SSブログ

老後の健康 [大家族]

 今日は午前中曇り後雨。午後は雨の予報。10時以降、雨が降り出すとみて早めに外出。
雨中散歩も趣があるが、傘差しスロージョギング(SJ)は、気分が乗らないからである。
今回の雨は、高気圧が東に移動し、南から暖かい湿った空気が北の冷たい空気と出会って
降るという。SJ開始約30分経過後から、雨とも霧ともつかない細かな水滴が落ちてきた。

 この小雨は、まるで10m四方程度の雨の濃淡がある感じだ。これは地上近くの空気層で、
寒暖のムラがあるために雨ともつかない霧のような雨の濃淡が出来るのではなかろうか?
雨も細かく観察すると、本格的に降るまでに、何段階もの変化を経ていると感じる。

 さて、老後の健康の話に入ろう。今日の散歩途中で立話した年長のA氏曰く
「肩がこるので整形外科に行ったら軟骨が磨り減っているといわれた」、とのこと。
老化は筋肉の衰えと共にやってくるということのようだ。
 私も老化防止のために散歩やささやかな我流筋トレをしているが、何処まで通用するか?
遺伝子による予定説というのもあって、長寿家系の友人などは、盛んにこの予定説を強調。
「どんなに頑張っても人間の寿命等というのは、遺伝子に組み込まれていて決まっている」
と、のたまうのである。平均寿命以下であの世に行くのは、様々な要因があるだろうが、
悪性疾患か、急性疾患、事故・災害等。全てそれらは、遺伝子的、運命的なものだろう。
 だから、私が健康のために、散歩や我流筋トレ等をしているのは寿命延長の為ではない。
寿命のある間に、なるべく社会や周りの人々に迷惑をかけないためだ。

 先に話題にした年長のA氏は、性格は温厚、家族に優しく、地域との交流も盛んであり、
運動も、いろいろとやっておられる。私から見ても(或は御家族の見解も)平均寿命を越え
更なる長寿を全うされるという予想である。A氏と比較すると、私の健康度の評価は
肉体的な評価軸が主体で、対人的、社会的な側面に欠けている所が、難点である。
 しかし、ヒンドゥー教の四住期という考え方もある。古希を過ぎた人間ならば、
精神的・社会的な健康度の評価などという固苦しい考え方から自由であってよいのでは?
 私は今も、「家住期」的環境に身を置いているが、「林住期」的に、自然の中を散歩し、
或る時には「遁世期」的に一人旅も良いではないか?そして、日々の中で、「学生期」の
ごとく、勉強に明け暮れる時間を過ごすのもまた一興ではなかろうか?
 人的交流はボケ防止には大変有効らしいが、そういう機会が豊富な人ばかりではない。
私にとって「林住期」・「遁世期」を生きる「青春」の心、すなわち情熱、驚きや憧憬、
探究心、挑戦する心、喜び、敬愛、信念、自信等、を失わない事こそ大切。如何なものか
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

旅行散歩とご近所散歩 [大家族]

日本史や世界史は学生時代の勉強で、大雑把でもわかっているつもりでいるが、実は何もわかっていない。最近、少し、室町時代のことを調べていて、つくづくと思い知らされた。つい最近、縁あって、近郷に出かけることになり、観光の視点として、少し地方史について調べてみようと思った。勿論、正当な調査ではなく、気まぐれな資料(パンフレット)収集程度のものである。
DSC08861.JPG
調査結果はいつかまとめたいと思っているが、今回は訪問した場所の写真を順番に掲載しておく。最初は智頭(ちづ)町、駅舎の写真である。智頭は、因幡(鳥取)と播磨(姫路)や備中(岡山)を結ぶ山陰交通の昔からの要衝である。智頭は、杉の林業で儲けた山持ちのお金持ちが沢山いることでも有名。10月初旬でも智頭では結構冷え込んだのであるが、石谷家の係りの人が教えてくれた暖かいうどん(酒蔵うどん)が最高だった。酒造元の酒粕はまた格別の味わいである。
DSC08900.JPGDSC08901.JPGDSC08906.JPG
次は鳥取県立博物館と、そのカフェから見た鳥取城跡、そしてお馴染みの鳥取砂丘。博物館のカフェで食べた鳥取牛入りカレーは、午前中の歩き疲れで空腹だったからか?少し辛めで実に美味しかった。
DSC08907.JPGDSC08909.JPGDSC08918.JPG
次は湖山池(こやまいけ)周辺の遺跡。湖山池最大の島・青島に渡る青島大橋、青島の図面、そして池の西南に突出した小さな半島に残る防己尾(つづらを)城址から見た湖山池等である。




