるから、文教費の削減が少し多い事になる。しかし
S50年(1975)とH17年(2005)の出生者数の減少は、32%-となっている。従って、
文教費は、出生人口減にも拘らず、一人当たりの費用を拡大している事になる。

以下に、S45('70)~60('85)、H2('90)~17('05)の五年毎、20('08)の
高専・短大、大学・大学院、各種学校等の3種類に分け、その年度別卒業生数、
卒業生出生時点概数を示した。(学校全体の卒業総数は省略した)
('70)高専短大121,048 大学大学院253,488 各種学校1,320,345 出生数2678792
('75)高専短大149,284 大学大学院329,459 各種学校1,095,262 出生数2005162
('80)高専短大177,881 大学大学院397,538 各種学校1,098,711 出生数1566713
('85)高専短大182,655 大学大学院396,975 各種学校1,032,866 出生数1618616
('90)高専短大217,396 大学大学院431,719 各種学校995,458 出生数1934657
('95)高専短大256,663 大学大学院542,977 各種学校899,270 出生数2038602
('00)高専短大187,758 大学大学院607,096 各種学校708,352 出生数1755100
('05)高専短大114,682 大学大学院638,391 各種学校645,004 出生数1515392
('08)高専短大94,060 大学大学院653,886 各種学校545,098 出生数1431577

以上のデータから一目瞭然ながら、高度教育の方向が大学一辺倒だということ。
大学大学院の'08/'70の増加倍率は、単純倍率で2.6倍、対高度教育卒業総数比で3.4倍
対出生者数の倍率では、4.8倍になっている。

現代が就職難の理由は、求める人材と供給される人材が大きく食い違っている?
昨夜もTVで言っていたが、現代の大企業では指示待ち人間には用がないという。
私もそう思う。私の若い頃('70頃?)欧米の一流企業数社と技術情報交換会で、
各種の情報交換をしたが、一番驚いたのは、大工場に学卒が少ないこと、工場の
人々も全体的に少なく、会った人は皆、非常に優秀だが、高卒が多かった。会議は
私の場合勉強で、課長のお供だったが、各社の代表は皆、単独で乗込んで来た課長や
工場スタッフだった。課長だった人は、老練な感じの高卒だった。工場スタッフが
代表の会社は、学卒とはいえ、現場の細かな情報も何も見ないでも即座に応答でき
工場設備の議論ではメーカ技術者を凌ぐ切れ者。舌を巻いてしまった。



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平等社会がダメにする日本? [閑話]

格差社会という事で調べた(URL参照)が、所得別に、それ程、大きな歪みはなかった。
http://www.geocities.jp/yamamrhr/ProIKE0911-79.html そこで
1970~2004までの国民負担率と国際比較 (2007年10月17日記載:URL参照)を見た。
http://www.geocities.jp/yamamrhr/ProIKE0911-80.html
そこでは、米・英・仏・独・スウェーデンなどとの国民負担率を比較していた。
国民負担率とは、国や社会に対する国民の毎年の金銭的な負担の度合いを表す指標であり、
租税負担率と社会保障負担率からなっているという。これを見る限り、社会保障負担率で
近年(1995)以降は、米・英に劣るが、租税負担率では最良のクラスで、国民負担率では、
近年の社会保障負担率上昇で米国に次ぐ二位だった。

そこで、私は次ぎの様な仮説を立てた。
1.日本は稲穂の国。稲穂は揃って成長してくれるのが一番、手間がかからず人間の為に
  なる(稲穂の実っている水田を見るとよく分かる)。そのイメージが平等主義を
  理想とする様になった。事実、金太郎飴教育で、日本は日清・日露に勝って一度は
  世界の一等国になった。戦後は、民主主義が大衆化し、その平等主義が歪んだ形で
  定着した。
2.日本の平等主義が、結局は墓穴を掘っているのではないか?

