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2012正月 [大家族]

◎ 一夜明け 金毘羅さんに 初詣  ◎ 賑やかな 暮と正月 二日ずつ
一夜明ければ元旦。今年の元旦は、最初は好天だったが後半崩れた。暮の二日と正月の二日
子どもと孫達が、わが家に帰省し、賑やかに、楽しく過ごして、また風のように去った。

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上の画像は元旦の金毘羅さん参道の状況。左は最も混雑していた時。右は少し緩和した時。
混雑は、あらゆる生活のリズムと同様に、波動性があるようだ。

◎ 初詣 時雨にけぶる 讃岐富士  ◎ 孫達が 好むお菓子屋 橘香堂
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上左の画像は、金毘羅本宮横の高台から眺めた時雨れ讃岐富士。そして今日の孫達の写真。
初詣は一台の車では乗れないので、電車組と自動車組の二手に分かれて参拝。行きは、
ボックス席を確保できたが、帰宅時は混雑した。785段の石段と冷たい空気と時雨などで
体が冷えたのか?暖かい車内で睡魔が猛然と襲ってきた。最後の写真は、今日の夕方、
孫たちが帰る直前、美観地区入口の橘香堂に寄った時の光景。何か食べている。むらすずめ?
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大晦日・2011 [大家族]

今年の大晦日は比較的暖かな日和だった。
昨日から子どもや孫達が来てくれて、楽しい年の暮を過ごすことができた。
昨日は、夕方になったが美観地区を訪れた。日暮れが早くすぐに真っ暗になった。
写真は、美感地区にいた白鳥の写真である。孫たちが珍しがってくれた。
写真の黒い部分は、丸で真っ黒な大地に見えるが、実は漆黒の水である。カメラのフラッシュの
お陰で、肉眼では見えない足が鮮明に見えたために、大地に支えられているように見えたのだ。
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日本中に激震の走った年ではあったが、如何なる場合にも前向きに生きる幸せを痛切に思った。
私の孫達は自慢の孫である。高一から小三まで女三人、男二人は、スポーツに芸術に学習に
そして人間的にも、身体的にも素晴らしい。勿論、様々な欠点もあると思う。しかし
私が最もうれしい事は、私自身が、欠点を気にせず、良いところを心から賞賛できることだ。
爺バカと言われれば、それまでだが、孫の成長が、マイナス思考の私を変革してくれたのだ。
今までの長い人生、中々良い所を心から喜べない性格だった私に、爺バカの資格をくれた。
「負うた子に教えられ」という諺があるが、「負われた孫に教えられ」というところか?
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続・映画「Railways2」 [大家族]

今日はおおむね晴れたが強風。この時期の空冷は、私の年では気持ちよいとは言えなかった。
映画「Railways2」について印象に残ったシーンを、思い出すままに書き綴ってみたい。
先ずは、佐和子(余貴美子)と担当する患者・信子(吉行和子)との夫婦に関するやりとりだ。
病状の急変で入院し、退院の許可がおりない状況の中、佐和子が信子の希望を尊重。頑張った
お陰で、再び自宅療養になった信子と佐和子とには、信頼の絆ができていた。佐和子が、
信子と今は亡き彼女の夫とが、長い年月に渡って添い遂げた理由を訊いた場面である。
信子は語った。「或る時ね、きづいたがじゃ」、「“お”じゃなくて“ぺ”なんだって」
 「夫だと思うからシャクにさわるし、疲れる。ペットだと思えばいいがよ。」
 要は、夫なんていう動物は、わがままなペットだと思えば、我慢も出来るという事らしい。

私は、なるほど!と合点した。こういう話は、字面にこだわっていては十分理解できない。
ポイントは、信子が夫を見る視点の変更である。何時も何時も同じ所から視るのではなく
視点をずらしてみる、発想を転換してみるという気分の転換こそ、大切なのである。

私の様な凡人は、聖人君子のような立派な人間を目指していない。ただ自分らしい人生を
全うしたいと思っている。しかし「自分らしさ」とは何か?を考えるとなかなか奥が深い。
視点、発想、気分も、何時もコロコロ変えてばかりだと、自分は誰?という事に成りかねない。
信子の独創的な発想の転換は、彼女が夫婦とは何か?真剣に取組んだから出てきたのだろう。
自分らしい人生を器用に生きようと思うから難しくなる?不器用も良いのではないか?