DSC08929.JPGDSC08933.JPGDSC08969.JPG
次は、白兎海岸、青谷上寺地遺跡記念館のある青谷駅舎。最後は倉吉市である。

山陰の海は荒い。瀬戸内海とは大違いで白浪がたっていた。朝鮮からの航海が、瀬戸内海航路になったのは、人命が尊重されだしたからだろう。熟練者の価値が高まったという事である。
さて、紙数をオーバーしてしまったので、近所散歩は、またいつか書きたい。
その気で散歩すると、近所にも知らない事が色々出てくるから止められない。如何なものか
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

消極的感情の克服 [大家族]

先日のテレビで小学校の体育館をお化け屋敷にしたイベント話があった。実際に
子ども達が(小さな子は保護者同伴)が、参加している様子が画面に写されていたが、
面白がって楽しんでいる様子が伺われた。怖がって泣いている小さな子どもも居たが。
子どもたちの夏休みの思い出づくりに行っている夏祭のメインイベントらしい。
お化け屋敷が面白い盛りの年代の子ども達は、ワイワイ何度、体験したかを競っていた。

子ども達にとって、そんなにお化け屋敷が面白いのは何故か?私の考えでは、そういう
体験によって、恐怖を克服する強い心が鍛えられる事を、実感できるからだと思う。
こういう事からも、子ども達は、心身を正常に維持する訓練に積極的である事がわかる。
子ども達には、人生を行きぬくのに必要なものを本能的に嗅ぎ分ける能力が備わっている。
そう考えると、恐らく子ども達は、怒り、悲しみ、後悔などの消極的感情反応を克服する
訓練も、また受けたいと願っているだろう。

何故、その様な訓練が必要か?説明の要もないと思うが、念のために書いておく。
人間に、消極的感情反応が継続する場合、身体的に様々な問題が起こる。例えば
体内の血液は、即座にその色や成分に変化を来たし、酸性化などの悪影響で、不健康化?
同様に淋巴液にも波及し、また各種の内分泌、外分泌の作用にも、悪い影響を及ぼす。
恐怖や怒り、悲しみ等の感情の継続は、身体のみならず、精神をも不健康にする。
従って、消極的感情が起こっても、可及的速やかに処理し、抑制する訓練が大切なのだ。

以前お参りした伏見の油懸け地蔵には、次ぎの様な伝説がある。
“ある油商人が地蔵尊の門前で転んで、油桶から大切な油が流出してしまった。
 油を失って落胆したが、残った油を地蔵尊に懸けて供養した。そうしたら商売が
 大いに繁盛して大金持になったという” そこで、その噂を聞きつけた商人たちは
このお地蔵さんに油を懸けて供養すれば、商売繁盛・・・と、油懸け地蔵となった。

この伝説は、油を懸けたから成功したのではなく、感謝の気持で消極的感情を処理して、
常に前向きに商売する積極的精神による努力が、成功の要因であることを示している。
消極的感情を長期化させず、「災い転じて福となす」と言う風に、サラリと処理して、
積極的な明るく、陽気な気持で日々を生きる知恵を、積極的に教育すべきだと思う。
最近の子ども達の教育に、消極的感情克服教育が、如何に不足しているか?を痛感する。
昨日のブログで「おひさま」の川原(金子ノブアキ)は、戦前教育を受けたにもかかわらず
消極的感情で凝り固まってしまったのは、何故か?



