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三人の女性の接点 [歴史]

今日は、1995年に起こった「阪神・淡路大震災」の日である。
私の生まれ育った地域を含むものであり、友人・知人の多くがご苦労された。
「東日本大震災」に比べて被災地域が狭かった割りに、死者が多かったのは火災だ。
地震に対する火の元の用心は、関東大震災で学んでいたが、個人レベルでは難しい。
「東日本大震災」で防災意識が高まる中、火元と延焼のシステム的対策が望まれる。

三人の女性とは、ルース・ベネディクト、山川(大山)捨松、山本(新島)八重である。
◎ ルース・ベネディクトは「菊と刀」で有名な米国の文化人類学者。
 1887年生れ - 1948年没
◎ 山川捨松は、1871(明治4年)欧米使節団(岩倉具視団長)と共に渡米。
 1882年にヴァッサーカレッジを卒業。日本女性の学士第一号
 1860(万延1年)生れ - 1919(大正8年)没
◎ 山本八重(綾瀬はるか)は、今年のNHK大河ドラマ「八重の桜」のヒロイン。
 1845(弘化2年)生れ - 1932年(昭和7年)没

これら女性三人の接点だが、
山川捨松は、ルース・ベネディクトのヴァッサー大学における27年前の先輩。
山川捨松に関しては、2009-05-08から05-14まで「米国留学少女物語」と題し
7回にわたってブログに掲載した。
山本八重は、会津藩出身者だが、捨松も会津藩の出身である。
八重が15才年上だが、捨松が13年早く亡くなった。捨松の早世は惜しかった。

八重と捨松には、二人を悪く言った兄弟がいる。徳富蘇峰・蘆花である。
徳富蘆花は、ご存知「不如帰」で、浪子の継母のモデル・捨松を悪く書いている。
5才年長の兄・蘇峰(1863生)は八重を「頭と足は西洋、胴体は日本の鵺(ぬえ)」と
罵倒した。明治時代は、欧化に対する一般民衆の反感は相当強かったのではないか?
八重は、日清・日露戦争の篤志看護婦として、天皇に褒められている。
捨松は、様々な福祉活動などで懸命に周囲の人々を支えたが、出る杭は打たれる?
世間になかなか通用しなかった? 従って、大河ドラマにも縁がないのでは?
私は改めて八重と捨松が生きた時代を振り返ると共に、ベネディクトの著書や
ヘレン・ミアーズの「アメリカの鏡・日本」を読み返し、文明の衝突と、その後の問題を
じっくりと考えたいと思っている。如何なものか
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