次に思い出すのは滝島徹(三浦友和)と新米運転士・小田(中尾明慶)とのやり取り。映画全編の
中で大きな比重を占めていて、幾つものシーンのまとまりとして印象深い。仕事を通じて後輩を
育てる経験は多くの人が持っており、本映画を見て感慨深く思った人も多いと思う。それにしても
定年間際の徹の新人育成への熱い情熱には驚かされた。言い換えれば定年間際であるにも
関わらず、運転士という仕事への情熱に衰えを感じさせないとさえ、言えるのではなかろうか?
徹は最初、小田に「お前は運転士に向いていない」と言った。それは、若い頃の徹を指導した
先輩・吉原(米倉斉加年)から言われた言葉だ。徹は楠木(中川屋礼二)にも言ったらしいが、
楠木は頭から“見込みがある奴にしか言わない”と思い込むような楽天家だ。映画の最後の方、
徹と小田の心が通じた後、小田が徹に「滝島さんの様に無事故のうまい運転士になりたい」と
言った。すかさず徹が「無事故の継続は運転がうまいからではない。運転が下手だから反省して、
同じ失敗を繰返さない事を心掛けたからだ。」と自己の真骨頂を明らかにした。小田は滝島先輩
から免許皆伝を授与された。そして徹は不器用を再認識した。これで運は開ける?如何なものか
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映画「Railways2」 [大家族]

先日、久しぶりに劇場映画で“Railways2”を見てきた。私はめったに劇場映画を見ない。
高齢者割引で安く見られるが、戦後の貧しい時代の経験からか「勿体ない」精神、平たく言えば
「ドケチ」精神が働くのか、ドラマや映画は、テレビの録画で十分と思ってしまうからである。
それでもブログを書き始めてから見た劇場映画は、ブログで振り返ると、次のようになる。
1)2007-11-27~12-03 映画「Always 続・三丁目の夕日」
2)2008-03-08~13 映画「明日への遺言」 3)2008-05-11~12 映画「靖国」
4)2009-02-24~27 映画「おくりびと」  私の映画の好みは何だか訳が分からない?
私の目的は、その時点の問題意識に立脚し、過去への追憶と未来の展望を行う為なのである。

さて、映画「Railways2」だが、従って、“鉄ちゃん趣味”で見たわけではない。
私の鑑賞目的は、老後の夫婦の生き方に関する問題意識から、私の約10年後輩の物語をみて
自らを振り返ると共に、今後の我々夫婦の将来の展望を考えるためであった。

定年離婚という大問題は、現役時代に既に十分研究、或は話合いをしておかないといけない。
しかし一般の日本男性は、この映画の主人公:滝島徹(三浦友和)同様、懸命に働いて家族を
養うことで精一杯。定年離婚への準備など思いも及ばないという人が多いだろう。
徹は、自分の仕事という現実の中で戦う事に目を奪われて、夫婦の現実に目を背けていたのだ。
徹は、定年の慰安旅行で酔っ払った勢いで冗談交じりに、運転士仲間の親友:島村(岩松了)に
離婚の一件を相談した。その時、島村は、「悪かったら謝る。俺に原因がなかったか考える」と
やんわりと徹に忠告した。しかし佐和子(余貴美子)の家出・別居の意図を理解しようともせず
徹と佐和子は談判決裂。佐和子は徹に、自分の署名入りの離婚届を突きつけて出て行った。
それでも徹・佐和子夫婦の様に定年離婚が顕在化する方が、まだ良いかも知れない。何故なら
嫌でも、自分が見ていた現実とは違う現実を、直視しなければならないからだ。佐和子は、
徹という人間を知った上で自己の新しい生き方のために離婚を決意した。しかし、徹は、
佐和子という人間を知らないで自分勝手な定年後の生活を描いていた。佐和子が、がん検診で
疑われた事を徹に話さなかったのは、徹が、佐和子という人間を見ていなかったからでは?

