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「純と愛」第24回感想・生きる意味 [物語]

神戸の愛の家からの帰路、純(夏菜)は、愛(風間俊介)からお試し期間終了と別れを
宣言された。実態は、自信のない愛が純に遠慮して、身を引いたというべきだろう。
純が、水野(城田優)から「愛が君を幸せにできるとは、思えない」といわれた時に
“人が気にしている事をずけずけといって!”と内心で思う場面があった。純もまた
愛とのお付き合いに不安を感じていたのである。しかし気になる愛の事が忘れられず、
ストーカーまがいの事をしてまで世話をやき、弟ジュンのお墓の前で、愛の生きる意味が
“純と二人で生きていくためだ”と宣言した。その日の内に二人はベッドイン。昔は
こういうのを“どれあい”といった。下層階級の風習で、良家では有り得なかった。
現代ではお城の様な家の人も、ホテルのオーナーの家の人も、“どれあい”?

「生きる意味」を見失う人間が大量発生する様になったのは、既に久しい事である。
それは、現代の溢れ返る情報が、人生に一番大切な事を、覆い隠してしまったからだ。
昔は爺さん婆さん、親や親戚、ご近所のおじさんおばさん、誰でも知っていた事が、
現代では、それらの人々のほとんどが、目先の欲に囚われて忘れ去っているのである。
純から「何の為に生きているのか」といきなり問われた水野が,仮に知っていたとしても
素直に答えられるか?疑問だ。そんな事は知っていると、笑い飛ばされるのがオチ。

愛は、高校時代まで諸事万端に優れ、多くの賞状やトロフィを獲得して得意になって
いたのだろうが、弟ジュンの死によって、世間の見方が一変し、生き方を見失った。
いまや良家の子女でも、人生に一番大切な事は何も教えてもらっていないのだろうか?
そうではなく、教えられていても身についていないのである。人生は上辺の知識だけで
生きていける程、生易しくはない。
愛は、諸事万端を習い、あるいはスポーツに打ち込んでいたプロセスで、何を学んだ?
学ばず、ただ賞状やトロフィを獲得するためだった?ただ褒められる為だった?もしも
あれだけの成果を上げたのなら、そのプロセスで人生の何たるかを学べたはずである。
よくドラマで才能を誇る天才肌と、運鈍根肌の弟子の競争で、運鈍根肌が、勝つのは、
成果だけを追い求めず、そのプロセスを大切にしてそこから大切な事を学ぶからだ。

今回で注目すべきポイントは、母・多恵子(若村麻由美)に関する、愛の印象である。
妹・誠(岡本玲)との電話でのやり取りで、8年前とは異なった印象を語っていた。
多恵子の顔は「ボロボロに疲れ顔中傷だらけ。もう壊れそうで、辛そうに泣き叫んでた」
といっていた。8年前の様に、母親に対する敵意や恐怖に似た感情ではなく、同情的な
感情に近くなっている。処が「だから、もうこれ以上苦しめたくない」というのである。
妹に母を託して、知らぬ顔だって? 何か変じゃあ~りませんかね~? 如何なものか
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