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消費税増税に正義はあるか? [社会]

古い話を持出して恐縮だが、民主党、社民、国民新は、連立時に3党合意文書を作成した。
政権交代直後の2009年9月上旬の事だ。その中に「消費税率の据え置き」という項目が
10項から成る項目の第2番目に書かれている。今朝の新聞で国民新党代表の亀井静香が、
党議員総会と記者会見で、「民主党は地獄に堕ちるしかない」と、語ったそうである。

社民が離脱した後の3党合意に意義があるのか?という疑問はあるが、現実問題として
民主党のホームページには3党合意の経緯、合意文書の内容が現在も掲げられている。連立
政権内に残っている国民新党も尊重しているのだから、現在も有意義と見做すべきだろう。
それを無視して、消費税増税のための法改正を、野田内閣は何故言出したのだろうか?
しかも今月中に法案を提出するという。野田内閣の成立は2011.09月、まだ半年である。
私の様な一般人から見ると、民主党と野田内閣は気が狂っているとしか思えないのである。

確かに民主党が政権を盗ってから二年半、大震災も起こり状況が変ったと言いたいだろう。
この様な国難の時には超法規的措置も止むを得ない等と、国士気取りで思い込んでいる?
しかし今のご時世は、民主党や橋下の様な政治家が、明治維新の国士を気取って操れる程
柔な国ではないと思う。日本は国の借金を上回る家計の金融資産がある。そして日本は、
世界最大の対外債権国であり、対外純資産は2011.09末、二百五十兆円に上るという。
東日本大震災が起こったにもかかわらず、円高に振れているのは日本が世界の金融市場を
支えているからである。現代日本は、幕末・明治の頃とは全く違う堂々たる国家なのだ。

だから「超法規的措置」等は必要ないのである。私がその様な意見を書けば、大国意識だ
といって、現代の日本を「茹で蛙」に譬える人もいるだろう。確かに大国意識で安閑と
していれば、危険な事はよく承知している。そんなに長時間を掛ける話ではない。
民主党は、ばら撒きマニフェストで政権を盗ったが、その約束を果たす事もなく、然も
現実政治では連戦連負。大震災では“放射能の恐怖を煽る”という、政治家として最も
してはならない事を仕出かした上、連立政党から「地獄に堕ちるしかない」との御託宣。

民主主義というのは手続きによって成り立つと言われるが、もっと根本的な条件がある。
無茶苦茶な嘘つきでは成立しないのだ。速やかに解散して国民の信を問うべきである。
そして国民は、“放射能の恐怖を煽る”風評被害と同様、「維新」等と大言壮語を用い
国民をたぶらかそうとしている橋下の様な政治家を選ぶべきではない? 如何なものか
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インテリと伝統・文化 [社会]

山崎正和著「日本文化と個人主義」1990年版(以下本書と略す)の3章「インテリの盛衰」
を参考に、智恵と知識の違い、そしてそこに関係する伝統・文化について考察したい。
本書は、知識人(≒インテリ?)を明治時代の第一世代と、昭和時代の第二世代に分類する。
第一世代は専門を超えた総合的な見識(智恵)を備えており、第二世代は、整備された
学校制度で育成され、与えられた専門(知識)領域に拠って立つ専門家だという。
私は知識人の世代交代に伴う知識人の諸特性変化を、学校制度や、高等教育の大衆化等
として論じる前に、伝統・文化継承の問題と、受取るべきではないか?と考える。

大学生の数 *明治43年(1910):7千人 *大正9年(1920):22千人 *1930:69千人
大正9年(1920)の就業人口 2790万人――その内
*近代産業:390万人(14%)、*農水産業:1510万人(54%)、*職人他:890万人(32%)
大正9年当時の就業人口比率を見るとき、私の曾祖父母や祖父母の時代は、まだまだ
沢山の人々が地域に根ざして伝統・文化の継承をしていたのである。また当時の大学生も
微々たる人数であり、明治維新後の第一世代知識人の伝統を引き継いでいたと思う。