私の娘の世代以降は、旦那が家事・育児にも協力的に見える。それでも義務感が強い。今日
Arioのトイレで若い父親が、楽しそうに赤ちゃんのおしめ交換をしていた。家事・育児に
心底協力的な男性をトイレで始めて見た。トイレでの父子には、普通、外と別の面がある。夫婦が
互いの現実、互いの人間を知る事は難しい。徹・佐和子夫婦の様に、現実の一部を見落とし
互いを決め付けるのが人間の常だ。過ち多き愚か者という反省が大切? 如何なものか
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冬の寒さも優りける [大家族]

立冬過ぎも、まだまだ暖かく軽装で散歩を楽しんでいたが、一段と厳しい冷込みとなった。
◎ 山里は 冬ぞさみしさまさりける 人めも草も枯れぬと思えば 源宗干朝臣(古今集)
意味:山里は冬になって、人も見かけなくなり、草も枯れて、尚更さびしくなったなあ!
◎ わが里の 冬の寒さもまさりける ジョギングしても風に冷え込む 自作
スロージョギングをすれば、体が温まり、歩きに切替えた時、軽装でも冷え込まなかったが、
今日は昨日と違い、厚めのパーカを着用したにも関わらず、徒歩では風の冷たさに冷込み
スロージョギング後も、ほとんど、小走り(早足)で、なんだか忙しい散歩になった。
つい先日まで妻は、夕餉の支度に火を使うから暑いと言っていたが、今日は涼しい顔で、
部屋を暖房しながら火を使っていた。まさに、冬の寒さも本格化してきた。

しかし、この季節の変わり目の、気温の変化に対する体感温度は、相対感覚である。
私は、春から夏への気温変化は、暖かくなるのは余り気にならないが、三寒四温などで
一旦暖かくなってからまた寒さが戻るのは、非常にこたえる体質である。
秋から冬の場合も、気温変化が冷え込む時には、非常にこたえる体質である。
絶対気温的には、これからまだまだ寒くなるが、寒くなったら寒くなったで何とかなる。
人間の体は、変化には弱くとも、安定すれば、結構、適応範囲は広いのだろう。
仮に、厳寒と酷暑の気温を日々繰り返すような場合だと、私の場合、酷暑→厳寒・時期に
耐えられるか?が心配である。いずれにしても、そんな過酷な環境変化に体が持たない?
それは老人が思う事であって、若い人には、過酷な環境が人を育てるという側面もある。

幸福論の難しさは、常に幸福量が多ければ良い、と割切れないところにある。
私が幸福感を大切だと思うのは、幸福量調査だけでは、本当の幸福の追求にはならない
と、思うからである。幸福感は、幸福量が少なくとも、幸福を感じられる能力だ。

今日は余り書く事を思いつかなかったので、いつもの様に暦をみた。
今日は、「OL」と「ハイビジョン」の日だそうである。この二つを一緒にすると
「ハイビジョンOLの日」となる。ハイビジョンは、絶世の美女、という意味にもとれる?従って
今日は、「絶世の美人OLの日」と、解釈できるのでは?と、私設記念日を考案した。
そこで、この二つの記念日が揃った時期を調べてみた。「OLの日」は、1963年制定
「ハイビジョンの日」は、1987年制定、従って「絶世の美人OLの日」となったのは1987年。
私の娘達が、世間に出て働き出す少し前だ。娘達が絶世の美人か否か?
まあ親ばかとして、私設記念日・「絶世の美人OLの日」を、娘達のために祝おう!
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カーネーション:糸子の啖呵 [大家族]

今日は、糸子(尾野真千子)の胸のすく啖呵で終わった。踊り子・サエ(黒谷友香)が
安物の生地で作った試作品を気に入ってしまう。「そんな安物を高う売るわけにいかない」と
洋裁師のプロを自任する糸子は、サエも同様に踊り子のプロとして遇したのである。
しかしサエは、自分はそんな大層な踊り子ではないと、自嘲気味に言ってしまう。
それを聞いて糸子がガツンとかます。「ほな帰り!そんな女の着るドレスを作りたくない・・」
「・・・・・さっさと着替えて帰って!」と言い捨てて、糸子は試着室を出て行ってしまった。

