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Haru曼荼羅 [大家族]

ケーブルTVの40ch近い番組を1ヶ月分の割増料金で3ヶ月お試し視聴できるというので、正月に
子どもや孫達が来るからと視聴した。遠来の客の接待には役立たずだったが、我々夫婦は、
結構楽しんでいる。今日で韓流ドラマ「パリの恋人」と華流ドラマ「君には絶対恋してない」とが
同時に終わった。ただ、こういう物語も、だんだん飽きるだろうと予想できた。
従って2月末のお試し期間終了と共に、契約解除することにした。
DSC09207harukamandara.JPG
その理由を写真の絵等も交え説明したいと思っている。その前に
「パリの恋人」(「パリ恋」)を例に、ドラマの特質に関する感想を
簡単に述べておこう。第一に、筋立てが日本ではあり得ない様な
ケースがある。大金持のギジュやスヒョンが、叔父・甥の関係では
なく実は兄弟というのは、無理がある。日本人は観察眼が鋭い。
利害が多い有名人ならあんなに大きくなるまで、事実を知らずに済ますなど出来ないだろう。
次は韓流・華流ドラマに多いシンデレラストーリ。女性のテヨン(キム・ジョンウン)が、あらゆる
障害を乗越えて恋を成就しようというなら分かる。
だがギジュ(パク・シニャン)やスヒョン(イ・ドンゴン)そしてテヨンの恋敵・ユナ(オ・ジュウン)など
金持連中が、何時までも相手に拘り続けるのには驚く。日本のハイソサエティに詳しくないが、
相手に不自由ない日本人の金持や両家の子女なら、あんなには、拘らないだろう。

曼荼羅とは、「宇宙の姿を、自己の哲学に従って表現したもの」ということである。2010-12-04の
ブログ『「てっぱん」10週・絆の解体と再構築』において取上げたが、民男(前田航基)の書いた
大家族の絵。これもまた「民男曼荼羅」というべきだ。それは自分達父子と母親、&その夫、
それに大家、下宿人全員、更に伝さん(竜雷太)や鉄平(森田直幸)もいる。
「民男曼荼羅」は、前向きに生きる為に欠く事のできぬ統合された民男の哲学なのである。

写真は、孫のharuが、2003暮から2004正月にかけて帰郷して書いた大家族の相関図である。
Haruは当時8歳。楽しかった思い出の表現に、最も適切な絵であったのではなかろうか?私は
これを「Haru曼荼羅」と名付けた。2002年に当地に引っ込んだ我々夫婦の淋しさを紛らわせる
為に、子ども一家達が正月二年連続、全員帰郷してくれた。暖かい心遣いだった。そういう家族の
情愛が、純粋なharuの心に暖かく伝わり、創造された曼荼羅なのだろう。民男やharuが例外
なのか?「パリ恋」の主人公達が例外なのか?私の考えでは、現代の大人たちは、民男や
haruの様な心を、何処かに置き忘れ、非現実的な歪んだ夢を追いかけているのではないか?
常に統合を志向する心に、偏執狂的な恋愛や歪んだ情報は入り込まない?如何なものか
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寒さ本格化?(2) [散歩]

TV等の天気予報によると、日本列島は強い寒波に襲われ、東北、北海道等は記録的な積雪。
26日の最低気温は、岡山市-2.9℃、奈義町-7.9℃など県内16観測所全て氷点下。内8カ所で
この冬の最低を記録したという(岡山地方気象台情報)。
我家の洗面所の温度計も、一応、外気温と相当強い相関がありそうだ。

