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キリストの立ち位置 [物語]

今日は憲法記念日、そして横浜港祭りの日。横浜は今年開港150周年博。港祭りはそのイベント
の1つとして扱われているのだろうか?我々は、都会の喧騒とは程遠い田園を楽しんできた。
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昼食時に立ち寄った食堂でふと手にした小冊子(宗教関係の機関紙)で読んだ1枚の宗教画の話に感ずるところがあったので書きとめておこう。左の写真がその宗教画“アイヘンバーグ作「炊き出しの列に並ぶキリスト」”である。大阪 西成区釜が崎で、労働者と共に生き共に学ぶ本田哲郎氏の著書の表紙に掲載されているという。
この絵を紹介している宗教者の団体と私は全く関係ないことをお断りしていく。

この宗教画をどのように感じるか、解釈するかは既に多くの人々が触れているので、改めて自説を開陳しても何の新味もないかも知れないが、その絵と、紹介者の文章を読んで私は何か新たな発見をしたように思った。言葉で言い表すことが困難な気がしてきたが、
つい数時間前に感じたよろこびといってもいい感覚は強烈なものだった。

何が強烈な印象と感動を呼んだのか?それは一言で言えば、「作者・アイヘンバーグの視点」である。キリストを貧者、弱者と同列に見つめるという視点は、一般的な日本人には決して取り得ない視点だと思う。このような場合、例えば日本人は救済のための化身という解釈に立ってしまう。これと似た感動を覚えたのは高田三郎作詞・作曲の典礼聖歌“ちいさなひとびとの”を歌った時。

♪ちいさなひとびとのひとりひとりをみまもろう ♪ひとりひとりのなかにキリストはいる

“ちいさなひとびと”は幼い子供ばかりではない。飢えた人、貧しい人、亡国の人、病人、
捨てられた人でもあるのだ。キリストを広大無辺の超絶した人(或いは神)と見るのではなく
弱者と同じように無力で耐え忍ぶ姿をいとおしみ、キリストの力に頼るのではなく、彼と共に
力強く進んでいこうとする心構えというか、心の姿勢というか、そういうことに感動した。

日本には日本のよさがある。仏様に抱かれているという安心感・安堵感に包まれて生きる。
欧米は異なった背景にあることを心得ておく必要があると思う。 如何なものか。

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