私は、この啖呵は決して糸子の我儘・気儘から出たものではない、と思う。では何処から
出てきたのか? 相手・サエに対する気遣い、思い遣りから出たとも言いづらい。そこで
私は一連の出来事を、「心の自由」という観点から少し、考えて見たいと思う。

子どもの頃は皆、自由な心を持っていた。だんじりの大屋根に乗りたい、洋服を着たい等の
糸子の思いは、自由な発想から生まれた。しかし父・善作の反対にあって制約される。
これらが社会と個人との対立の始まりである。人間は成長するに従って制約が増えるために
個人の自由を束縛されていると感じる様になる。現に糸子も、それを認識している。例えば
パッチ屋時代、神戸の祖父・松坂清三郎(宝田明)が、心斎橋の喫茶店でご馳走してくれた
時に、祖父の美味しい話を断って喋った話が、祖父を唸らせた。その時の糸子のセリフが、
「お祖父ちゃんウチに甘いさかいな。すぐ甘えてまうと思う。そしたら勉強にならへん」
「・・・・一生懸命に勉強して、一人前になったら、お祖父ちゃんの所へ行くわ。」である。
これはパッチ屋に行くのを許可された時に、善作(小林薫)から100回も「勉強」を繰返し
聞かされた結果、祖父の美味しい話を選択する自由を奪われたと解釈する事も可能である。
人間が成長するという事は、選択を伴い、選択は制約を伴う。自己責任で選択しないと
結果的に、選択に伴う制約が、自由を奪い始めるが、選択に責任を持てば、その制約は
自分の成長であって制約ではなく、自由は一向に奪われないのである。
DSC09059椿.JPG
糸子は善作の話を、悪意即ち束縛として受取らず、善意に
自己の成長に役立つ様に聴くという選択をし、糸子の心の自由も
保たれているのだ。そしてそこに祖父は感心しのである。今日の
糸子のサエに対する啖呵も「自由な心」から発していると思う。
「自由な心」から発する言葉は、世俗的な利害を超えた魂から
発する言葉であり、キッと良い結果を生み出すだろう。
如何なものか
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カーネーション:善作と糸子 [大家族]

連続TV小説「カーネーション」の糸子(尾野真千子)と善作(小林薫)という親子関係について
一度、時代背景なども踏まえて、考察してみたいと思っていた。物語を十分細かく観察して
いないので、間違いも多いと思うが、サラリと見た直感的な感想を書き止めておく。

糸子は大正時代の生まれ。昭和8年で19歳というから大正3年生れ?物語は大正13年(1924)
糸子・10歳の時から始まる。糸子の夢は最初だんじりの大屋根に乗る事、次は洋服、そして
ミシンを使うことと変遷しているが、それは全て、善作の反対によって妨げられた。
そんな時に幼友達・勘助(尾上寛之)を助けようとして勘助に助けられ、絶望する。
その話を聞いて、善作は、勉強のために、パッチ屋に行くことを許可したのである。
善作は、西洋化に流れる世間に不満を持つ保守的な人間と思われるかも知れないが、まだ
糸子が女学生になる前の大正末期の地方都市では、それ程オカシイ考え方ではなかった?
モガ・モボと騒がれた大正ロマン時代も、都会の一部の金持や文壇・ジャーナリズムによる
宣伝が大きかったのではないか?大正12年(1923)の関東大震災は現代の東日本大震災の
影響を考えると、首都圏を襲った事により当時の被害・影響は甚大だったと想像出来る。
大正ロマンが喧伝されたのは、社会不安の隠蔽、経済復興等の為であったとも考えられる。

当時の社会は、現代のように東京一極集中ではなく、まだまだ地方都市に経済力があり
危険分散されていたから、何とか、関東大震災による壊滅的危機を回避したのだと思う。
それでも、じわじわとその影響があった?善作が、女学校を半年(昭和2年)で辞めさせ
糸子の希望を入れてパッチ屋に行く許可を出したのも小原呉服店の経営難で、経費節減を
するという面も濃厚にあったのだと思う。昭和2年3月には、金融大恐慌が勃発している。