戦後日本の敗戦の傷跡は、東日本大震災の何百倍もの大きさだった。人的死者3百万人。
その傷跡を癒した上に、上述した様に、西欧諸国を上回るレベルに到達した。
戦後の日本は、戦中の「産めよ増やせよ」と戦後の「団塊の世代」で人口急増
1950 総人口83.6百万人 出生:22百万人 死亡:9百万人 自然増減:13百万人 
2010 総人口128百万人  出生:9百万人 死亡:12百万人 自然増減:-3百万人
この間の死亡者は、7~11百万人へと緩やかに上昇している。(以下のURL参照)
http://www.geocities.jp/yamamrhr/ProIKE0911-118.html

そこで、歪んだ平等主義という仮説を実証するために、文教費を調べた。
文教費は、GDP比率では下がっているが、学齢人口減を考慮すれば二倍以上に相当する。
S50(1975) 文教費総額:81,189億円 GDP:1,523,616億円 文教費/GDP:5.33
H5(1993) 文教費総額:230,509億円 GDP:4,806,615億円 文教費/GDP:4.80
H17(2005) 文教費総額:231,230億円 GDP:5,033,668億円 文教費/GDP:4.59
http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/005/07053115/003.htm (続く)
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‘縁’ に導かれて(3) [物語]

今日のNHKTV小説「カーネーション」で糸子(夏木マリ)が、インタビュ記者に面白い事を言っていた。
以前の88人のボーイフレンドが91歳になり91人になった話から、糸子が、大切な人の輪を築けた
理由を説明する下りである。「何かに挑戦して成功した事例は、自分の為ではなく、
人の為を思ってやった時で、欲張って自分の為にした時は全部失敗した」。
「その事だけは、たった一つ、自信もって言える」というのである。

新聞記者は、それを聖書の言葉「与うるは受くるより幸いなり」に置き換えた。
この聖書の言葉に類似の諺が日本にもあるが、その意味は、「情けは人のためではなく、
いずれは巡り巡って自分に返ってくるから、日頃から親切を心掛けなさい」という事。
それに対して聖書の言葉は、「自分や与えた人々の内面が磨かれ、成長した結果として
精神的に報いられる」という風に解釈するらしい。日本の諺には、聖書の言葉のような
精神的報酬ではなく、物質的報酬を期待している様に見えるが、考えすぎであろうか?

糸子は聖書の言葉をどう解釈しているのだろうか?今日、それをうかがわせる場面がある。
昼時、餓鬼の様に「うなぎ、うなぎ」と騒ぐ糸子を見て、秘書の孝枝(竹内都子)が、
新聞にカッコつけた記事を掲載しながら恥ずかしくないか?と責める。それに、糸子は、
「人一倍欲深い人間やから、散々苦労した挙句にたどり着く境地」と、うそぶいていた。
私見では、糸子の境地は、聖書の言葉と、日本の諺の中間に位置する様に思える。
世の中の実態は、理念系ではないから白か黒かではなく、常にグレーゾーンなのである。

糸子が91歳で91人のボーイフレンドをもつという「結果」を生じる為に、その原因としての
糸子の性格は、本人も言っている様に人一倍欲深い人間で、聖人君子ではなかった。では
どうしてその様な「因」から、その様な「果」が生じたのだろうか?話は少し飛躍するが、
「縁」とは、人為的にままならないものらしい。因と果との間に「外的条件=‘縁’」が
働くから、人間がいくら作為しても、結果(果)は、ままならないのである。

聖書の言葉通り聖人君子のごとく生きても、外目からは幸せにはめぐまれない事もある。
糸子の様に、人一倍欲深い人間でも、人もうらやむ様な晩年を迎える人もいる。全ては
‘縁’ に導かれているからではないか?外目や人目から見えるものは、友だちの人数、
財産の多寡、コミュニケーションしている様、表面的外見などである。人もうらやむ様に
見える糸子も、精神的に豊かになっているのだろうか?人にはわからぬ。
駄々っ子の様に「うなぎ」やら「ヘレカツ」を食べたがるのは、如何なものか
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‘縁’ に導かれて(2) [物語]

昨日の続きで、先週のNHKTV小説「カーネーション」に関して、もう少し書残しておきたい。
当初、相川事務長(蟷螂襲)提案のファッションショーは、看護婦をモデルとしたいが、
患者は観客という事だった。私の住んでいる町(保守的)では、職員を巻込むイベントを
企画する病院はあるが、現在でも患者まで巻込むイベントは、寡聞にして知らない。
それを、糸子(夏木マリ)が一歩進めて、「患者もモデルに」と提案したところに、
糸子参加の意味があったと思う。イベントと糸子との縁ができた。

