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伝統・文化とロボット [社会]

伝統・文化の伝承という事で一つの事例を新聞紙上で見つけた。今朝の朝日新聞の31面
「先人に学べ、新防災力」と題し、東日本大震災の教訓から、各地に残る津波被害の石碑や
古文書が注目されているという事を報じていた。先人に学び、子孫に伝える意思は、
伝統・文化伝承の原点である。しかしこういう被害情報が何故一般に伝承されにくいか?
被害地を完全な遊休地にするなら別だが、何らかの運用を続行するとなると、長年の間に
被害情報の公明正大化に利害関係が絡んでくるからである。

この記事の様にやけに意気込んだ「伝えねばならぬ!」調の伝統・文化伝承を、私は常に
眉に唾してみる事にしている。「相撲は国技」とか「オリンピック開会式の服装」とかでマスコミが
思い出した様に説教調でまくし立てる「伝えねばならぬ!」式の伝統・文化、礼儀作法に、
私は関心が薄い。私が「伝統・文化伝承」という時、それは成長期に無意識に身に付いた
伝統・文化や、成人後に政治的社会的な立場で主張する伝統・文化(或いは礼儀作法)に
関する問題ではない。私の関心は、夏目漱石のいう「内発的開化」によって自らが見出す
自己の人生を生きる上で大切な「伝統・文化」、或いは心の礼儀作法である。

人間が赤ちゃんの時に言語を学習できるためには何が必要だろうか?私の考えでは、誕生、
いや誕生前から最低限度の価値観を持つ事だと思う。この最低限度の多様な価値観こそ、
人間の言語学習能力、その他、人間の学習能力の源泉だと思う。何故なら、ロボットは愚か
最も知能の高い動物すら、人間の言語学習すら出来ない。ロボットに様々なロジックを組み
込んで幾ら仕込んでも、猿真似以上には成らないのではなかろうか?何故ならロボットには
命(即ち「死」)がないから、独自で価値を持つ事ができないのでは?
人間が成長期に無意識に身につけた伝統・文化も、決して貴方任せで身につけたのではなく
選択幅が少なかったとはいえ、本人の自主的判断で身につけたものだろう。

人間は最初から価値観を持って自主的に学習し、価値観を加筆修正する事によって成長する。
しかし、人間は愚かで過ち多き生物だから、加筆修正には、いつも誤謬がついて回る。
そういう所から様々な問題が噴出してくるが、それらの問題解決もまた人間としての営みで、
恥じる必要は無く、楽しんで問題解決すれば良いのである。自ら価値観の中を探索しながら、
問題解決の傍ら新しい発見があったりすると本当に楽しいものである。そういう時には、
人々は様々な所で繋がっている事を確信できる。人間がロボット人間に陥るのは、誤った
加筆修正を頭から正しいと信じ込み、突っ走るためではなかろうか?
他人の批判よりもまず、自分の伝統・文化の棚卸しが大切ではないか? 如何なものか
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