昭和5年(1930年)のだんじり祭りの最中に、パッチ屋の主・桝谷幸吉(トミーズ雅)は、
不況とはいえ、糸子をクビにした事を善作に謝った。その時に、幸吉から糸子の事を
「腕もある頭もある先も読める・・云々」と言われ、善作は小原家の将来を糸子に託す決心
をしたのである。ご承知の様に、その後も百貨店の制服、100枚のパッチ受注、駒子の
洋服代金などに関して糸子と、善作との葛藤は続く。此処では、それらの詳細を省くが、
善作からすれば糸子を大きく育てるために「壁」となる父親の勤めを果たしているのだ。

しかし駒子の代金回収問題以来、善作は酒におぼれ、老け込んでゆく。現代から見れば
善作の行動は、健気な糸子の生き方にもかかわらず、糸子のセイにして世を拗ねている?
しかし昭和初期の平均寿命は、45歳という統計データもある。
糸子19歳。善作は40歳を越えている?親と子の本音での付合い時間は束の間なのだ。



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「カーネーション」第五週・雑感 [大家族]

今日は、ほぼ一日中雨が降っていた。事情があって午前と午後に分けて散歩した。
午後の散歩は、運のいいことに、傘を携帯したが、差さずに済ますことができた。
差さずに済む程度の降りで、雨が降らなかったのでは無い。明日も雨模様である。

連続TV小説「カーネーション」の第五週では、糸子(尾野真千子)が、2つの大仕事をした。
1番目は、新聞記事を読んで、自ら発想し、女性百貨店員の洋装の制服を売り込んだこと。
2番目は、職人が居なくて納期寸前で困っている商売人を助ける仕事を請けた事である。
これらの仕事をやり遂げる過程には、様々な見どころがあったが、私が最も注目したのは
父・小原善作(小林薫)の一見、どうかと思われる無理難題の数々である。

1番目の仕事では、折角、糸子が仕事にして、(母方の祖父母を頼り)ミシンの手当てを
したのに、善作は祖父母の家に行くな!と立ちはだかる。しかし、その代わり自分の店の
商品である呉服反物を全て売払って、ミシン1台を買ってきた。
2番目の仕事では、妹・静子(柳生みゆ)が取ってきたパッチ100枚を一晩で仕上げるという
超短納期の縫製の仕事を糸子が家族の窮状を救おうと引受けたことに、善作は異を唱えた。

百貨店の制服の時も納期が短かったので家族総出で仕事をしたのに、今回のパッチ仕事は、
断れと言い、糸子が一人前の大口を叩くと家族の手助けを禁じ、「一人でやれ」という。
善作には善作の仕事に関する哲学があるだろうが、糸子は、まだ二十歳になるやならずの
小娘でっせ!厳しいですね!しかし善作のやり方は、現代では少々乱暴に感じるけれども、
彼を理解しようと努力すれば、それほど無茶な事を言っているのではない。現代人が、
善作の言動を乱暴に感じるのは、論理的ではない、或は説明が親切ではない等という理由
から来るのであろう。しかし、人間は決して論理的でも合理的でもない。人間が論理的、
合理的、理性的に見せる時は、自分を高く評価してもらうためであり、利己的である場合
が多く、利他的であるという保障は何もないのである。

兎も角、善作と糸子とのやりとりを視聴していると、それが、昭和シングル時代を忠実に
再現しているか?否か?という議論もあるが、それと比較して現代がふやけて見えてくる。
現代の親子関係等は、昔と比べると、時間が経過してふやけてしまったうどんに思える。
平均寿命が長くなったのだからジックリ勉強すればいいというのかも知れない。しかし
「鉄は熱い内に打て」という諺もある。ふやけたうどんは後から手の施しようがない。
ふやけた人間も、またふやけた人間を増やすだけではないか?如何なものか
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散歩つれづれ'11.11 [大家族]

