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組織と個人・(2) [閑話]

昨日のブログで、昭和の15年戦争あるいは第二次世界大戦の敗戦要因は、大日本帝国軍が、
「組織の盲動」に流されたということを、当事者の証言で明らかにした本について述べた。
「組織の盲動」とは、1):組織優先、個人軽視、2):失敗時の責任の曖昧さ、
3):流れに逆らわない結果の‘やましき沈黙’、という組織と個人のあり方である。
私の結論として、「日本人は個人主義には徹せない? 私は、個人主義でも集団主義でも
ない、その軽妙なバランスを執る(という道を目指す)べきだと思う。」と書いた。

その後で、夏目漱石の「私の個人主義」という講演録のことを思い出した。
漱石は、その講演で、個人主義のことを以下のごとく、実に平明に語っている。
“(個人主義を)もっと解り易く云えば、党派心がなく、理非がある主義なのです。
派閥を作って、権力や金力のために、盲動しないという事です。”

日本の組織が旨く機能する場合には、大久保彦左衛門のような権力に屈せず権力や金力による
ゴリ押しを抑えるご意見番等、大事に至らないための様々な安全装置を働かす知恵があった。
明治以降の日本にもそれらしき機能が存在していたが、5.15、2.26事件等、テロ活動のために
天皇さえも無視されるという、軍隊派閥の大暴走に突き進んだのである。

ともあれ、現代の状況を鑑みるに、問題は、「組織か?個人か?」の枠を超えている。
昔は立派だった先進国も、個人主義は廃れ、一般庶民も含め、権力や金力のために盲動し、
国家主義・集団主義国家も、一般庶民が権力や金力のために盲動する社会と化しつつある。
「近代化」という美名のもとに進行している事態は、権力や金力のために盲動する人々が
随時、拡大しているだけなのではないか? 
そういった現状の中、今なお、日本人の良識・道徳は、海外において高く評価されている。
「NHKスペシャル 日本海軍400時間の証言」の指摘通り、現代日本の官僚や企業の組織が、
大日本帝国軍と同じ問題を内包しているとはいえ、その違いを分析しないといけないのでは?
日本人が今なお賞賛されている理由を明らかにして、それをもとに日本及び諸外国に、その
ノウハウを教え平和な世界にしていく事が、日本の役割として求められているのではないか?

日本の組織と個人のあり方は、様々な悪い面もあるだろうが、人間を育てる良い面もある?
その素晴らしさの湧き出る源流を探り、その清流が、どの様にして人間を育てるのか?
清水の湧き出る源流は変幻自在、時と場所で、随分変わることだろう。しかし、そこには
何らかの普遍性を備えているに違いない。それを解明できないものか? 如何なものか
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