SSブログ

防災とボランティアの日 [社会]

1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災については、今も記憶に新しい。
1993年8月に自民党政権から日本新党・連立政権に代り、約1.5年後の大災害だった。
2011年3月11日には東日本大震災が発生したが、やはり自民党政権から民主党政権に
交代した2009年9月から約1.5年後の発生。偶然というには余りにも偶然ではないか?
この問題を少し考えてみたいが、その前にボランティアのことを少し触れてみたい。

阪神・淡路大震災の発生後、学生を中心とする一般市民のボランティア活動が活性化されて
当時の若者たちが大いに見直された。その後、ボランティア活動が活発化してきたという。
日本人は横文字を使いたがる性向があるが、昨日のブログでも触れた「互助」活動と
ほぼ同じ意味合いである。ただボランティア活動には自己顕示欲が含まれている?
日本の伝統的な互助精神の美しさは、善行を決して表に出さない慎ましさがあるが
最近流行のボランティア活動は、やたらとその活動を宣伝したがる輩が多い。
昨年、2011-03-18のブログ「ダグダー(dogooder)?」で取上げたが
ダグダー(dogooder)には、自分の善行を見せびらかすという悪い意味しかないらしい。
私は、日本のボランティア活動が、ダグダー(dogooder)に陥らない事を切に祈るものである。

従って、どうも印象の良くないボランティア活動ではなく、互助活動という用語を使いたい。
阪神・淡路大震災時、互助活動に立ち上がった人々は止むに止まれぬ純粋な気持だったろう。
それは、昨日のブログで書いた玉枝や糸子の気持と同じものだったに違いない。
目の前に心が傷つき弱った人々を何とかしてあげたいという痛切な気持に他ならない。

自民党から別の政権に交代した約1.5年後に歴史上まれな大災害が16年で繰返された。
それも、以前よりも増幅された大災害に見舞われた。それをどう考えるか?であるが
私は、大きな政府へ流れる事への警告だと思う。郵政民営化=市場原理主義と解釈し
格差拡大を是正する大きな政府志向が、天罰を受けたのだと思う。今回の災害を良い事に
増税を行い、益々大きな政府にして、国権を高揚しようという考え方は全く時代遅れだ。

(1)「自助」、(2)「互助」、(3)「公助」の優先順位を謳う自民党の小さい政府こそ
将来の日本の進むべき道だと思う。多様性のある人間が営む社会は分かりにくく、政治家が
牛耳れるような代物ではない。政治は「自助」、「互助」を補うべき立場であり、自助・互助が
政治を補うべき立場ではないのだ。本末転倒している世の中全体の人々に対する警告を
今の日本ならまだ間に合うと思っての天からの忠告ではないか? 如何なものか
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。