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ロボット人間とは? [閑話]

昨日約20年前のTVドラマ「系列」の話を書いた際に、「日本は自立できないロボット人間の
大量生産時代に突入」と、ロボット人間化が20年前以上に進んでいると書いて後悔した。
それは「ロボット人間とは何か?」を、曖昧にしたままであったからだ。私の様な愚か者に
この様な問に応えられる能力はないが、一度書いたことに対する責任を果たすために、
20年前と現在との比較という視点から、考えの一端を書き止めておきたい。

ドラマの中の元会長:浜岡茂哉(佐藤慶)は何故、川谷拓三演じる立山社長をロボットと
決付けたのだろうか? 《常に発言には表と裏がある。しかしそれをいちいち並列標記して
いると、学術論文の様に論旨が分かり難くなるので省略する。》
元会長は系列下請けとして、親会社(東京自動車)の横暴に反抗し戦ってきた。立山は、
吸収合併した会社からの生残り。元会長は志を同じくしていると思ったから社長に抜擢した。
吸収合併された会社を愛した立山から見れば、現在の会社(浜岡一族創業の大成照明器)も
東京自動車と一緒。自分の生残りのためには妥協も、裏切りもあり、という訳である。
立山の意見に賛同した仲間も、似た様なものだと思う。

この様に、ミクロに状況を分析すると、立山をロボットと決め付けるのはおかしい?
そこで今度はマクロな視点から、立山=ロボット?を考えてみたい。
関係者が、立山社長就任パーティに、親会社の指令で大勢欠席した。それら関係者と同様に
親会社の命令で会長を蹴落としただけではないか?否というなら立山は、自社の為元会長を
蹴落とした後の構想があったのか?目先だけのその場凌ぎではないか?もっと言えば、
元会長の構想を理解した上で、拒否したのだろうか?親会社任せの無責任行動では?
「皆で渡れば怖くない!」という、無責任造反の謗りを免れないだろう。

此処まできて気付かれたことと思うがロボット人間とは、言われた事を忠実に実行する人間
という意味ではない。現に立山は、元会長の言う事を聞かず親会社に寝返ったのだから。
ロボット人間には、人間臭い深い思いがない。尊敬する人生の指導者、を持ってない人間と
いう言い方もできる。人間は、伝統や文化によって成立っているが、伝統や文化を伝承する
という事を、忘れてしまっているのがロボット人間?自立した人間は、伝統や文化によって
自由になる。いつも自分の居る所を心得ている。仕事も、鍛錬も、戦いも、遊びも、学習も
何もかも、自分の居場所から出掛け、そして英気を養う為に、何時でも戻って行ける。
現代の若者に居場所がないというのは、ロボット人間化の証拠では? 如何なものか
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