続きを読む


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

お盆・父子ゴルフ4年目 [大家族]

お盆・父子ゴルフ対決も4年目になった。猛暑に鍛える励みとなるから継続できるのか?
Shinの盆休み・父子ゴルフ対決前日は、恒例の「空港から観光案内」となった。従って
昨日は福山・鞆の浦に行き、昼食は“千とせ”で、千とせ定食(平日ランチサービス)を
頂いた。(詳しくは、以下のURLを参照。http://www.kimuhiro.net/chitose.htm
千とせは、活魚料理・鯛めしが有名である。瀬戸内の鯛は有名だが、鞆の浦の鯛網は
昔から名高かった。鯛の浜焼(編み笠に挟んで半分に折った包装形態)は、昔は毎年、
両親の知合いから送られてきたものである。
201108101539アブト.jpg
鞆の浦の旧市街地は道路が狭く、徒歩見物になるが、町全体に情緒がある。
市街見物途中で、鞆の浦・歴史民俗資料館を見物した。資料館の高台からの
景色は眺望絶佳、素晴らしい。鞆の浦の次は、阿伏兎観音(写真参照)
その景観は一度見ると忘れられない。磐台寺「阿伏兎(あぶと)の観音」の
名は、阿伏兎岬岩頭上の観音堂に観世音菩薩を安置されている事に因む。
磐台寺は暦応年間(1338-1342)覚叟建智によって開かれたが、一時荒廃。
後に漁師が霊夢により阿伏兎岬沖海中から観音像を拾いあげ、岬の岩上に
安置した。多くの人々の信仰を得るようになり、毛利輝元によって、元亀年間(1570-1573)
に観音堂と共に再建されたといわれる。

観光案内はこの程度にして、父子ゴルフ対決・4年目の結果を書き止めておく。
Shinは、ゴルフを始めて5年を経過したそうな。あまり練習もしていない様だが、
確実に進歩している。ドライバーの飛距離が随分伸びた。それと共に、確実性も上がった。
過去3年間の戦績を振り返ると、徐々に追い上げられ、昨年、遂にShinに華を持たせた。
今回、私は、事情もあったがロクに練習しなかった。負けを覚悟したからではないと思う。
もう、今年は勝負に拘っていなかった。どちらかというと、体力持久が課題だった。
予約を取った知らせのメールで、「体調が今ひとつ」と、言ってやったのは嘘ではない。
Shinは、その返信メールで、「ゴルフの調子は下がりっぱなし」と言って来たが真実か?

今日は快晴のスポーツ日和。ラウンド前に少し練習したが当たりが悪く、今日の調子が
思いやられた。8:14スタートで、暑さも程々。なんだかゴルフ場の風が心地よかった。
結局、1ラウンドして終わったら、12:30過ぎ。本当の暑くなる前に終える事ができた。
二人の成績は、どちらも芳しくなかったが、ショットは、二人共にある程度満足できた。
二人共、課題はパットだった。第4回目のゴルフ対決は、グロス互角? 如何なものか
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

2011-07-22散歩 [大家族]

私の散歩コースの一つに「保食神社」というのがある。
今まで、あまり御縁のなかった神社名で、所有している神社関係の本・著者:戸部民夫
「神社ルーツ・血統から探る神様ネットワーク」にも記載がない。気になっていたが、
今日は帰宅後に調べてみようと思った。

「保食神社」から次なる中継点・**第二公園の脇で、カラスの行倒れに出会った。
連れのカラスが、「カァカァカァカァ」、普段と異なりァとカに間がなく 鳴きつづける。
夫婦?親子? 悲しげであり、腹立たしげだった。私に「何とかして」と言っている?
或いは、私が、何もできないでいるから、別の応援を呼んでいるようにも思えた。
暑気あたりか?感電死か? 連れは電柱の電線か支持用ワイヤかに八つ当たりしていた。