そこで、知識人の第一世代から第二世代への移行は、何が原因だったのだろうか?
様々な要因が考えられる。本書にも、ラジオの普及、「岩波文庫」の発刊など、いろんな
事象が論じられ、知的社会の分裂が発生したとしている。そして従来の知識人は
象牙の塔に立て籠もる一部の専門家であり、そしてそこから分裂して、庶民との間に立つ
中間的知識人というものを位置づけている。私は、この中間的知識人(所謂インテリ)こそ、
明治維新での西欧文明との衝突ショックで、誇大妄想的夢を見た人々だと思う。彼らは近代の
啓蒙思想は、伝統や宗教・文化を背景にしなくとも普遍的道徳を確立出来るという立場で
あったから、日本の従来の伝統・文化の意義を過小評価し、或いは無視した。

昭和時代、近代産業の人々が増加し、故郷を離れて都会生活をする人々の多くが、孤独の
心理的不安解消のために、中間的知識人の傲慢な生き方を、真似たのが失敗だった。
心理的不安の解消には、知識+伝統・文化の伝承による知恵が必要なのだ。しかし正しい
処方箋の代わりに、中間的知識人の中核である悪しき啓蒙主義ジャーナリズムの宣伝に乗った。
啓蒙主義は、歴史上の実験において尽く失敗しており、伝統・文化を否定する間違いは、
既に明白になっている。しかし日本のジャーナリズムは未だにわかっていない。だから、やたら
維新だ!革新だ!と騒ぐのだ。戦前、戦争を煽ったのも同じ理屈である。
日本のジャーナリズムの猛省を促す次第である。如何なものか
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橋下フィーバーと群集心理 [社会]

今朝の朝日新聞にも「橋下市長の大阪府民の支持率調査」というのが1面に掲載されていた。
1市長の支持率が大新聞の1面に載るのは珍事だが、橋下市長率いる維新の会が国政に関与
するから、という事のようだ。「次期衆院選で影響力を持って欲しいかどうか?」を問う
アンケートらしい。維新の会の詳細も立候補者の人物も不明確な状況で、回答者の回答に
どれだけの信憑性があるか知れたものではない。そんな質問をした結果を1面に載せるのも
狂っているとしか思えない。しかも調査母数:1443件、回答率64%。統計的信憑性は≒ゼロ?
従来、政党や政府の支持率調査でも、大新聞の世論誘導の手段として批判されてきた。
「維新の会」調査は、既存政党や政府の支持率調査よりも、一層酷い世論誘導である。

朝日新聞だけではなく橋下人気にあやかりたい大新聞は、こぞって関連記事を取上げている。
一番漫画なのは、「大阪維新の会」の選挙公約の事を、大新聞もネットも、なんの断りもなく
幕末の龍馬の船中八策にあやかって、「船中八策」等と呼んでいる事である。これは誰が
言い出したのか?橋下あるいは維新の会が付けたのなら、お前ら「馬鹿か?」と言いたい。
幕末の歴史的英雄とされている竜馬に、自らをなぞらえるとは、礼儀知らずにも程がある。
また、マスコミが付けたなら、公正が看板のジャーナリズムの名を返上してもらいたい。

私は「第二次世界大戦になぜ、日本は参戦したか?」を年来のライフワークとして、取組んで
きた。そして到頭、政治に群集心理を利用するマスコミの正体を目の当たりにした。
第二次世界大戦におけるマスコミの戦争協力は、軍部の締め付けのため、という口実が嘘だと
承知していたが、何故、マスコミが軍部のお先棒を担ぐ様な真似をしたのかが解せなかった。
しかし大新聞をはじめネットも含めて、皆が橋下を龍馬に見立て、橋下フィーバーに浮かれている
様を、誰一人可笑しいとも思わず浮かれている状況から、大凡の見当は付いたといって良い。

