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日本人とは? [歴史]

戦前の日本は敵国に対して「鬼畜米英」という侮蔑的な呼称を使っていたが、それは
日本人が、第二次大戦の連合国側も、日本を侮辱したと感じていたからだと思う。
その日本の感覚は正しかった。なぜならルース・ベネディクト著「日本人の行動パターン」は、
“西欧の倫理では、過失を犯したものの自尊心を傷つける事は望ましいとされる。
 それによって、罪を受入れる事を学べるからである。”と書いてあるからだ。

「侮辱する事は、反省に気付く機会になる」という理屈だろう。処が日本人は、
「侮辱を晴らすことは悪と見做されず、借りを返す」という道徳規準があるのだと
本書で述べられている。真珠湾以降の日米決戦は、侮辱の借りを返すために行った
止むに止まれぬ戦争だったと言う解釈なのだろう。

本書の最終章は、この西欧の倫理を引っ込め、敗戦における日本の屈辱を和らげ
如何に、日本人の自尊心を守るべきか、という事を熱心に説いている。
この説得に当って、日本人とは、斯く斯く然々の人間集団だから、復讐の鬼にしても
何の得にもならない。また日本人には然々の良い所があるから、これから開発途上国に
対する指針になるだろう、と述べている。

本書が書かれて70年弱を経過し、現代の日本人は、本書を読んでも通じない?
(私の様な化石人間でないと)なぜなら、大きく変わっている様に思えるからである。
しかし、眼光紙背に徹して読むならば、日本人とは?の問いに対する答えも見える?
例えば次の様な記述は、大変興味深いものである。
1.日本の道徳規準は形式的だから、明治政府による方向転換が可能だった。
2.このような状況次第の規準に沿って暮らす人間は、様々な習慣を身につける。
3.もっと絶対的な規準で育った人間(西欧)から見ると、矛盾している様に見える。
4.日本は何処の国よりも生活様式を放棄する必要が少なく、従来の精神と義務を
  ベースに力を尽くし、様々な状況下でも機能する事を証明してきた。
5.日本では、行動の影響について事前に想定し、自覚している為に、責任の所在は
  欧米より徹底している。これは国際関係では短所ではなく長所である。
私は、2012-12-27のブログ「ゆとり教育再考」の中で、道徳や宗教の教育問題を
考え直すべきだと主張した。第二次世界大戦の悲劇を無にしない為に、また校内暴力、
いじめ、登校拒否、落ちこぼれ等の対策の為に、道徳や宗教の問題は大切だ。
独善的でも絶対的でもない道徳や宗教を考える過程、それこそ教育?如何なものか
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