患者もモデルに参加させる事では、糸子と相川総婦長(山田スミ子)とで火花が散る様な
真剣な議論があった。互いに、自己の職業に対する自信と意地をかけての戦いである。
ドラマの時代は平成13年(2001)。当時、患者を巻込むイベントは先進的だった?
総婦長の拒絶に対して糸子は次の様に食い下がった。「患者さんにええ服を着てライト
浴びて歩いて欲しい、それを他の患者さんらに見て欲しい。医療とは何の関係もないと
思うかもしれんけど、そんな事が人に与える力をウチは、よう知ってるんです!・・・・
1人でもええ!希望する患者さんを参加させちゃってください!」
この熱い説得が、末期がん患者・吉沢加奈子(中村優子)の奇跡を生みだすのである。
加奈子が、敢えてショーの出演を希望した理由は自分が幸せになる事だ。それを知って
自分の衰えに怯える子ども達も、母親の雄々しい生き方を理解し、自分たちも雄々しく
生きて行くだろうと思ったからだ。

この加奈子の物語で思い出した事がある。それはケイン君のことである。
ケイン君の事は、2007年3/17&11/11、そして2008年12/27のブログ等で紹介した。
ケイン君は、ドラマにおける加奈子の子ども位の年齢だが、病気における立場は全く逆。
ケイン君はロスモンド・トムソン症候群と免疫不全という難病で「二歳まで生きられない
かも知れない」と言われたが、9年8ヶ月の生涯を両親、家族そして周囲の人々と共に
逞しく生き抜いた。それだけでも奇跡だが、加奈子と比べると、更なる奇跡だと分かる。
2008年12/27のブログで紹介したケイン君の本・著者:孫 理奈「ケイン、愛してるよ」に
よるとケインの頑張りは周囲の多くの人に、1.勇気を与えた。2.「生きていること」
自体が当たり前ではなく、とても幸せでありがたい事だと気付かせた。3.本当に産れて
きてくれてありがとうという感謝の気持を抱かせた。 加奈子と比べてみて欲しい。
ケイン君の母親と同年輩の加奈子(ドラマ)でも、周囲の人々に感謝や勇気、幸せを分け
与える為には、院長はじめ多くの病院関係者、そして糸子らの助けが必要だったのだ。
9年8ヶ月の生涯でそれを成し遂げたケイン君は本当に偉大な奇跡だった。如何なものか
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‘縁’ に導かれて [物語]

今週のNHKTV小説「カーネーション」は、気に入った内容、心にスッと入ってくる話、感動の
場面をまとめようとすると、指の間から水がこぼれる様にエキスが抜け落ちてしまう。
それは何故なのか?考えてみた。そして私はこう考えた。今週の「カーネーション」は
‘縁’という概念で一本筋が通っているから興味深かったのだと。

強い女・糸子(夏木マリ)も既に88歳、様々な病気を抱え、杖をついて歩く身になった。
運と才能に恵まれたがブスだった糸子と比較して幼友達の奈津(江波杏子)は気品のある
美人だったが老後は淋しい暮らし?その二人が、糸子の通う病院で再会する。この再会に
一役買ったのが、龍村院長(辰巳琢郎)。例年行う病院のイベントの件で会った事が機縁
だった。ドラマで糸子は、寝床で奈津の事を思い出していたが、奈津が糸子に浴びせる
罵声ばかりしか思い出せなかった。「ほんでも生きている内にお互いまだボケもせんと
会えたんや。奇跡やなあ」”と言っていた。

しかしその後、病院内で2人が廊下を競って早歩きするという始末。二人共88歳、しかも
奈津は点滴液をぶら下げた医療器具を引きずっている入院患者、糸子は足悪で杖つく身。
いくら年取っても強気を継続できるという「外的条件=‘縁’」があるからできる事だ。
一般には直接的原因を‘因’、間接的原因を‘縁’と位置付けているが、原因に働きかけ、
結果として万物を創造する外的条件を‘縁’とする用法もある。

今週のメインイベントは、病院で看護婦と患者が出演するファッションショーだった。この企画起案は、
母親が糸子の店のファッションショーが好きだった事を思い出した事務長(蟷螂襲)であった。
この企画を実現するまでの紆余曲折は大部分省略するが、事務長の母親が糸子の顧客で
あった因に様々な「外的条件=‘縁’」が働いて、その結果がまた因となり‘縁’が
働くという輪廻の繰返しが、素晴らしいファッションショーへと導くのだった。

