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古今集&散歩 [散歩]

古今集の雑歌という分類の中に、なかなか味わいのある歌がある。
◎ 紫のひともとゆえに 武蔵野の草は皆がら あわれとぞみる よみ人しらず
歌意:一株の紫草があるだけで、武蔵野の広大な草原全体に一層の情趣が加わる。
従って、この歌は、様々な状況に転じて、応用できるのではなかろうか?
ある本では、紫草を妻に例え、愛情こまやかな一人(妻)がいるので、親子、兄弟の絆が
強く結ばれ、愛と親しみの中に暮らせるのだという意を含んでいると解釈している。
しかし現代では、それは家族に限らず、さまざまなチームなどにも言えるのではないか?
   
次は、時の移ろいに関する感慨を歌ったものを集めてみた。
◎ 止めあえず むべも疾しとは言われけり しかもつれなく過ぐる齢(よわい)か
歌意:年月は止める事ができないから、疾駆すると言われるのも尤も(むべ) しかも
   つれなく素知らぬ顔で、私の年齢は過ぎて行くよ 
◎ かくしつつ 世をや尽くさむ 高砂の尾上に立てる松ならなくに
歌意:私は、この様にして一生を終えよう。高砂の尾上の松ではないのだから。
この歌は、自分の寿命が、有名な長寿の象徴である高砂の尾上の松と比べ物にならないから
自分らしく生きようと決意したものと読み取れる。しかしこれは、寿命の観点だけではなく
さまざまな観点にも応用できるものだ。己の生き様を再確認した素晴らしい歌ではないか!

散歩の話に替わる。昨日と気温は変らなかったが、風の強さが違ったのか暖かく感じた。
SJ(スロージョギング)でスタート。20分で汗が出そうになったので、そこからは歩く事にした。
散歩で目に映る景色、風の肌触り、出会う人の様子などから様々な連想が湧いてくる。
人間の考えなど、時間の経過で随分変るものだ。昔はそれで良かったと思っていた事が
今では、それは間違いだと気づかされる。考えの次元には、さまざまな次元がある。

今日も散歩の途中に美観地区を通った。人通りはまばらだが、この季節に人が来てくれる。
ありがたい事である。さすが、老舗観光地だけのことはある。週末はまた賑わう事だろう。
駅の北側に出たが、ARIOは混雑しているだろうし、時間が遅くなったので帰路についた。
SJを再開。40分弱(39分39秒)までやった。感謝のサンキュー・サンキューである。
最近は、SJもセイブしている。膝関節の問題もあるが、頑張り過ぎは良くない?と考えた。
膝関節問題に関しては、昨年暮辺りから、「グルコサミン」を飲んでいる。サプリメントは
これがはじめての使用だ。飲んだ途端に利いた様な?そんな気がしてならないの、赤坂!
この正月、カラオケで孫達にせがまれ、久しぶりに歌った「コモエスタ赤坂」の一節(^^)
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