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室町時代とは? [歴史]

今回の京都散歩で、日本歴史を振り返った時に、私の中で室町時代という時代が、最も漠然としている事に気付かされた。室町時代のことを断片的に語る事は多いし、一般的な認識としては、日本歴史の中でも特に「面白い時代」、といわれているにも関わらず、何か、歴史的説明にスッキリしないものが有る。その原因は、この時代の日本史学的研究不足があるのではないか?
立命館大学文学部準教授・三枝暁子は、「公武統一と室町の王権」という記事で、佐藤進一(史学者・専門は日本中世史)の記事を引用して、戦前の「皇国史観」による言論統制で、足利・室町幕府の研究が停滞したと書いている。

佐藤進一が書いているように、明治、大正期に遡って研究し、日本中世史研究が、今や大幅に進んでいるのだろうか?私は室町時代の歴史が今、どれ程、実証的に解明されているか知らない。しかし日本中世史研究が、簡単に復旧できたとは思えない。なぜなら、膨大な戦争被害、戦後の貧困化、そして価値観の変化によって、日本中世史の研究に大きな空白ができた事。また、現今の「国旗、国歌問題」や、「皇統継承問題」等の論争でも明らかなように、今もって、過去の「皇国史観」を覆す事は、微妙な問題で、簡単にはいかないからだ。今も楠正成は忠臣であり、足利尊氏は逆賊でないと収まりがつかない?

だが、そうすると、蒙古来襲という未曾有の国難から救った、北条時宗(1251-1284)の桁外れの智謀・武勇と、その指導の下に、一糸乱れず戦った御家人たちの「武士の魂」が浮かばれない。
私は、蒙古侵入の粉砕に33年の全生涯をかけた北条時宗や、恩賞が貰えず、戦費を私費で賄い、没落していった鎌倉幕府の御家人たちこそ、真の「武士の魂」をもった人々だったと思う。その後の政治を引継いだ得宗衆(執権北条家縁故)は、財産に執着する亡者に過ぎなかった。

これからは、私の勝手な「室町時代」の新解釈?である。
得宗衆専制の閉塞感を打破するために、後醍醐天皇は、「親政」という破天荒な政策を打ち出したのである。これは、天皇から公家、公家から武家へと政治の実勢が移ってきた流れとは異なるものだが、真の「武士の魂」をさらに拡大育成していくためには、止むを得なかった?

室町時代は、不安定な時代だったようである。「室町」の名称は、足利義満が、京都北小路室町に花の御所を造営したことに因んでいるというが、実は、幕府の政庁も、いろいろと変遷しているようである(三枝暁子・前書)。鎌倉時代に開花した禅宗は、室町時代に、美術、武士の精神、剣道、儒教、茶道、俳句、その他、様々な分野に影響力を及ぼした。また、外国貿易も盛んだったようである。室町時代は、まだまだ解明されていない事が多いから面白い。如何なものか
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