事務長起案のファッションショーが、成功するまでの様々な「外的条件=‘縁’」の
殆どに糸子と相川総婦長(山田スミ子)とが係わる。二人共仕事に誇りと信念をもちながら
相手の意見が正しいと思えば協調する柔軟な精神を持っている。ショーまで二週間の頃、
糸子は総婦長から吉沢加奈子(中村優子)という末期がん患者の出演を依頼される。
最初の出演者選定時に重症患者を断った総婦長も、患者の強い要望を受入れたのだった。
その依頼を受けて、糸子は総婦長に、「・・・・ご縁をもろたんや・・おおきに」と応えた。
正に加奈子の参加は、ショー成功への「外的条件=‘縁’」であったといえる。



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続・西洋的認識の問題 [閑話]

私は2012-03-15のブログ「西洋的認識の問題」で、中国の第11期全人代第5回会議後の
温家宝の会見談話を取上げて、彼の発言で事が終結する程、問題は単純でないと書いた。
その意味は、当該ブログを読んで頂けば分かる事だが、私の関心は中国共産党内派閥闘争
問題という所にはない。温家宝が、文革(文化大革命)を持ち出した意図に関心がある。
その意図を関連事件等によって検討した上で、問題を党内派閥闘争にする事がピント外れ
である事を出来るだけ明らかにし、その真の対策としての「生きる事の意味」を述べる。

温家宝が談話に「文革」を持出したのは、四川省成都の米総領事館駆込み事件(2/6)の
問題解決に道筋を付けるためだったと思われる。何故なら談話は、米総領事館駆込み事件
の上司の薄熙来が責任を問われ、解任された前日の2012年3月14日だったからである。
それが「文革」とどう関連するのか?素人の私等には複雑過ぎて理解が困難であるが、
米総領事館駆込み事件を起こした張本人・重慶市の王立軍副市長の上司・薄熙来らが、
政治体制改革に慎重な保守派(文革で言えば毛沢東派)という事らしい。薄熙来の解任は、
第二の文革を未然に防止する狙いであると保守派に解釈させ、彼らの自重を求めると共に、
江沢民に近い次期主席の習近平にも一本釘を刺したというのが、背景になったのでは?

しかし私の予想した如く薄熙来の解任でメデタシ、メデタシとは行かない雲行きである。
今朝の朝日新聞によると、「重慶市・薄書記解任で動揺 中国、党への忠誠強化」と題し
中国共産党が、指導部への忠誠を求める6項目の内部通知を出した事が、昨日(22日)に
判明したと報じられた。此処では余り詳しくは書けないが、今回の事件は、複雑な様相を
呈している。マフィア撲滅運動を推進していた薄書記の妻とマフィアとの関係を盾に、
マフィアから公安関係者が脅され、当時、公安局長(兼務)だった王立軍が、薄書記に
直接相談した事から問題がコジれて、米総領事館駆込み事件が起きたという。
また、マフィア撲滅運動などは政治体制改革に含まれる運動である。

以上の様な内容から、政治体制改革派と改革に慎重な保守派との権力闘争という単純な
「文革」的構図として整理しきれない事は明らかだ。それにも関わらず、第二文革の
未然防止とするのは、米総領事館駆込み事件による党内の動揺を抑える狙いがあった?
問題は派閥闘争等よりも複雑であり、問題にピントを合わせられる状況ではないようだ。
しかし、それは近視眼的に、現状ばかりに気をとられているからである。
中国をはじめインドや中近東諸国等、人類最古の伝統をもつ国々が本格的に台頭する時
経済・精神の両面から見て、現状のグローバルスタンダードで地球が耐えられるのか?