今日も一昨日同様に猫の目天気だったが、幸い雪にならず、洗濯物の取入れに帰宅せずに
済んだ。しかし帰路の風は、氷の刃の様に肌を差す冷たさであった。それでも、少し厚着を
したからか?恥も外聞もなく、声を出して合唱練習をしたからか?薄っすらと汗をかいた。
合唱に情熱をなくしたからか?ここのところ、久しく散歩で合唱練習をしていなかった。
散歩の練習は、音楽媒体に練習曲を録音するか?歌い込んで、ほぼ暗譜状態にして、
イメージトレーニングないしは実際に歌うなどを行う。散歩練習の条件が備わっていなかったが、
今度の演奏会に歌う曲を、ほぼ暗譜状態にまで漕ぎ着け、この数日、散歩練習をしていた。
お腹から声を出すのは健康に良い。「笑う」のも、そういう精神状態にするという意味と
「ワッハッハ」と、お腹から息を吐き出すのが、良いのだと思う。
歌を唄うのもそうだと思う。歌を唄う精神状態になる事に、大きな意味があるのだろう。
合唱活動の意味は、唄う精神状態でなくとも練習日は歌う習慣を継続できる所にある?

最近、インフルエンザ患者がまた増加しているそうである。しかし園庭で走り回っている
幼稚園では、患者が一人もいないという。戸外で元気に遊ぶのと同様、歌を元気に歌う人々も
インフルエンザに罹り難い、というデータは無いのだろうか? ボケをいうべきでない?
インフルエンザ(感冒)予防どころかカラオケボックスは、インフルエンザウイルスの巣窟?
ネットに、2009年?に学級閉鎖になった高校生がカラオケに殺到して問題になった記事が
あったが、今の段階では、インフルエンザ流行時には、カラオケを敬遠する人が多い。
カラオケを上手に活用するとインフルエンザ対策になる統計データは得られないだろう。
しかし、感冒に罹らなかった高校生がカラオケに行きたがるのは、インフルエンザ予防の
本能的な欲求行動ではなかったか?まあ冗談は程々にしておこう。

2009年は、1918-1919年に世界で大流行し、日本でも甚大な被害のあった「スペイン風邪」
の再来か!と騒がれた年であった。幸い、大問題までには至らなかったようである。
しかし、また何時、襲われるか分からない。その時の為に、準備を怠ってはいけない。
免疫の本によると、インフルエンザウイルス感染に強力な予防効果を持つ物質がある?
GPS(グリコポリサッカロイド)は人の臨床試験でも効果が証明されたとか。如何なものか
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寒さ本格化? [閑話]

今日は、わが家にとって今年一番の冷え込みだった。
朝、洗顔する時の洗面所の温度を2010.02.15から日記帳に、付ける様になった。
付け忘れの日もあるし、起床時間もマチマチだから正確な比較のデータになる訳ではない。
しかし気象庁等のデータよりも体感温度との相関がとり易く、気温の変化に親近感が湧く。

今日はその温度が「5.5℃」と、今年の冬最低気温を記録した。昨年12月からの我家の洗面所
最低気温は「6.5℃」。12/26、1/06、1/25に記録している。因みに2010/12~2011/03の
我家の洗面所・最低気温は1/16、1/17の「3.5℃」である。このデータを見ると、今年は
寒さの峠を今日の「5.5℃」で越えたと考えても可笑しくはない。やはり今年は暖冬か?

我家の乏しい温度観測データでは、暖冬と早計な予想も可能だが、気象庁の
中国地方1か月予報(予報期間:平成24年1月21日~2月20日)を調べた。それに依ると
今日辺りから、2月20日頃まで1乃至2℃ばかり、例年よりも低めになるらしい。
となると、暖冬とばかり安心できないが、冬物のバーゲンも粗方片付いてしまったようだ。

毎朝洗顔時、一連の私的儀式を行っている事は、2009-01-24のブログ「私的儀式」に書いた。
毎朝、上半身裸になって乾布摩擦を年中していると、年を追うごとに真冬の寒さが身にしみる。
それで、冬場の寒さに油断しない為に、2010.02.15から洗面所の温度を測定し始めたのだ。
油断してかぜなど引かないためである。
人間は不意を衝かれると意外に脆い所がある。寒さ等も、心の準備で相当対応可能だと思う。
お陰で、この冬も、散歩で鼻水を垂らしたりするが、今だ風邪で寝込んだりしていない。
不意を衝かれるというのは現状認識が十分でなく、自分がどういう立場か分かっていない?