今日は、最終中継点(家から徒歩10分)で小銭入れに取付けていた家の鍵を落とした。
帰宅して鍵を出そうとして無いのに気付き一瞬蒼白!妻は長期不在!鍵がなければ大変!
買物の後で小銭入れを出した時に落としたらしい。
再度、最終中継点(スーパー)まで戻って鍵が見つかりホッと一安心!
帰路、小銭入れと鍵を繋いでいた鎖が切れた原因を考察した。
汗(塩化イオン)が沁みこんだ事、鎖が蛇腹ステンレスチェーンであった事により
隙間腐食を起したのではないか?と推定した。当たらずと言えど遠からずではないか。
今日の散歩は、多事多難の散歩になった。私にとって散歩は今や人生!多難もまたよし!
散歩は苦しみも多い。しかしそれが人生の味付けであり、だから些細な事に感謝できる。

帰宅後、「保食神社」をネットで調べてみた。『日本書紀』に登場する神(保食神)らしい。
保食神は食物を生み出し、あるいは増産する神という。これは豊作祈願の神? しかし
稲作、農耕の無事・豊作を守る神は、神社最大系列を誇るお稲荷様がデンと控えている。
そこで、はたと考えた。「保食神社」は、通常の豊作を祈るための神ではない?
そういえば、神話に出てくる保食神が、食物を提供する話が異様なのである(URL参照)
そんな事などを考え合わせた結果、私は、以下のような推測をした。「保食神社」は、
飢饉などの危急存亡の時に、特別にお願いし、感謝する神社?神社の石の鳥居には、
天保9年春3月吉日の字があった。その当時、私の散歩コース辺が大凶作だったかどうか、
岡山市立南公民館のネットは、天保5(1834) 凶作、大飢饉、人民困窮、岡山大火など
天保7(1836) 凶作 天保8(1837)大凶作、飢饉  と書いてある。



続きを読む


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

子どもの日[雑感] [大家族]

201105051347000.JPG今日は快晴で、風も適度に吹き、実に爽やかな散歩日和だった。
(写真は青空に勢い良く泳ぐ鯉のぼり)
◎ のびやかに 育てと思う 鯉のぼり
◎ 晴れの日や 耐えて忍べよ 幟(のぼり)柱
この季節に目にする鯉のぼりだが、既に鯉のぼりを出していた家が
引っ込めているのに度々、気付くことがある。風の強い日などは
のぼりや幟柱が傷むのを配慮するからか?そんなことを考えながら散歩していると、幟柱が、
子どもの成長を懸命に支える親のように思える。そして幟を時々降ろすのは、子育て中の両親を
支える保育園、幼稚園や学導、そして祖父母や親戚・ご近所の思いやりのように感じたりした。
2011050412390001.jpgDSC_0115-1.jpg
(写真左:東京タワー、右:日本一高い観覧車。本文参照)
子どもの日といっても我子はすでにアラフォー。私たち夫婦に
とっては孫の日?私たちは、離れているので、孫達を育てている
子ども達を十分に支えていない?しかし幸いに保育園、幼稚園や
学導、そして親戚・コミュニティの支援に支えられて孫たちも
立派に成長してきた。小さい頃は連休中に帰郷したこともあった。
最近はどうか?ブログを書き始めた2007年からの子どもの日を
検索したが、残念ながら子どもや孫に関する記事はなかった。

