SSブログ

「清貧の書」と幸福 [物語]

今日、林芙美子の昭和6年(1931)の作「清貧の書」を読了した。
この著作は、確固とした作家であることを証明したという位置付けの短編である。
物語の主人公(加奈代)は二度の結婚に失敗(内縁で戸籍は汚していないらしい)。
カフェの女給をしている加奈代は、男運が悪い。DVの紐男に騙されるらしい。
それでも懲りずに三人目の男と同棲し、高い家賃の一軒家(ぼろ屋)に引越し。
第三の男(小松与一)は貧乏画家。だが暴力を振るわれた加奈代を思いやる優しさの
ある男だった。金もないのに貯金をはたいての引越しは理解できないが、与一は
自分の才能に絶望して加奈代を頼っていたようである。清貧洗うがごとき生活。
与一は金がなくなった事を知り、ペンキ屋の仕事で稼ぐ様になるが、ある日突然
刑事達から小松世市という思想犯に間違われて、危うく職を失いそうになる。

その時に「召集令状」が、身の潔白を証明してくれた。小説の中では召集期間が
21日間という短期であり、平時にはそういう召集もあったのか?よくわからない。
兎も角、誤認逮捕を免れ、ペンキ屋の仕事での稼ぎで与一の召集期間中も加奈代は
餓死せず暮らす事ができた。召集期間中の与一の稼ぎも貧乏人には豊かさをもたらす。
召集期間中、二人の手紙のやり取りを通して、二人の愛は、確実に育まれた。

この短編の記述内容からして、加奈代のモデルは林芙美子、与一は芙美子の終生の夫
・手塚緑敏である事は間違いない。勿論、実話ではないだろう。創作的記述内容も
ふんだんに盛り込まれていると思う。しかしこの短編は、芙美子の心の変化を表す。

林芙美子は、あらゆる苦労をしながら望みどおり「放浪記」でデビュしたが、
近親者等との葛藤に悩んでいた。「放浪記」第二部文末、昭和5年(1930)の
「放浪記以後の認識」では、自分が中途半端な状況にある事を認識していた。
独力で女学校を卒業し努力して、なまじ、成功したことを悔やんでいる様だった。
「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」は、その当時の思いではないか?
そういった迷いが、晴れた事を「清貧の書」は語っている。
「風が吹き、雲がひかり、波間に鴎が縹渺として漂う。」
そのありふれた、あるがままの姿こそが、幸福(しあわせ)だと気付いたのでは?
家族との葛藤も、成功者として辛い過去を暴く人々も、あらゆる事をあるがままに
受け止めて、波間の鴎の様に、浮き沈みに拘らず、神韻縹渺の文章を書いたのだ。
幸福に関する芙美子の詩は、この短編を書いた以降ではないか?如何なものか
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。