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「義」とリスク [社会]

「義」を論じる立場は色々あるが、「白熱教室」で有名になったサンデル教授の立場は、
リベラリズムでもリバタリアニズムでもない。友情を土台とするコミュニティにおいて、自己の
アイデンティティを探求し、道徳的深みを相互研鑽し、「義」を可能にするコミュタリアニズム
の立場である。リベラリズムは福祉国家志向、リバタリアニズムは自由競争志向である。
それらに対しコミュタリアニズムは、企業や国家における集中化、巨大化によるコミュニティの
侵食を憂うるのである。実感できるコミュニティの人間的つながりの中で人間はまともになる?

細川厚労相は、8日午前の衆院厚生労働委員会で、専業主婦の年金切替漏れ問題について
「(長妻)前大臣から私への引き継ぎ書の中にはいわゆる運用3号の件はなかった」と説明。
また厚労相への就任時、事務方から受けた当面の課題説明にも含まれていなかったという。
年金という国民の権利義務を変える重大な問題を課長通達でやるという発想自体が、官僚制の
肥大化を端的に表わしている。この事象もコミュタリアニズムの妥当性を示しているのでは?

昨日のブログ、庄屋・小原七郎左衛門の件で、罰は覚悟の上で体制を信じ武士団を信じたいと
いうのも、彼の義挙を異なるコミュニティ同志の相互理解を前提としたコミュタリアニズム的
「義」と解釈したかったからだ。第二次世界大戦についてのコミュタリアニズム的「義」からの
解釈では、つながりを拒絶した自己中心的孤立国家の悲劇だったと捉える事もできるのでは?
現代日本の行き詰まりを、一般に政治家のセイにしている傾向がある。自民がだめなら民主と
いう具合に。しかし、民主が如何にダメダメであるかは、今回の主婦年金問題でも明らか?
細川厚労相は、大切な会議かそうでないかの区別も付かず、開会挨拶だけで会議内容を聞かず
問題噴出後に事態を把握したというのだから政治主導が聞いて呆れる!いくら官僚制の肥大化
といっても、こんな大問題が噴出するのは、政治家の重しが羽毛のごとく軽いからでは?
私は、こんな問題が噴出する事を、政権交代した直後から既に予測していた。そんな政党に
投票した人々は、また民主党を悪く言うだけなのか?それでは政治は良くならない?

民主党のような政権をとる能力も、政策も、器量もない政党が、なぜ政権を盗ったのか?
私の解釈では、選挙民がよく調査もせず、職場や地域で人々との議論もせず、熟慮もなく、
幅広い調査もせず、個人的な単なる思い付き、感覚だけで投票しているからではないか?
現代日本の最も憂うべき問題は、悩みや苦しみ、そして「義」の問題を熟議するコミュニティ
の崩壊ではなかろうか?労組は熟議なき偽コミュニティと成り下がった?戦前のコミュニティは
発言の自由も束縛された偽コミュニティだった。現代日本は、戦前、ほんの少しの分け前に
転んで、戦争に突っ走った当時の日本人と非常に似ているのではないか?如何なものか
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