いつの時代にもいる衆愚というのは、困窮の原因を環境(社会)のせいにする。従って
橋下フィーバーに即座に反応し、便乗して、浮かれ騒ぐ輩が出てきても何ら不思議ではない。
しかしマスコミも分裂症患者なのか?困窮の原因を国家に押付けて恥じる事は無いのか?
橋下は、今や出来もしない国会改革、総理公選制、道州制などの誇大妄想狂に成りつつある。
何年も掛けて大阪府の問題も大阪市の問題も不十分なままで棚上げして、「船中八策」か
「船中泊」か知らぬが、そんなもので、日本の本質的な問題が解決すると思っているのか?
一般庶民が、生活の苦労から逃避するために、はかない夢を見るのは良いだろう。だが
真ともな知識人やマスコミが、今更、理想的社会を夢見て、愚かな群集心理をかき立てて
どうするつもりなのか?勿論、マスコミは、橋下フィーバーは金儲けのタネになるから、蜜に
群がる蟻の様に皆が群がるのだ。しかしそれだけだと、安心してはならない。
金を儲けに目が眩みだすと人間の強欲は、社会を破壊しつくすまで限界を知らないのだ。


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群集心理と時代認識 [社会]

朝日新聞の1面を橋下市長の記事が連日の様に賑わしているが、異常ではないか?以前にも、
何とか東というお笑い芸人が宮崎県知事になった時には、宮崎県庁が観光名所になった。
まあこれは地域・地方産業振興に役立った。それ以外にも、取り上げられた県知事もいた。
どうもマスコミは、アメリカのひそみに倣って、知事から総理大臣を作りたいのではないか。
文筆の力で、総理を誕生させるのが、政治記者の「夢」なのか?兎も角、最近の新聞には
うんざりするので、何でこんなフィーバーが起こるのか考えてみた。

C.G.ユングは第一次世界大戦後から第二次世界大戦後迄、ドイツ問題を扱った論文を残して
いる。その中で群集心理の問題を多面的に論じている。私は此処で、そんな難しい事を書く
つもりはないが、読んで感じたのは、その時代認識と、現代との類似性である。

ユングの当時の時代認識には、例えば以下のようなものがある。
* 神を失った人間は、別の神や、例えば金、労働、政治的影響力に強迫観念を持つ。
* 意識だけを自分だと思い込み、無意識を締め出してしまう(人格の分裂)。
* 意識と無意識、精神と自然、知識と信仰の間に葛藤が生じる。
* 意識が、本能を抑圧できなくなると、病理学的な分裂の様相を呈する。
* 意識は、あらゆる困窮の原因を環境(社会)のせいにする傾向が強い。
* 抑圧された者たちの為という集団運動が、転がり始める。
* 要求が満たされても形こそ違え、同じ苦難を繰返す。狼を追い払うに虎を使う。
* 外部の政治的、社会的改革に向かう。内的人格分裂も解決されると勘違いする。
* 文化こそ、恐るべき集団化の危機に立向う唯一の手段である。

ナチスドイツの問題は、文明の進展した先進国にとって解決済みの問題ではない。
確かに日本では「東日本大震災」でも、暴動や略奪がなかったと海外から高い評価がある。
日本人の無意識は、こういう大災害の時にはいまだ健在だったという事である。
しかし第二次世界大戦の当時には群集心理によって戦争に突入した。日本人の無意識は、
負の状況ではうまく働いても、攻撃的な状況では決して手放しで信用できない。
上述した当時のユングの時代認識と現状の政治状況を見る時、橋下市長の記事は異常では?
これはまるで、新聞が提灯持ちして、橋下一派を大宣伝しているだけではないか?
道州制などという問題は時間を掛けてジックリ議論していくべきである。
欧米社会を悪し様に批判する割には、日常生活で欧米崇拝している分裂文筆業者では、
革命や革新は、欧米社会の悪しき伝統である事が今だ分らぬのだろう。 如何なものか
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伝統・文化とロボット [社会]

伝統・文化の伝承という事で一つの事例を新聞紙上で見つけた。今朝の朝日新聞の31面
「先人に学べ、新防災力」と題し、東日本大震災の教訓から、各地に残る津波被害の石碑や
古文書が注目されているという事を報じていた。先人に学び、子孫に伝える意思は、
伝統・文化伝承の原点である。しかしこういう被害情報が何故一般に伝承されにくいか?
被害地を完全な遊休地にするなら別だが、何らかの運用を続行するとなると、長年の間に
被害情報の公明正大化に利害関係が絡んでくるからである。

