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誠実と本音の間? [歴史]

昨日に続いて、ルース・ベネディクト著「日本人の行動パターン」の部分的解釈である。
今日は、米国的誠実(sincerity)と日本の誠実「誠」との違いからの感想である。
◎米国的誠実(sincerity)とは、辞書等で引くと、性格の様な一定の状態ではなく
 その時々に変わりうる心の状態を指すらしい。しかしその心の状態が、率直であれば
 即ち嘘偽りがなければ、その人間は、誠実(sincerity)であると言うのだろう。
それに対して、本書では、日本的誠実は、どの様に解釈されているか?
◎日本的誠実の反対の不誠実は、どんなに偽りが無くとも自分本位は、不誠実となる?
 日本的誠実は相手に対する敬意が必要と言う。敬意無く本音を吐くのは不誠実となる?
 日本が、欧米諸国の不誠実を責めるのは、本音と異なる行動を責めているのではなく
 また偽善だと言っているのでもない。敬意のなさ、利害対立を責めているという?

以上を簡単にまとめると、「日本外交は、欧米諸国に対して、感情的な文句を
言っている」という上から目線の大人の態度をとっている、という事だろう。

本書を読んでいると、異文化交流の難しさと共に、その勘所も分かってくる。
簡単にいうと、ある文化が大切にしている概念=プライド(優越感、自負、自慢)を
見抜いて、その根拠となっているモノゴトを明らかにする事である。
この「誠実」に関しては、欧米側が、「誠実」に文句を付けられたと思った訳だ。
一貫性はないかも知れないが、嘘偽りのない対応をしているのに、まるで嘘つき
呼ばわりされていると感じたのではなかろうか?本書では、その誤解を解いた。
欧米側は本音を出した?日本側は敬意を払ったかも知れないが建て前が多かった?
外交上の敬意等は外交辞令?大切なのは、本音による相互理解ではないのか?

本書を読んでいると、70年近く前なのにルース達、研究者一人一人の専門性の高さと、
考察の深さ、そして協働作業の素晴らしさが伺える。
1945年時点では敗戦国と戦勝国だから、上から目線の態度は仕方がなかろう。しかし
第二次大戦敗戦を良い教訓に、異文化交流の勘所を押さえ、大人の国になるべきだ。
それで、現代の日本政府は、欧米始め、中国、アジア、中近東、アフリカなどとの
異文化交流の勘所を押さえ、適切な対処をしているのだろうか?マスコミなどの
解説等を聞いていると、今だ「井ノ中の蛙」、スタンドプレーの専門家は居る?が
組織的チームとして、広く深く研究されているとも思えない。日本は、所詮、
合理的な活動には不向きかも知れない。それなら直感勝負? 如何なものか
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