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続々・東京家族物語 [物語]

映画「東京家族」について、今日は私と同世代の平山周吉(橋爪功)を中心に感想を書きとめて
置こうと思う。昨日一昨日のブログでも触れた様に「東京家族」が、『東京物語』をモチーフにして
複合的重層的効果を狙ったものである事を十分承知している。従って多少の齟齬がある事に
目くじらを立てる意図はない。感じた事を記述して、後からその解釈をしたい。

まず、周吉・とみこ(吉行和子)夫妻の旅行計画である。なぜ宿泊先の子ども達と周到な打合せを
しなかったか?2012年という現代の設定だから、如何に瀬戸内の小島に住んでいるとはいえ
通信手段は、『東京物語』(1953年)とは比較にならない程に進歩しているはずである。
長女金井滋子(中嶋朋子)・庫造(林家正蔵)夫婦は、寄合い等で両親の宿泊予定と重なって
いたが、祭りなどは年中あるものではない。もう少し調製可能ではなかったか?
周吉の上京の用向きは、世話になった友人のお悔やみであり、固定された予定ではなかった。

旅行計画を詰めなかった理由は、子ども達が両親の東京滞在期間や行動を細かく設定するのは両親に失礼だと考えていたからではないか?我々の様に都会に勤務し、老後も田舎とはいえ
比較的大きな町に住んでいるものと、感覚が違うのではないか?我々夫婦が上京するとき等、
子ども達からどういう予定かを聴かれ、予定が短すぎると苦情を言われたりする。
瀬戸内の小島で育った人々には、そういう奥床しさが、今も息づいているのだろうか?

そういう感覚で「東京家族」の周吉と次男昌次(妻夫木聡)の関係をみると、互いのコミュニケーションが
かみ合わず、チグハグになっている理由が分かるような気がする。周吉の昌次に対する言葉は
きつそうなのだが、本当は思いやっていることが昌次にも分かるのではないか?昌次に対する
周吉の不満は、昌次の生き方、人生観を理解できない事である。日本の様にいつも急激に変化
している社会で生きている親子は、常に、どの世代にも言える事かも知れない。昌次に対する
周吉の不満は、昌次の婚約者・間宮紀子(蒼井優)の人柄によって解消される。息子の嫁として
紀子の様な女性がなってくれるなら、理解できなかった息子にも安心できる様になるのだ。

「東京家族」の周吉のラストシーンは、『東京物語』のそれと同様に詫びしいものだった。それでも
『東京物語』には、次女・京子(香川京子)が、まだ一緒に住んでいた。しかし「東京家族」の周吉に
同居家族は居ない。周吉はゆきちゃん(荒川ちか)家族ら隣人や地域共同体と共に生きる決心を
していたが、私には、おぼつかない様に思えた。しかし最後にゆきちゃんが洗濯物を入れる籠を
持ってきて洗濯物を出す様に言うセリフを聴いて、「あ~、大丈夫なんだ!」と思った。
素晴らしい隣人と共同体がある。いやこう在って欲しいという願望では? 如何なものか
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