連休中は部活などで忙しいのである。高校生になった一番年長のHarukaは、6月の大会を控え
連休といえども毎日練習らしい。あちこち痛い?らしいだけれど、柔軟性買われ、一年にしては
いいポジションを与えられ張り切っているとの由。中二のNatsuも部活がある。こちらは対外的に
余り強くない部?らしいので、毎日ではないから、コウタロと両親でお出かけもした。東京タワーの
大恐竜展!これは明らかに、コウタロの趣味だ。(写真は、その時のワンショット。タワーが懐かしい)
DSC_0128.jpg
さてもう一方の孫たちは、キャプテン・Ryuの野球三昧とそれを助ける
両親と妹。野球関連写真、その合い間に行った日本一高い観覧車
の写真等を送ってくれた。大感激の試合の模様も伝えてくれた。
その試合は大差(6点差)で負けていたのを終盤で同点とし、
延長戦でも、相手の得点に追いつく死闘となり最後、逆転。Ryuは延長戦2イニングを含む
最後の3イニングをクローザとしてキッチリと役割を果たし、大逆転勝利に貢献した。
そしてその感激に浸る両親であった。妹・Kotoは、引率応援で来ている選手の妹達を上手に
束ねて、妹軍リーダーとして遊び頑張っているそうだ。(写真はRyuのチーム)



続きを読む


nice!(4)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

家族崩壊を考える② [大家族]

今日は、月刊雑誌「世界」2月号の“児童虐待”に関する津崎哲郎氏の記事を参考にして
既に崩壊しかかっている?家族について、考えてゆきたい。
“児童虐待”は、人口の減少、少子化に反比例して増加していると言う。その要因は、
1) 個々の家庭における子育て機能の衰退(例えば、親の精神的・人格的未熟性、夫婦不和、
一人親など)
2)家族を取巻く親族や地域による家庭をサポートする機能の弱体化
3)生活の経済的困窮。 その対応策として、家族への社会的介入を法制化したという。
戦後日本は戦前の治安維持法等、家庭や個人への露骨な介入への反省に立ち、民事不介入の
原則を守ってきたが、家族への社会的介入は、新しい時代の流れに沿って生じてきたそうな。

民事不介入の原則については諸説あるようで雑誌記事の説明のみではなさそうだ。
戦後日本の警察が、少数精鋭で良く治安維持できたのは、家族や地域の治安維持、管理・監督
が立派だったという事?此処までまとめると、“児童虐待”は、家族や地域の治安維持、管理・
監督の衰退、(大家族の解体)が、大きな原因ということになる。

今後の“児童虐待”の改善策として、1)家庭養育機能のサポート施策整備、2)多問題に
切り込む援助枠組み、を提言している。多問題とは、アルコール依存やギャンブル依存など
生活の負の連鎖問題である。雑誌には、2)の提言に関して具体的に述べている。例えば、
裁判所の積極的役割、親と行政が対立した場合の第三者の調整機能などである。
NPO組織等で、“児童虐待”に関するノウハウの蓄積、人材育成もされてきているらしい。
a)児童相談所に代る新たな民間活用、b)省庁を超えた幅広い機関が役割分担など、
公民を越えた社会全体の取組み!という対策提案で結んでいる。
“児童虐待”の問題と対策からも、「子ども手当」が如何に方向音痴政策であるか!明白だ。

雑誌に書かれている“児童虐待”の改善策は、予防対策や、いざという保険等のレベルの対策
ではなく、完全な後追い対策である。事後対策とは別に、政治が考えなければならないのは
“児童虐待”などの負のサイクルにはまり込まない「強く、逞しく、そして思いやりもある
優しい立派な市民、国民を育てる施策ではなかろうか?「思い遣りも自己中心、自己中心で
人の顔色ばかり伺う様な人間、金儲けしか考えない人間」を育てる教育をしていないか?
政治家自体が、選挙民の顔色ばかり伺って政治を行っている。時代遅れの「お客様は神様」的
マーケティング手法から脱していない。政治家がそう言う状態だから、学校の教師もモンスター
ペアレントにヘコヘコしてしまう。今、橋下知事や河村市長が支持されているのは、そういう
政治に飽き足りない民衆の声なき声である。哲学のある民衆教育・民衆学習こそ大切である。



続きを読む


nice!(3)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

孫との交流 [大家族]

今日は七日正月。若菜の節句、七草の節句、人日ともいう。
本来は旧暦だから二月の立春の後になる。今だ寒いが、七草粥で春を迎える行事だった?
現在は寒の期間なので本来の気分は出ないが、これから本格的な冬を乗り切る覚悟の‘粥’と
思えば、それはまたそれで、身も心もあたたまって良いのではなかろうか?

