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教育と障害者福祉 [希望]

私の愛読しているブログに障害者福祉に携わっている方(Sさん)がいる。Sさんの一昨日の
ブログにコメントしたが、その答えが気になった。深く考えられている様子が伺えたのだ。
コメント欄では言い尽せないので、此処で関連すると思われることを書いて置きたいと思う。

日本の教育現場が「平等主義」である事を否定する人はいないと思う。河合隼雄著「母性社会
日本の病理」(1976)の「能力主義と平等主義」という章で、その辺りを詳しく書いている。
欧米では、小学生の落第が常識だと言う話が書かれている。30年以上前だから変わっている?
兎も角、当時の前年、フランス全体で小学1年生の留年率が33%、小学5年間でストレートに
卒業したのは、27%だという。あちらの人は、分らないのに進学させるのは可哀相!という。
日本では、落第すると面目をなくし、やる気が失せてしまう?だから落第は可哀相となる?

母親は、子どもの能力に関係なく公平に愛情を注ぐ。「出来の悪い子ほど可愛い」というから
能力の低い子の方に余計注意するということもある。人情であるし、その気持は分る。しかし
教育現場で、この母性原理を建前とすると、当然、学業について行けない子どもが出てきて、
それが、中学、高校と進んでいくと、学校がイヤになるのは当然だと思う。

建前の平等主義で進めると、出来ない人だけではなく、優秀な人、普通の人にも問題が出る。
その補償が、学校外の学習塾、或いは芸術やスポーツ指導塾となる。しかし、そういった
枠にはまらない適性を持った人は沢山いる。そういう適性を見出したい人はどうすれば良い?
この変な母性原理の建前が、実社会の教育現場、その他にいつまでもくっ付いて離れないのは
日本人の一様序列という、個性を無視したタテ社会の構造が災いしている。個人的にいかに
多様な価値観に目覚めても究極的には目に見えない上層部の一様序列に列さない限り、唯の
人というわけである。唯の人でいいと割り切るのでは、負け犬になった様な気がする?
そこで我々は、一様序列という既存の社会的評価システムを、多様性を許容する新しい評価
システムに改革する努力をしなければならない。今こそ国民一人一人が変な平等主義の建前の
呪縛から解放される時ではないか?そして国民主導によって、真の教育改革を指導すべき時と
考える。政治が基礎教育と職業教育の有り方と真剣に向き合うように指示すべきだと思う。

国民一人一人の適性にあった能力開発こそ国力の増進、経済的発展につながり、少子化対策
にもなると思う。そして障害者福祉も、障害者一人一人の適性にあった能力開発こそが、
真の障害者福祉であり、社会保障費の削減にもつながると考える。社会福祉の建前と本音に
関して門外漢の私だが、相変わらずの教育現場から障害者福祉問題を考えた。如何なものか
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