この記事の様にやけに意気込んだ「伝えねばならぬ!」調の伝統・文化伝承を、私は常に
眉に唾してみる事にしている。「相撲は国技」とか「オリンピック開会式の服装」とかでマスコミが
思い出した様に説教調でまくし立てる「伝えねばならぬ!」式の伝統・文化、礼儀作法に、
私は関心が薄い。私が「伝統・文化伝承」という時、それは成長期に無意識に身に付いた
伝統・文化や、成人後に政治的社会的な立場で主張する伝統・文化(或いは礼儀作法)に
関する問題ではない。私の関心は、夏目漱石のいう「内発的開化」によって自らが見出す
自己の人生を生きる上で大切な「伝統・文化」、或いは心の礼儀作法である。

人間が赤ちゃんの時に言語を学習できるためには何が必要だろうか?私の考えでは、誕生、
いや誕生前から最低限度の価値観を持つ事だと思う。この最低限度の多様な価値観こそ、
人間の言語学習能力、その他、人間の学習能力の源泉だと思う。何故なら、ロボットは愚か
最も知能の高い動物すら、人間の言語学習すら出来ない。ロボットに様々なロジックを組み
込んで幾ら仕込んでも、猿真似以上には成らないのではなかろうか?何故ならロボットには
命(即ち「死」)がないから、独自で価値を持つ事ができないのでは?
人間が成長期に無意識に身につけた伝統・文化も、決して貴方任せで身につけたのではなく
選択幅が少なかったとはいえ、本人の自主的判断で身につけたものだろう。

人間は最初から価値観を持って自主的に学習し、価値観を加筆修正する事によって成長する。
しかし、人間は愚かで過ち多き生物だから、加筆修正には、いつも誤謬がついて回る。
そういう所から様々な問題が噴出してくるが、それらの問題解決もまた人間としての営みで、
恥じる必要は無く、楽しんで問題解決すれば良いのである。自ら価値観の中を探索しながら、
問題解決の傍ら新しい発見があったりすると本当に楽しいものである。そういう時には、
人々は様々な所で繋がっている事を確信できる。人間がロボット人間に陥るのは、誤った
加筆修正を頭から正しいと信じ込み、突っ走るためではなかろうか?
他人の批判よりもまず、自分の伝統・文化の棚卸しが大切ではないか? 如何なものか
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生活保護と地方格差 [社会]

今日、国会中継の茂木敏充(自民党)の質疑の中で、生活保護の問題が話題になっていた。
私は、その中でも、地方により、生活保護者数に大きな格差があることに関心があった。
そこで、私独自に、総務省の人口統計データと厚労省の地域別生活保護者数とを調べてみた。
厚労省の生活保護者数のデータが、ヘンテコリンで、一般に理解し難い様に出来ている。
それでも掻い摘んで調べた結果を掲載しておく。
◎全国・生活保護者数:2,079,761 人口:128,057千人 生活保護者の人口百分率
 1.624%
◎指定都市
札幌市・生活保護者数:69,343 人口:1,870,305人 生活保護者の人口百分率 3.708
横浜市・生活保護者数:67,686 人口:3,628,089人 生活保護者の人口百分率 1.866
名古屋市・生活保護者数:46,307 人口:2,228,769人 生活保護者の人口百分率 2.078%
京都市・生活保護者数:46,368 人口:1,447,384人 生活保護者の人口百分率 3.204%
大阪市・生活保護者数:152,086 人口:2,626,777人 生活保護者の人口百分率 5.790%
神戸市・生活保護者数:48,028 人口:1,518,716人 生活保護者の人口百分率 3.162%
◎中核市
富山市・生活保護者数:1,734 人口:410,288人 生活保護者の人口百分率 0.423%
高槻市・生活保護者数:5,547 人口:352664人 生活保護者の人口百分率 1.573%
東大阪市・生活保護者数:20,872 人口:503,235人 生活保護者の人口百分率 4.148%
倉敷市・生活保護者数:7,112  人口:466,315人 生活保護者の人口百分率1.525%