最近、チョコチョコ、NHK教育TVの子供向けアニメ「はなかっぱ」をビデオで撮ってみている。
11月下旬に上京した際、孫が踊ってくれた「はなかっぱ踊り」が、機縁になった。
「はなかっぱ踊り」は、♪Let's get together now ----- という歌詞の歌と共に踊る。
Hearing力がおそまつ君の私には、良く聞き取れなかったし、番組も見た事がなく、
♪明日も元気 ♪また会えるよね ♪大好きなキミがそばにいる ♪それだけで大丈夫
♪どんな問題も解ける などという歌詞は、早いテンポに撹乱されて意味が取れなかった。
そんなこんなで踊ってくれた時は、それほど感激もしなかった。
帰宅してしばらく経って、「はなかっぱ」は、「ぜんまいざむらい」の後番組ということを
妻から聴き、俄然、興味を持ったが如何せん!仕事がたまっていて見る事ができなかった。
最近ボチボチ、番組を見たり、インターネットで調べたりして、今頃よさを認識している。

最近、ネットの普及発展の影響で、テレビ離れ、新聞離れが進んでいるそうである。
昔は、日経を読まずして、ビジネスマンと言うなかれ!という雰囲気があった。
何を読んでいたか?結構「失楽園」だったりするのだ。「失楽園」を話題にして鼻の下を
伸ばしている上級社員では、現代は通用しないのかも知れない。
冗談はさておき、現代が、護送船団方式から、自己責任の競争社会に変質したのなら
ネット社会への移行は当然だろう。新聞やテレビという、所謂マスコミが醸成した情報を
ベースに動いていたのではリアクションが遅すぎる。マスコミや民衆の声なき声も含め
あらゆる情報解読の基盤は、自己責任で収集した情報を基にしなければならない。
従って、受身の情報ではなく、能動的に情報を収集するネットに重心が移るのは当然?

もう一つは、多様化が肯定され、趣味の世界も個性化に傾くだろう。そうなれば新聞や
テレビなどでは満足できないし、趣味の世界に忙しくて見たり読んだりする閑もない?
一方、人間的つながりも大切な要素。それは携帯やネットメール、ブログなども含めて、既存の
ラジオ、新聞、テレビなど様々なメディアが多様化し活用される? 如何なものか。
nice!(4)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

「くれない族」の高齢化 [大家族]

曽野綾子女史の近著「老いの才覚」に、「くれない族」という言葉が出てくる。「誰々が~してくれない。」という否定形、或いは「今度、××に連れてってくれない?」、「ついでに買って来てくれない?」という疑問形で使う人々を指すらしい。「老いの才覚」において女史は、最近の老人は、「~してくれない」(以下、「くれない言葉」)をよく使うので、そういう人を「くれない族」と密かに呼んでいると書いている。また女史は、「くれない言葉」を老化度の目安にしている。そして「くれない言葉」を使い出したときが老化の始まりだと書いている。

処が「くれない族」は女史の専売ではなかった。調べてみると、1984年に「くれない族の反乱」というドラマがあった。「くれない族」は、その年の流行語大賞の銀賞までもらっている。ドラマの主人公の主婦(大原麗子)が、「くれない族」から自立しようと頑張る物語らしい。即ち1984年当時では、36歳の主婦が使っていて、あまり不自然ではなくなっていた。そして現在(2010年)では、65歳以上の老人において、やはり頻繁に使う人々が目立つ事が綾子女史の近著から分かった。

さて「くれない言葉」は、本来、子ども言葉(甘え表現)だという。「くれない言葉」は、本来、一人前になると使われなくなる‘言葉’だった。それで、面白い事に気付いたのである。「くれない言葉」が、成人という大きな境を越境してしまったという事実である。1984年当時には、「くれない言葉」はバブル期の特殊現象に過ぎないと高をくくっていた。しかしそうではなくて、1984年当時の「くれない族」は、絶滅種ではなくて、人間の完成期に近づいている老年期まで、生き延びているという事が明確になってきた。残念ながら綾子女史の‘「くれない言葉」は、老化現象’ではなく、‘「くれない言葉」は、幼稚化現象’ということなのだ。確かに老化は、幼児化だと昔から言われているから女史の見解も妥当性はある?