2009-02-16のブログ「続・私的儀式」で、「私は私の肉体、各器官(脳・臓器・筋肉・口・歯
・目鼻等)、各細胞に遍在しており、・・・毎日、細胞と共に死んでゆく身であり、新しい細胞の
誕生と共に生れる身である。私は、現在に縛られない。時間に自由に生と死を繰り返している」
と書いた。昨日のブログで「人間の約60兆億の細胞の内、約2%は毎日生まれ変っている」と
いう事を教わったが、生まれ変わる細胞の数は何と、1兆2千億に上る事になる。
仏教では、霊魂に関して「輪廻転生」という言葉がある。霊魂を人間の肉体と精神を統括し
コントロールする「私」と考えると、細胞に遍在する私は、正に「輪廻転生」を繰返す。
生れ変る細胞は、古い細胞が死に、新しい細胞が生まれると考えるから死を悼む事になる。
細胞の死は決して失われるのではない。「私が手放し、私が生れ変るのだ」如何なものか
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雪しぐれ散歩? [閑話]

今日は冷え込み、朝方は快晴だったが、昼前から曇り、私が散歩に出掛ける頃は今にも
降り出しそうな気配。ゴルフの素振をしながら出掛け前に洗濯物を取込んでおくか迷った。
結局、傘の携帯だけで出掛けたが10分もしない内に雪(風花)が舞いだして急ぎ帰宅。
洗濯物を取込んで一安心。それにしても今日の天候は目まぐるしいほどの変化だった。

晴→曇→雪→曇→雪(本降り)→晴→雪→晴→雪→曇→晴と、ころころと変った。
雪しぐれには、雪と雨交じりの雪があるそうだが、今回のは明確に雪&風花だった。
慌てて洗濯物を取込みに帰った後に、雪が止んでしまって取込み帰宅は早計?と思ったが
二度目の雪は本格的な降り。もし洗濯物を出しっぱなしなら甚大な被害、と思っている。
雨宿りならぬ雪宿りを楽しみながらの雪しぐれ散歩は、なかなか愉快な散歩だった。

最近、免疫学の本を読んでいなかったが、今日読んだ所で重要だと思う事を書いておく。
記述は言葉だけであるが、本には、科学的な実験データ等が添えられている。
◎ 人間の細胞・約60兆億の内、約2%は毎日生まれ変っている。
◎ 1細胞中には30億文字分の情報が記録されており、細胞再生時、コピーされる。
◎ このコピーミスで、遺伝子が傷付き、ガン遺伝子が目覚める。
◎ この出来損ない細胞は、毎日、3000~5000個発生している。
◎ 出来損ない細胞が、本格的ガン細胞にならないようにしているのが免疫システム。
◎ 早期に、出来損ない細胞(ガン細胞)を攻撃するのがNK細胞。

◎ NK細胞は、免疫力細胞の中で最も心の持ち方によって影響される。
◎ NK細胞の活性が強い人は、ガン再発率、死亡率が低い。
◎ NK細胞の活性を高めるもの
 * 運動する。歩く。  * ポジティブな思考:イメージトレーニング
 * 禁酒・禁煙等ストイックな生き方より、(適度に)陽気に愉しく!
 * 「笑う」 但し、1時間は効果あるが、3時間は逆効果(実験結果)
◎ 腫瘍壊死因子(TNF:ガン細胞を殺す作用を持つ)などを産生する食品
 * 野菜:キャベツ、なす、大根  その他、緑茶、ニンニク、キノコ
 * 果物:バナナ、スイカ、パイナップル 柑橘類は意外に産生力低い
 * 海藻:アオマフノリ、アカスギノリ、アカノリ、ヒジキ、コンブ、ワカメ
「転ばぬ先の杖」とばかり、用心深すぎるのもストイック?如何なものか
(今日参考にした本は、藤田紘一郎著「免疫力をアップする科学」)
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高齢者ハラスメント? [社会]

最近TV等で「高齢者」という言葉が頻繁に使われるが、時々、耳に刺さる事がある。
使っている本人たちは、年寄を思いやっているつもりなのだろうが、「何だって?おめえ
バカにしてんの?」と、ちょいと言って見たくなる。昔の人もこんな事を感じたろうか?