生活保護者の人口百分率は、全国平均の1.624%に対して、指定都市は、上回っている。
それに対して中核市は、東大阪市以外は下回っている。大阪市、東大阪市が突出している。
以上の様な統計データから見えてきたものがある。「平成流民」の心理的特徴である。
「平成流民」の問題は高齢化、人口減少、雇用減によって、税財源である賃金労働者の減少
と社会保障費(生活保護費を含む)の増加というダブルパンチだけではない。生活保護費の
半分は医療扶助で、医薬品の転売や病院の過剰医療等の陰には丸坊さんがいらっしゃると
いう話もある。高度成長期に味わった心地よい需給関係は、完全にバランスを崩した。
需給バランスの崩壊は、別のバランスに切り替えれば良いだけである。しかしその切替が
心理的に困難であるが故に、従来の保守か?革新か?という無意味な二元論論争に
陥ってしまう。「平成流民」は、経済的流民ではなく、心理的流民である。橋下徹の
打出す維新と呼ぶ施策は、この拠り所なき心理的流民(生活保護者に限らない)という
愚民集団に妄想を吹き込んでいるに過ぎない。愚民が何処まで拡大する?如何なものか
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ネットと分断社会 [社会]

今日も月間雑誌「Will」3月号の記事・「ツイッターは“バカの絆”」小林よしのり著 を
取上げて考えてみたい。著者は、仕事や調べ物には、ネットの便利さを評価しているが、
ネットの「言論」に懐疑的? そこで、twitterやfacebookといったソーシャルメディアが、
言論を形成する土台たりうるか?を論じている。記事の結論は、有益な情報交換を
している「共同体」と、無益?な仮想の「共同体」とに二極分化している。
そして、誰もが平等だった?はずのネットが分断されているから、「ネット社会」も
限界が迫っているのでは?という。
その推論の根拠は、1) ‘共同体の絆はもっと具体的で身体的’
2) ソーシャルメディアでの繋がりを、「共同体の復活」と言えるのか?言えない、である。

ネット上の空疎な記事の例を上手に挙げて、なかなか面白い議論をしてくれている。
私は常に、人の発言を善意に解釈するように心掛けているから、この記事に関しても
色々と啓発される所があった。 啓発された内容を一部書いておきたい。
1つは、人間は人類全体、集団、共同体、個人という様々なレベルにあっても、自ら
統一体として実現するという課題を担っているという事を、改めて思い出した。
もう1つは、人と動物との特徴的差異としての文化(知識、信仰、道徳、法律、慣行等)を
世代を通じて伝えていく動的過程の中で、人間を把握する事の重要性である。

人間は、当初、社会に抱かれた状態にあり、そして自我に目覚めて社会と対立し、やがて
社会と自己とを統合する事によって自己実現していく。「Haru曼荼羅」は幼い時期、
早い段階での社会と自己とを統合した証である。個人としての成長過程でも、共同体や
公的・私的の様々な組織の変容においても、「社会との統合」の概念が重要だ。
主体(個人や組織)は、動的過程の中で世代を通じて文化を伝える様々な社会生活の側面を
観察し、その側面に働きかける事によって、主体も、社会との統合の機能を活性化できる。

ネットは、そういう観点から利用すべきものであろう。従来の何かの代替品ではなく
創造的な使い方を編出していくべきであり、固定観念に囚われては駄目だろう。
新しい道具は、何でもありがたがって使うべきだというのではない。ソーシャルメディアは、
文化を伝達する手段として、万人から可視化されているのではないか?
閉鎖的なものもあるかも知れないが、それもまた、文化を伝える実態である。
世代を通じて文化を伝える様相を、多面的に捉える事が、社会との統合化に繋がる?
ネットが分断されているのではなく社会が分断されているのでは? 如何なものか
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想定と傲慢 [社会]

