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成道の釈迦像 [閑話]

DSC09306釈迦成道.JPG先日の京都散歩の時に、「京の冬の旅 2012.1月~3月」という
パンフレットを参考に東福寺三門を拝観した。その時に私が気に
なった事があった。それは三門の二階に安置されている宝冠釈迦
如来像(写真:東福寺のパンフレットをデジカメで接写。出来悪い)
である。東福寺三門の文化財を解説された方の話だと、
このお釈迦様の像は悟りを開いた直後のお姿だという。
その印の一つが宝冠で、まだ現世の姿を止めているから宝冠をつけている。また台座も、
蓮の台ではなく、ごつごつした岩の台座(実際は大きな荒削りの木組みの台座)だ。

他にも色々説明してくれたが忘れてしまった。私が衝撃だったのは、成道直後の釈迦如来像
というものがあった事である。しかし考えてみれば成道直後の釈迦像は在って当り前だろう。
聖人の一代を知りたいと思い、様々な絵姿や像をつくろうと考えるのは自然の成り行きだ。
それなら、私がこの年になるまで何故知らなかったのか?私は仏教や仏像に詳しいわけでは
ないが、子どもの頃から神社・仏閣に詣でる習慣があり普通の知識は持っている積りだった。
だから、これには何か訳があるだろうと考えた。

今日ふと、「仏像」NHKブックス20 という本を持っている事を思い出したので、その辺りの事情が
わからないかと拾い読みしてみた。釈迦像には、誕生、苦行、出山、降魔、成道、涅槃等がある
という。そして日本でつくられた釈迦像は、誕生仏と涅槃仏であり、後は、慈悲の釈迦像だった
という。何故、日本では中抜きの釈迦像で満足したのだろうか?本の中で、梅原猛は、
「できるだけ簡単な手段による救済のみが、日本の仏教では勝利した」と、書いている。

2012-02-07のブログ「伝統・文化と革新」にも書いたが、法然の教えは簡単な手段と切って捨てられる様な安易なものではない。叡山の名だたる学僧も感涙した「伝統・文化伝承」における画期的な発想の転換だった。確かに初心者にも分かりやすい成道の道であるが、底の浅いものではなく、何処までも人を巻込み、社会を巻込んで大きく社会を改革していく道筋なのだ。

東福寺三門の宝冠釈迦如来像は、日本人の作か?外国人の作か?それは兎も角として、現三門の再建・応永32年(1425)以来700年弱、この釈迦像を守り伝えてきた情熱は何だったのだろうか?成道に対する飽くなき探究心ではなかったか! 如何なものか
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