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春うらら散歩 [散歩]

今日も昨日に続き好天で、おまけに風も余りなく、光線も暖かで、春の陽気を満喫した。
散歩途中、1-2歳位の可愛い女の子が、三輪車に腰掛けて何とも幸せそうな顔をしていた。
ニコニコしながら何かブツブツ言っていたが、子ども同様に幸せそうにして座っていた
お母さんに話しかけていたのかも知れない。特に意味もない片言だろうが、この陽気の
素晴らしさを片言で共有している母子に、幸せのオーラが輝いて見えた様に思えた。

それで五ヶ月前に「幸福感」について書いた一連のブログの事を思い出した。幸福感には、
更に様々な形態や性質がある事を、今日の散歩途中に見かけた母子の様子から学んだ。
「幸福感」には、環境要因もあるが、環境要因が欠けたらなくなるとは限らない?例えば
今日の様な陽気は「幸福感」をもたらすが、陽気の欠如が「幸福感」の喪失に直結するか?
もっと直截な例で言えば、経済的自由・不自由で「幸福感」に変化を来たすとは限らない?
それらは皆、個人的問題で、相対的か絶対的かは、人により異なるのではなかろうか?

私は、2011-12-01のブログ「絶対幸福感覚はあるか?」で、「病者の祈り」という詩を例に
作者が重要体験を通して、能力、健康、富、権力等の有無に左右されない「絶対幸福感覚」に
到達したのではないか?と結論付けた。即ち「絶対幸福感覚」の存在を肯定した。
「絶対幸福感覚」とは、自己の奥底から真の幸福を感受する感覚能力の事である。例えば
今日の様なうららかな春の陽気に、その素晴らしさを感受し、幸福を分かち合う能力だ。
2012-03-14のブログ「春日和」で引用した芭蕉の句
◎ よく見れば なずな花咲くかきねかな 芭蕉 貞享3年(1686) 芭蕉43歳
について、鈴木大拙は、『禅と精神分析』の中で、次の様に解説している。
「・・微塵も見せかけのない美しさ。・・その時、芭蕉の胸の内には、何とも言えぬある感じが
脈打っていたに違いない。キリスト教で言う“divine love(聖なる愛)”に通じる宇宙に
満ち満ちている生命の最も深い底に到達しているものなのだ。」

うららかな春の陽気の素晴らしさを感得できる事は、人間に「絶対幸福感覚」が本来的に
備わっている事を示しているのではないか。最も深い底に到達しているか否か別にすれば、
春の陽気は宇宙に満ち満ちている生命そのものなのだから。科学は、精神的豊かさを追求
した余禄だった。目的を見失い、科学を安易な物質的豊かさ追求の手段にする事は人間を
苦しめる?しかしその苦悩を通して人は「絶対幸福感覚」の底に徹し得る?如何なものか
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快晴散歩と古歌 [歴史]

今日は春らしい快晴。地平線に近づくに従って空は霞がかかり乳白色になっていく。
これで春らしい南風が吹いてくれるとポカポカ陽気だが、そうは行かぬと冷たい風。
昨日、春の今頃の歌を古今集の中から探していたら、次ぎの様な和歌を見つけた。
◎ 故郷と なりにし奈良の都にも 色は変らず花はさきけり 平城天皇<巻二春歌下>
「故郷になった奈良」というフレーズに何となく目が止まって、少し調べた。
平城天皇の在位は806-809。平安京遷都が794年だから、京都で天皇即位したはずで
奈良を故郷と言っても可笑しくはないが何となく釈然としない。歌の取敢えずの意味は、
◎ 青丹よし奈良の都は咲く花の にほふがごとく今盛りなり 小野老<万葉集3-328>
という和歌を念頭において、栄華を誇った奈良も、遷都によって色あせてしまった。
自然だけは、何も変らず花も咲くが、それが却って淋しさを募らせる、と解釈できる。
しかしそれは、表面的な平城天皇の心理描写に過ぎなかったと思う。

父・桓武天皇から追放を命じられていた藤原薬子(妃の母親:種継ぐの娘、皇太子時代から
寵愛して醜聞があった)を、平城上皇は天皇即位後、再びその兄・仲成と共に呼び戻した。
平城天皇は生来病弱だったが、その原因は、早良親王の祟りと言われていた。
早良親王は、天応元年(781年)兄・桓武天皇の即位と同時に光仁天皇の勧めで立太子。
延暦4年(785年)9月23日夜に起った藤原種継暗殺事件の首謀者として淡路国に配流の途中
無実を訴えるため絶食して憤死。800年に崇道天皇と追称された。早良親王の祟りかどうか
平城天皇は、天皇即位後わずか三年の809年に病気のために退位。旧都・奈良に移ったが、
上皇として、京都の嵯峨天皇と、競い立つ格好となった。そして藤原薬子の乱(810)。
平城天皇は薬子の乱後、嵯峨天皇の温情で生き残ったが、主力なき後の取巻きは隙間風吹く
淋しい状態となった。対照的に嵯峨天皇は、相次ぐ戦乱を納め「薬子の乱」後は、国内の
治世に力を注ぎ、文化面も花開いて、後世の人々に「弘仁の治」と讃えられた。

