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朝ドラ「梅ちゃん先生」から「純と愛」へ [物語]

朝ドラ(NHK連続テレビ小説)も切替って5日が過ぎた。
初回視聴率は、「梅ちゃん先生」を上回ったと言うが、要因は何か?
僅かな差だから、誤差範囲なのか?私には分からないが“世は太平”という事か?
題名から受ける先入観では、余り良い印象を抱かなかったが、今の所、見ている。
今迄の話の展開からは、従来の通俗的な「成功物語」のパターンだと思うのだが、
私の知っているこの種の物語は、随分古いから、焼き直しでも、今の人たちには
結構、受けるのかも知れない。

日本人は、若い時には多少羽目を外しても、大人になると、規則やルールに準ずる
「和」の精神を最優先するという事になっている。聖徳太子の十七条憲法以来の
伝統?そういう伝統の中で、ヒロイン・狩野純(夏菜)は、おじい・真栄田弘治(平良進)の
ホテルのような魔法のホテル実現に向けて奮闘し、父・善行(武田鉄矢)や就職先の
オオサキプラザホテル(以後、OPホテルと略す)の上司や先輩と衝突する。

純が志向する「お客さんが笑顔で帰る魔法のホテル」の為に、掟破りをする純が悪い?
のか、規則やルールを厳格に守ろうとするOPホテルの上司(米田政国(矢島健一)、
露木敏哉(や乃えいじ)、桐野富士子(吉田羊))等が間違っているのか?
私の見解は、“「和」の精神”という事に関する理解の仕方の問題だと思っている。

従来の聖徳太子の「和をもって尊しとなす」は、“秩序や平和を乱す個性や自由は
許されない”と解釈された。しかし民主主義の精神を取入れ、個性や自由を尊重する
現代では、もう少しマシな解釈が、成されるべきではなかろうか?
「和」とは、親しさ、穏やかさ、助合い、思いやりの心である。従って和を尊ぶとは
和の心がけで人間関係を大切にし、仕事に励む事によって、智慧が生まれ、道徳心も
訓育され、成果も上がる事を期待しているのである。

本来、規則やルールも、和を尊ぶ為の仕掛けであり、従業員の争いのタネにする為の
ものではない。純の心は、もてなしの心、即ち、「和の心」で満たされている。
確かに純の行動には、独り善がりで、根回しがない等の欠点はあるが、秩序や平和を
乱すという様なおおそれた企みのある人間でなく単純な人物?純の‘純な’素晴らしい
「和の精神」を、規則やルールで縛るのは、企業にとって勿体ないのではないか?
大切な創造性や、道徳心の芽を摘み取る事になるのではなかろうか?如何なものか
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