そこでネットで「高齢者ハラスメント」を検索した。大きく分けて二種類ある事がわかった。
(a)一つは、痴呆症患者等、明らかにハンディキャップを負った高齢者に対する虐待行為。
(b)もう一つは、高齢者を「弱者」と決め付けて、上から目線で、親切そうにする事。
ハンディキャップを負った老人という意識の無い人を、老人扱いする事なども含まれるようだ。
ハンディキャップの意識の無い私等も、丸で身障者扱いだな!と、耳に刺さったりする。
こんな事を書く私も、身障者ハラスメント? そういう意味では障害者ハラスメントも多いことだろう。

「高齢者ハラスメント(b)」が発生するのは、次の様な背景があると推定した。
1) 高齢者を金儲けのネタにする為に、暗示を掛けて、思い通りの方向に誘導する。
2) 発言者が、高齢者に優しい人という印象で人気取りをしたい為に、発言をする。
要は、高齢者ハラスメント発言者は福祉で、高齢者を金儲けのネタにしようと狙っている狩人だと
ヒネクレ者の私(後期高齢者に後数年)は、考えてしまうのである。

なぜ、高齢者ハラスメント発言者が、高齢者をネタに金儲けできるのか?
それは、日本の高齢者にお人よしが多いからだ。高齢者ハラスメント発言者は、自分の
思い込みで、高齢者に優しくしているつもりであり、その話を聞く高齢者もまた自分の
思い込みで、ハラスメント発言者が、高齢者に優しいと思うからである。高齢者に暗示を与えて
後は、様々な場面で、高齢者の財布の紐を緩めさせるという手口を使うと読んだ。

ハラスメントとは、「他者への発言・行動等が本人の意図と関係なく、相手を不快にさせたり
尊厳を傷つけたり、不利益を与えたり、脅威を与えたりすることを指す。」らしい。
従って発言・行動等に他者への表立つ悪意の意図が無く、受け手も、悪意を感じなければ
全く問題は無い事になる。これは、詐欺の手口と良く似ていると思われるがどうだろう。

結局、私は何を言いたいのか?高齢者福祉の問題は大変に根が深い。無邪気な少年少女も
既に、ねじくれヒネクレて一筋縄では行かない手のかかる年寄になってしまっている。
人間は多様だと言うが、老人ほど多様な年代は他の年代にはない?年寄が言うのだから
間違いない!本格的高齢化社会こそ、本気で高齢者福祉を考えるべきでは!如何なものか
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愛or執着 [閑話]

今日は風が冷たく、日中で日差しもあるのに深々と冷え込んだ。
散歩に出掛ける前に、日差しに騙されて、昨日より薄めの上着にしたのが敗因だった。
一昨日から大寒だというのに比較的暖かだったから、油断した。油断大敵である。
そんな事から、物事を判断する時に、必須(Best)、有るに越した事はない(Better)
無くても良い、無い方が良い、という4段階評価基準について、考えた。

例えば言葉であるが、日常用語、高度な敬語あるいは高級な社交話術、砕けた話法(例えば
べらんめー口調や駄洒落)、下品な言葉使い、その他。こういう言葉の種類に関して
日本語、英語その他の外国語等も含めて、4段階評価基準で考えた時に、各評価クラスに
何が当てはまるかは、人それぞれで、その幅は随分と、多様な広がりを見せるだろう。
例えば、高度な敬語あるいは高級な社交話術が必須で、下品な言葉は無くても良い、という
人も居れば、その真反対の人も居るだろう。私等は、英語すら日常用語もままならないが、
生きていく上では余り不都合を来たしていない。しかしこれからの若い人たちは、英語、
その他、外国語の日常用語位は必須という人々も多くなるだろう。

言葉の例でも分かる様に、一人一人の人間にとって必要とすべき物事とは、その人の育ち、
文化、教養等により大きく異なる。社会は、多様な欲求を持った人々で、構成されている。
然るに今の社会(日本も世界各国も)は、バラマキ政策(高福祉政策等も含む)で問題解決
しようとし、日本では地方自治体の破産が起こり、世界ではギリシャの様に国家財政が
破綻に至っている。大阪では財政再建のために道州制を導入すると息巻いているが、問題は
制度ではないだろう。世界中殆どの人が「金は有るに越した事はない」と考えているからだ。

