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梅ちゃん先生・余話 [物語]

「梅ちゃん先生」が終り、また次の朝ドラが何事もなかったかの様に始まった。朝ドラも
単なるTVドラマの一つに過ぎないのだが、半年も見ていると別れが切なくなる。そこで
「梅ちゃん先生」物語を惜しみ、書き足りなかった私の思いを書いておこうと思う。
先ず、山倉(満島真之介)と松岡(高橋光臣)の比較検討から始めよう。山倉は帝都大卒
生え抜きの医者として頑張っていた。一方松岡は中央医大卒。帝都大学病院勤務は、師と
尊敬する下村教授(高橋克実)を慕っての事だった。学閥という閉鎖的な伝統は現代にも
存続?敗戦後価値観が一変したと言っても当時も学閥の伝統は色濃く残っていたと思う。
そんな中、松岡が助教授になり、山倉は弥生(徳永えり)に振られ落込む幕切れだった。
弥生は松岡の後に続き、研究一筋の道を歩む決意だと松岡に語ったという。時代は女性に
追風?だから山倉は、うかうかしていると弥生にも追い抜かれるかもしれない。
梅子(堀北真希)との電話で松岡は山倉の事を、「失恋の痛手等、一時の事。これからの
研究で成果を上げる事が大切だ」と言っていた。

大学という所は研究一筋でないと勤まらないだろう。山倉は、終生大学勤務というタイプ
ではない?彼は学生時代の戦後間なしに、松子(ミムラ)に結婚を申込み、見事断られ、
「では、梅子さんで」と言ってヒンシュクをかった。この例が、松岡との助教授の席を
争って敗れた山倉に何が不足しているか?を良くあらわしていると思う。頭もよく、
才能もあるのだろうが、山倉には、研究に打ち込む高い目標や信念がないのだと思う。
そういう生き様だから、開業医も悪くないと考え、弥生の婿として開業医になっても良い
という方向に流れているのだろう。従って山倉には、松岡との競争に敗れた悔しさより
弥生の父親の引退が延期され、弥生に振られた事の方がショックだったと思う。

自分自身で大きな夢や希望が持てる人には、それなりの理由があるのだと思う。
松岡は、学生時代に当時は死病といわれた結核を患って大変苦しんだ。その苦しみが
人々の命を救う研究一筋の医者を志す原動力になっている。建造も大学教授・内科部長に
までなった成功者だが彼には幼い頃の厳しい育成環境の中、養子にもらわれて育ったと
いう辛い経験がある。「艱難汝を珠にす」という諺がある。建造は負の育成環境を前向き
に捉え、親元での見通しのない貧乏暮らしの中でも勉学に励み先生の注目を浴びた。
そして勉学させてやりたいという養父母にもらわれたが、実父母と異なり苦労も多かった
だろうと予想されるが、立派な医者になる志を立て頑張ったのだ。

弟の陽造(鶴見辰吾)は、実家に残ったが、兄・建造と比較して自分の負の環境を、
後向きに捉え、不平不満の中で生きてきた。能力などは兄に引けをとらないだろうが
生きる姿勢の差が、人生の結果として大きな差を生み出したといえるのではないか?
陽造の不幸は、本来比較の対象にすべきでない建造が、身近な人だったことである。

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