◎ 故郷と なりにし奈良の都にも 色は変らず花はさきけり 平城天皇<巻二春歌下>
という和歌の裏には、こんな凄惨な事件と、平城上皇の完敗という結果があったのである。
平城上皇のこの歌に託した心境は、「国敗れて山河あり」にも等しい詠嘆だったのでは?
崇道天皇に関しては「2010.10.08」と、 「2011-09-14」のブログに取上げた事がある。
今回は和歌から辿り着き、古代政治の質の問題を図らずも味わう事ができた。現代政治も
質の問題は同根だと直感した。基本は仁愛&聡明な知力、決断力、実行力ではないか?
一般人には、一昨日のブログで取上げた八つの欠点(八疵)と、四つの欠陥(四患)を
捨て去るのは無理?しかし政治家こそ、それらを捨て基本を身につけねば!如何なものか
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2012春分の日・雑感 [和歌・俳句]

今日は春分の日。風は少し冷たかったが、いよいよ、桜の季節の足音が聞こえてきた。
ふと春分の歌が、昔の和歌や俳句にないかと思い、少し探索してみたが見当たらなかった。
私の探索不徹底の為かも知れないが、二十四節気に関して調べた結果を基に、その理由を
少しばかり推測してみた。非常に雑な考えであるが、昔の人の気持を思い描くのも一興?

古今集には、立春や立秋の歌がある。例えば立春では
◎ 春立てど 花も匂わぬ山里は ものうかる音に鶯ぞなく 在原棟梁<卷一・春歌上>
歌意:春が来たのに梅の香もせぬ山里では鶯も、もの憂そうな声で鳴いている
更に、俳句では、
◎ 春立つや 新年古き米五升 ばせを 天和4年(1684)芭蕉41歳
また、立秋では、「秋立つ日読める」という題で、有名な歌がある。
◎ 秋きぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる 藤原敏行<卷四・秋歌上>

この様な結果から、二十四節気は、古代より日本で知られ、江戸時代前期17世紀には、
一部の支配階級のみならず、庶民階級にもそれなりに普及していたと思われる。しかし
立春・立夏・立秋・立冬など季節の始期による区分の方が、春分・夏至・秋分・冬至など
季節の中間点による季節区分よりも、日本人の体質に合っていたのではないか?
私の考えでは、日本人の季節感は、季節の変わり目というものに繊細に働くのだと思う。
季節の中間点(盛り)はその季節の様々な物事で充満しており、季節用語を使う動機不足?
よみ人知らずで、次のような和歌を見つけた。
◎ 春ごとに花の盛りはありなめど あい見む事は 命なりけり 古今集<卷一・春歌上>
歌意:春の花の盛りは毎年あるだろうが、その花盛りに出会うのは一期一会、命がけ。
春の盛りと出会う事は、命がけであり、もはや時の移ろいとは異なる次元である。

季節の変わり目における繊細な情感は、棟梁の和歌で言えば、絵に書いた様な「梅に鶯」
ではなく、花もない梅の木と鶯の間延びした鳴き声の組合せが、在原棟梁の心の中で、
立春と、わびしい山里とを対比させた心象風景を、見事に結実させたのだ。
立春(新年)を迎える慶びは、死を予感する冬を越した慶びでもある。そういう慶びは、
冷暖房完備で、衣食に何の苦労も感じぬ人々には分からないだろう。芭蕉の句で言えば、
昨年から蓄えの米が五升あるという何とささやかな事に感謝する芭蕉の「唯足るを知る」
心や、そういう生き方から湧き出てくる悦びであると思う。素晴らしい和歌や俳句を創造
する人々は、物質的充足よりも精神的充足を常に優先していると思うが?如何なものか
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