その考え方が、死に金を溜め込むという悪い風習と、もう一つは、本来の多様な欲求により
在る程度満足していた人々の不要不急の欲求に火をつけ、欲求不満の増大・爆発につながる。
江戸時代に「金は天下のまわりもの」という諺があった。これは金への執着を戒めたもの。
人は大部分、多様な人間性によって執着する物事が、分散されている。仏陀は、命さえ
執着すべきでないと説いている。だが醜くも最近は、金や、若さ、愛(家族愛、夫婦愛等)、
健康にも執着している。断っておくが、執着と、責任や関心とは全く異なるものである。
愛とは、責任であり、関心を持つことだが、元来は執着する対象ではない。金への執着が
引き金となり、人間が人間として執着してはならないものにドンドン執着する様になった。
醜い人間は、一部の権力者や金持ちだけで十分だったのに、現代は、そういう醜い人間を
真似る人々が増大している。これは制度の問題ではない。心の問題だ。如何なものか
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国政批判・今週のまとめ [社会]

今週の中盤は、散歩途中の読書などの影響か?国政について批判してしまった。
批判の要点は3つある。
(1) ボランティア或いは互助活動に対する「公助」における国の役割とは何なのか?
(2) 国家としての統合は、経済政策のみで片付く様な簡単な問題ではない。
(3) 福祉政策とは何か?

国家あっての国政である。永住を決意して米国に移住した人々の日系二世・三世の若者は
第二次大戦中、前線で戦い、国家への忠誠を証明した。当時、米国籍を取得したにも拘らず
日系人は強制収容所に入れられる屈辱を受けた。米国政府は当時、日系人を共通の価値観を
もった人間だとは評価していなかった?国家とは価値観を共有した人々によって形成される。

現状、日本では在日外国人の参政権に関して検討されているが、議論がお粗末なようだ。
戦後、徴兵制度の廃止に伴い、国家の認識が急速に希薄になったためではなかろうか。
米国の事例は約70年前であるが、現在でも米国では国籍がなければ参政権は得られない。
この問題一つ取上げても、様々な国で多様な取組みがなされており、人真似ではすまない。

政治というのは、利益をえる人も居れば損をする人も居る。皆が得する事は先ずない。
江戸時代は、大岡政談の三方一両損ではないが、良くてゼロサム、結局お上が持ち出し?
高度成長期は、日本の賃金が低かったために、外国から沢山お金が入ったからに過ぎない。
そんな事は今後、滅多にある事では無い。経済政策は、地方自治優先の時ではないか?

「弱者救済」の福祉政策は大切な事である。しかし福祉政策で国や自治体が財政困難になる
というのは本末転倒している。「子ども手当」もそうだが、教育や福祉など、人間にとって
とても大切な、人生の根幹にかかわる様なことを政治のタネにし、金で解決しようとする。
そこに、国政の大きな問題がある。人中心でも、新手の利益誘導型政治では仕方ない?

現在、国会議員の定数削減が問題にされているが、如何に国会議員が役立たずであるか?
国会議員が、国家として教育、福祉等で、金のかからない解決方法を編出すとか、兎も角
国家の役に立つような事を考えない限り、国会議員は削減され、官僚政治が蔓延る?
小泉政権時代には経済的にも良かったが、私が小泉元首相を評価するのは、規制緩和による
経済政策ではない。彼は小さい政府を目指し、国会議員として、官僚をコントロールし、
役人を減らす等の仕事をした点である。国会は国家のために仕事すべき? 如何なものか
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散歩つれづれ'12.01その2 [閑話]