私がここで喚起したい事は成人というバリア(人によって時期は異なる?)が、無くなる社会は、本当に人間社会なのか?という問題である。成人とは何か?人間とは如何に生きるべきか?それを問い続けなければならない。しかし暫定的にでも毅然として子どもに教え、子どもも家庭や社会から学ぶしかない。「法は悪法でも法」という。完璧な法等ないが、法のない社会は真ともな社会ではない。「くれない言葉」が高齢化している現象は、社会のもっとも芯となるべき裕福な家庭が内部から崩壊していることを示しているのではないだろうか?日本社会の問題は、財政の問題ではないという論拠はここにある。いくら金をつぎ込んでも、「くれない言葉」を子どもと一緒に使っている親や老人のいる家庭では、真ともな成人は生成されないのではなかろうか?如何なものか。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

'10.10健康&etc. [大家族]

今年の初めから、健康管理と称して、月間目標を決めて、毎日の運動の記録をとってきた。
10月の健康のための運動量の概要は以下の通り。
1.万歩記録。合計・399千歩。1日平均・12875歩。1週間平均・90127歩。前月から減少。
2.筋トレ。実施日・17日 実施率:0.548と、目標の50%を達成。先月より微減。
3.スロージョギング。実施日・22日 実施率:0.711。目標をクリア、先月よりもダウン。
4.ゴルフ素振り、アプローチ、練習場等。12日実施で0.387。先月比ダウン。目標(0.3)達成。
自分の体調そのものは余り変化は無いと思っているが、運動の影でやばい事が進行中か?

9月中旬に医者に行った時、血圧が高いと注意された。その後、健康プラザとか電気店等で
血圧測定をしていたが、問題の値は出なかった。しかしどうも気になるので、九月も末に
なって血圧計を購入した。毎朝計っているとやはり高い値(140以上)が出てきた。
最初は計り方が悪いのだろうとやり直したら、直後で20~30も低い値になった。やはり
計り方の問題だと思っていたが、寝起きの測定値はどうも異常値の確率が高くなってきた。

そこで、ブログ「2009-10-29PPKの予防?」で書いたことを思い出した。
その時、翌日一緒にゴルフする知人が、パーティの席で「私もPPKで行こうと思っていたが
PPKのピンピンだけを考えていてK(コロリ)はよそ事だと思っていた。だが既にすぐ傍まで
近づいている。」と警告してくれたのだった。その知人は、その時もゴルフに行って、
朝プレイ前に気分が悪くなってゴルフを断念して病院に直行。即、心筋梗塞の手術をして
一命を取り留めたという。その人の友人も朝方、自宅の納屋で倒れたが、家人の気付くのが
遅くて助からなかったという。運命は実に微妙である。

血圧は、平均値で考えたのではダメなのだ。血管の流れが止まったら大変な事になる。
常に、最高値で予防を考える必要があるのだろう。従って、私も血圧を下げるための食事や
場合によっては、血液さらさらにするサプリメント、薬も予防に必要なのかも?
そして、筋トレや、スロージョギング、ゴルフの練習も、息苦しい迄やると無酸素運動に
なり、動脈硬化や高血圧になる可能性が高くなるということだから考えねばならない。
加齢により、高血圧になる傾向が高くなるらしい。そこで今月まで継続していた筋トレや
スロージョギング、ゴルフの練習も内容や、頻度を見直したいと思っている。それにしても
究極のPPKとは何か?気付きがないコロリなのか?難しい問題である。如何なものか。
nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。