月間雑誌「Will」3月号の曽野綾子の記事「小説家の身勝手」を読んで感じた事がある。
記事の内容は、東日本大震災は一般人にとっては想定外だったが、例えば現代の世界での
人口爆発や、日本における高齢化社会は想定内の出来事だ、というようなものであった。
私は、善意の人間だから、曽野綾子が何を言いたいのかを、善意に解釈する用意がある。
従って、記事による彼女の言分を理解し、共感することができる。

しかし彼女のこの記事には、論理的に一貫していないフシがある。それは、「想定内」、
「想定外」という言葉に込められた意味が、客観性を帯びていない事である。
彼女は、「東日本大震災」は、地震や歴史その他の専門家以外には想定外だったという。
それなら、「中絶問題」や「医学の進歩」と「高齢化社会」の因果関係も、一般人には
想定外だったのではないか?と言いたいのである。曽野綾子が、日本が高齢化社会になる
事は想定内だと考えるのは、若くして著名な作家で世界を飛び回わってボランティア活動を
している心の美しい人だから想定できたのではないか?その意味で彼女も立派な専門家だ。

現在の「東日本大震災」やそれに伴う「原発事故」に関する想定内・外の議論は、
毎日、生活に追われ、碌な情報も持ち合わせていない一般人レベルの話ではない。
或いは気付いている人が居れば解決するという様な安易なレベルの話でもないと思う。
そういう意味では、高齢化社会問題もそうである。

問題は、想定されている情報を如何に有効に活用できるかどうかに懸かっている。
例えば、最近の国会で話題になっている「年金試算問題」等も、想定問題に関係する。
最低保障年金が柱の新年金制度に移行すると2075年度に消費税17.1%になるという
試算結果を、野田内閣は封印する事にした。こういう想定問題をウヤムヤにして
増税が一人歩きするという政治姿勢に問題があるのだ。私の直感では、この試算の根拠を
突っ込めば、2075年度の消費税率は17.1%所か更に多くの税率アップにつながると思う。
従来の全ての問題は、「想定外」が問題なのではなく、まともに「想定しない」で、
「皆で渡れば怖くない」式にやってきたところに大きな問題があるのだ。

専門家は、狭い専門分野の仲良しグループの中で、偉そうにいうだけ。グループの殻を
破って議論しようという努力も意欲もないのである。曽野綾子を専門家といったが、
一人で世間に向かい高齢化社会問題の議論を吹きかけている彼女は、日本の学術専門家より
数等立派である。自分のみ正しいとして外に働きかけないことこそ傲慢ではないか。



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増税ホントに必要か? [社会]

今日は朝起きたら雨!大寒に冷雨散歩か!とチョッとうんざりしたが、散歩開始時刻には
何とか曇天まで戻った。途中、薄日も差し風も弱まったが、最後は晴天になったにも
拘らず、冷たい北風が吹きすさび、折角の太陽より北風が勝って散歩人は大変だった。

今日、月間雑誌「Will」を購読したが、なかなか面白い事が書いてあった。
冒頭の加持伸行氏の「朝四暮三」。新連載だそうだが、味わい深く読ませてもらった。
顔氏推(531-591)の「顔氏家訓」からの引用文で、「社会保障と増税政策」の野田内閣や、
社会保障を増税で賄うという泥沼政策を後押ししている学者や評論家を批判していた。
 
「顔氏家訓」は全20章からなるが、第2章の、「上智教えずして成り、下寓教えても益なく、
 中庸教えざれば知らず」という言葉を引用している。意味は、
「上智(出来る人)は、教えなくても智恵を獲得し、下寓(出来ない人)は教えても無駄、
 中庸(普通の人)は、教えれば智恵を獲得できる」という意味である。
しかし加持氏の記事を読むと、泥沼政策を後押ししている学者や評論家は、無駄な勉強では
なく、世の中に害毒を流す勉強をしている事になるのではないか?