今日は久しぶりに朝から日中、雨だった。風も雨も冷たい中、散歩に出かけたら
幼稚園帰りの園児たちに出会った。最初の子は寒そうに(淋しそうに)傘を差している素手の
両手がかじかんでいる様に見えた。しかしその子の手は、健康そうな皮膚の色をしていた。
彼が寒そうにしている様に感じたのは、迎えが、相当年配のお婆さんで、ぶつぶつ言いながら
孫or曾孫?と没交渉で歩いていたからだろうか?人間の幸不幸は、物質より心だと思う。
その後、次々と出会う園児達は皆、手袋をせず、素手で傘を差していた(大方は両手で)。
それで私は、60年くらい前の少年時代を思い出した。
冬といえば手や足は、何時もヒビ、アカギレ、霜焼。鼻は何時も鼻水を垂らす状態だった。

私は考えた。私の少年時代(昔)と、今の子たちと何が変わり、何が変わっていないか?
◎ 先ず、変ったこと。
 栄養状態が良くなって、ヒビ、アカギレ、霜焼や、鼻水垂らし状態は改善された。
◎ 変っていないこと。
 冬の雨の日も、大方は素手で傘を差し、それを不服に思う事はない。
最初、素手で傘を差している園児達に「寒かろう」、「冷たかろう」と私が思ったのは
寒さ・冷たさに弱いヨボヨボ爺の自分と同一視する、余計で愚かなお節介だった。

昨日も書いたが、政治が国家に寄与する事など、ホンの僅かなものだと思う。
「明治維新によって日本の独立を維持できた」などと見て来た様な事をいう人も居るが、
こういう単細胞な考え方をすぐ受入れるようだと、政治家に騙され続け、国が滅ぶ?
政治家が余計なお節介をし過ぎるが故に、変な方向へ行ってしまうのである。丸で、
教育ママが、子どもの育成に口出しし過ぎるが故に、子どもがダメになるのと同様である。

共産主義革命は、ユートピアの様な理想社会ができると考えられたからやってしまった。
これも教育ママの子どもへの余計で愚かなお節介と同様だ。人間の理性は感情や本能を
制御できない。感情や本能を制御できるのは、人間の本能と理性を司る霊性のみである。
この霊性を健全なものにするには、本人の主体性を尊重し、本人が自律するしかない。
霊性が乏しく、理性と本能の相克の中で生きる複雑怪奇な人間が大勢居る社会は部分的に
論理的・合理的に運営できても、総合的に運営できるものではない。人間社会を良くして
いくためには、国民一人一人が政治家の拙い言語能力を見抜く力をつけねばならない。
でないと終戦後70年近く続く「福祉政策」に飼い馴らされ、過保護の親に育てられた人と
同様、日本(と似ている世界中)の人々が、ダメ国民になってしまう。 如何なものか
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ゆるいのがお好き? [社会]

今日は、初観音の縁日の日である。縁日や祭りに付き物なのが、香具師(やし)やテキヤ。
この種の人々は、現代ではやくざに分類されている?仲間由紀恵主演のドラマ「ごくせん」で
仲間由紀恵演じるところの熱血教師・ヤンクミ、母方の祖父・黒田龍一郎(宇津井健)は、
任侠一筋の大江戸一家三代目だった。子分を演じる阿南健治、金子賢、内山信二等の活躍も
面白いが、彼らの商売が香具師或いはテキヤであった。
渥美清演じる、ご存知「男はつらいよ」の車寅次郎も香具師或いはテキヤを商売にしていた。

最近警察関係者が「ヤクザ撲滅」を掲げており、ヤクザとの黒い噂で、芸能界を引退した紳助
という有名人もいた。芸能界や「やし」とヤクザ的集団との関係は、神代の昔からの伝統で
簡単に白黒つける事は不可能だと思う。またヤクザにも社会の悪を抑制する役割を担った
正しいヤクザもいる?しかし悪は悪。国家の規律や秩序を正すという行為は常に必要。
勿論、政治家・役人の態度を正すことが、更に優先されるべきだと思うが。

私は民主党の政権交代前から、随分と民主党政権批判をしてきた。しかし昨年7月から
約半年、それを止めていた。皆が大震災で目が眩んでいる事、こんな時の批判は後向きと
捉えられること、に気付いたからである。チョッとした事でも動揺するのが人間だから、
大震災という出来事では想像を絶する混乱が想像された。現状は正に、その結果である。