中庸という概念は、異端をあぶりだす概念という事もできるだろう。
現代のように普通であることに価値を見出せなくなっているような時代には、異端もまた
何が異端なのか?分からなくなっているのではないだろうか。
「中庸教えざれば知らず」というのは、決して悪い意味ではない。教えない悪知恵まで
考え出さないという意味もある。「上智教えずして成る」というのが、最も厄介なのだ。
聖人たちは、上智が、あざとい人間に成らぬ様な人格教育こそ大事だと考えていた。

もう1つは、九段靖之介氏の「永田町コンフィデンシャル 役人のヘソクリ650兆円を吐き出させ!」
元財務官僚で経済学者・高橋洋一著「財務省が隠す650兆円の国民資産」講談社、を
題材として、増税不要論をぶっている。鳴り物入りの事業仕分けでたった7千億。今や
官僚の原稿を棒読みして、官僚の傀儡と化した民主党政権は、どうなっているの?

そして最後極めつけは、竹中平蔵の「消費税増税なんて必要ありません」という記事。
竹中は、高橋洋一の上司でもあったから、埋蔵金の事が書いてあるかと思ったが、さすが
大物、人の褌では相撲をとらない。兎にも角にも、マニフェスト違反に相次ぐ失政、
その上に増税とは!そりゃつれなかろうぜ!なあ民主党政権さん! 如何なものか
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高齢者ハラスメント? [社会]

最近TV等で「高齢者」という言葉が頻繁に使われるが、時々、耳に刺さる事がある。
使っている本人たちは、年寄を思いやっているつもりなのだろうが、「何だって?おめえ
バカにしてんの?」と、ちょいと言って見たくなる。昔の人もこんな事を感じたろうか?

そこでネットで「高齢者ハラスメント」を検索した。大きく分けて二種類ある事がわかった。
(a)一つは、痴呆症患者等、明らかにハンディキャップを負った高齢者に対する虐待行為。
(b)もう一つは、高齢者を「弱者」と決め付けて、上から目線で、親切そうにする事。
ハンディキャップを負った老人という意識の無い人を、老人扱いする事なども含まれるようだ。
ハンディキャップの意識の無い私等も、丸で身障者扱いだな!と、耳に刺さったりする。
こんな事を書く私も、身障者ハラスメント? そういう意味では障害者ハラスメントも多いことだろう。

「高齢者ハラスメント(b)」が発生するのは、次の様な背景があると推定した。
1) 高齢者を金儲けのネタにする為に、暗示を掛けて、思い通りの方向に誘導する。
2) 発言者が、高齢者に優しい人という印象で人気取りをしたい為に、発言をする。
要は、高齢者ハラスメント発言者は福祉で、高齢者を金儲けのネタにしようと狙っている狩人だと
ヒネクレ者の私(後期高齢者に後数年)は、考えてしまうのである。

なぜ、高齢者ハラスメント発言者が、高齢者をネタに金儲けできるのか?
それは、日本の高齢者にお人よしが多いからだ。高齢者ハラスメント発言者は、自分の
思い込みで、高齢者に優しくしているつもりであり、その話を聞く高齢者もまた自分の
思い込みで、ハラスメント発言者が、高齢者に優しいと思うからである。高齢者に暗示を与えて
後は、様々な場面で、高齢者の財布の紐を緩めさせるという手口を使うと読んだ。

ハラスメントとは、「他者への発言・行動等が本人の意図と関係なく、相手を不快にさせたり
尊厳を傷つけたり、不利益を与えたり、脅威を与えたりすることを指す。」らしい。
従って発言・行動等に他者への表立つ悪意の意図が無く、受け手も、悪意を感じなければ
全く問題は無い事になる。これは、詐欺の手口と良く似ていると思われるがどうだろう。

結局、私は何を言いたいのか?高齢者福祉の問題は大変に根が深い。無邪気な少年少女も
既に、ねじくれヒネクレて一筋縄では行かない手のかかる年寄になってしまっている。
人間は多様だと言うが、老人ほど多様な年代は他の年代にはない?年寄が言うのだから
間違いない!本格的高齢化社会こそ、本気で高齢者福祉を考えるべきでは!如何なものか
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