民主党は官僚制度改革を謳っていた。「コンクリートから人へ」のロゴが、その象徴だった。
しかし一方で「子ども手当」等のバラマキ政策は大きな政府志向であり、官僚達の思う壺。
その上、大震災でまたまた土建ブームが巻き起こり、政治家・官僚・業界の鉄のタライアングルが
これまで以上に復活するだろう。国債等の借金が膨らんでも、天下御免の「大震災」がある。
資金は湯水のごとく垂れ流されるから、飴に群がるアリのごとくおこぼれ頂戴となる?
小泉内閣が志向した「小さな政府」構想は、ついに消し飛んで、たがの弛んだ大樽宜しく
巨大な国家予算は、管理能力のゆるんだ「大きな政府」の駄々漏れ財政へと転換された。

今振り返ってみると、「事業仕分け」等も単なる見世物。政権交代時の公約は全て破綻し、
今や、民主党が国政を担う政治的な意味は全くない。「事業仕分け」に本当の意義があるなら
今こそやるべきだ。しかし事業仕分けで政治を国民に理解させ得る程、政治は簡単ではない。
国家を担っているのは一人一人の国民の力であり、政治家が寄与する割合など微々たる物。
しかし政治の恐ろしさは、国家への寄与ではなく、悪影響の大きさである。悪影響は御免!
ゆるい政治、ゆるゆるの政治家で結構?やる気ある人々を害する勿れ! 如何なものか
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防災とボランティアの日 [社会]

1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災については、今も記憶に新しい。
1993年8月に自民党政権から日本新党・連立政権に代り、約1.5年後の大災害だった。
2011年3月11日には東日本大震災が発生したが、やはり自民党政権から民主党政権に
交代した2009年9月から約1.5年後の発生。偶然というには余りにも偶然ではないか?
この問題を少し考えてみたいが、その前にボランティアのことを少し触れてみたい。

阪神・淡路大震災の発生後、学生を中心とする一般市民のボランティア活動が活性化されて
当時の若者たちが大いに見直された。その後、ボランティア活動が活発化してきたという。
日本人は横文字を使いたがる性向があるが、昨日のブログでも触れた「互助」活動と
ほぼ同じ意味合いである。ただボランティア活動には自己顕示欲が含まれている?
日本の伝統的な互助精神の美しさは、善行を決して表に出さない慎ましさがあるが
最近流行のボランティア活動は、やたらとその活動を宣伝したがる輩が多い。
昨年、2011-03-18のブログ「ダグダー(dogooder)?」で取上げたが
ダグダー(dogooder)には、自分の善行を見せびらかすという悪い意味しかないらしい。
私は、日本のボランティア活動が、ダグダー(dogooder)に陥らない事を切に祈るものである。

従って、どうも印象の良くないボランティア活動ではなく、互助活動という用語を使いたい。
阪神・淡路大震災時、互助活動に立ち上がった人々は止むに止まれぬ純粋な気持だったろう。
それは、昨日のブログで書いた玉枝や糸子の気持と同じものだったに違いない。
目の前に心が傷つき弱った人々を何とかしてあげたいという痛切な気持に他ならない。

自民党から別の政権に交代した約1.5年後に歴史上まれな大災害が16年で繰返された。
それも、以前よりも増幅された大災害に見舞われた。それをどう考えるか?であるが
私は、大きな政府へ流れる事への警告だと思う。郵政民営化=市場原理主義と解釈し
格差拡大を是正する大きな政府志向が、天罰を受けたのだと思う。今回の災害を良い事に
増税を行い、益々大きな政府にして、国権を高揚しようという考え方は全く時代遅れだ。

(1)「自助」、(2)「互助」、(3)「公助」の優先順位を謳う自民党の小さい政府こそ
将来の日本の進むべき道だと思う。多様性のある人間が営む社会は分かりにくく、政治家が
牛耳れるような代物ではない。政治は「自助」、「互助」を補うべき立場であり、自助・互助が
政治を補うべき立場ではないのだ。本末転倒している世の中全体の人々に対する警告を
今の日本ならまだ間に合うと思っての天からの忠告ではないか? 如何なものか
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