今日は文化の日であるが天候は生憎、曇り空だった。歩いても大して汗もかかず、
じっとしていても寒くも無く、雨にも降られず、散歩には丁度良い日和であった。

今朝、途中からだが、NHKで、「さど・まさし 題名のある音楽会」を聞いた。
この音楽会は、東日本大震災の被災者を元気づけるイベント「さだ・さど音楽会」として
2011年9月30日に兵庫県立芸術文化センターで開催されたものだそうである。
いまや、世界的指揮者といわれる佐渡裕は、NHK総合テレビで毎月1回放送中の番組
「今夜も生でさだまさし」の大ファンだそうだ。
さだまさしと佐渡裕が、さだはギター、佐渡はフルート?で演奏しながらデュエットで歌った
『案山子』で、さだまさしは歌詞を間違えたと、演奏の後、正直に話していた。その間違いに
感動した人も多かったのではなかろうか?さだまさし本人が、今まで一度も間違えた事がない
稀有なハプニングだったという希少価値だけではないような気がする。

音楽の力によって呼び覚まされた会場の人々の魂が、東日本大震災や阪神・淡路大震災等
に関する様々な静かで激しい思いを呼び起こし、さだまさしの魂に共鳴したのではないか?
さだまさしは、(亡き人々を含め)人々の激しい思いに圧倒され、しばし言葉を見失った
のではなかろうか?

私は「魂」は大切な概念だと思っている。戦前は、「大和魂」を誇大に宣伝して好戦意欲を
あおり、悲惨な戦争で多くの若者を亡くしたために、戦後は「魂」の概念そのものが廃れた。
戦後は、そのあおりで道徳そのものも否定され、平和と民主主義を国民道徳の根幹とした。
平和と民主主義は政治的概念で、道徳的概念ではない。要するに理性偏重となったために、
人間という動物の不条理、非理性的な側面を切捨てて生きなければ「人でなし」となった。

「魂」という概念を説明する事は難しい。余り良い例えではないが、手近な所で言えば、
連続TV小説「カーネーション」の糸子(尾野真千子)と、父・小原善作(小林薫)や、母親・
小原千代(麻生祐未)の生き方だと思う。世俗的な財産等にこだわらず、自らの魂の叫びに
従って生きているのではないか?

閑話休題:私は、'11年下半期は連続TV小説を題材にしないと宣言してきたが、ブログを書く
題材に窮してきた。そこでこれからは、「魂」とは何か?「魂」の生き方という観点から、
連続TV小説「カーネーション」を適度に取上げて行きたいと考えている。如何なものか
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散歩つれづれ'11.10_(E) [大家族]

今日で今年の10月もEndだから、'11.10の付く「散歩つれづれ」もEnd
今日の天候は、早朝・雨、午前・晴れ、その内に曇り後また晴れと、変化した。
それでも、今日は暖かで、昨日よりも更に気温が高かったような気がする。
散歩の開始時刻が早かったから、夏並みの薄着で、心地よいスタートを切った。

今日は、新しい散歩道を開発して、初めて歩いた。
イオンに車を止めて散歩を開始。酒津貯水池に向かい、北側配水樋門から流れ出る用水路沿い
にカフェ「三宅商店」、浄水場の横を通り、青江神社への坂を上る。宮下の踏切(伯備線)を渡り、
青江神社には行かず、線路沿いの小道を行く。そして用水路が二つに分かれるところを、北側の
用水路沿いに歩くのである。伯備線路沿いで少し南下するが、二股に分かれた後の用水路は、
ほぼ東に向かっている。目立った建物は、親和パッケージ倉敷寮や龍昌保育園位で、私にとって
目新しい田園風景が広がり、丸で別世界を彷徨っている様な感覚だった。
しかし見慣れた道(浅原の安養寺に向かう道)に出くわして、僅か数十分の夢散歩に終わった。
その少し先・平田交差点近くの429号線に出た。
NEC_0077稲荷.jpg
暫らく酒津貯水池に戻るの道を変えてみた。すると面白い稲荷神社(写真)
に出くわした。稲荷鳥居の額に、石臼を使い、「正一位稲荷大明神」と
彫られていた。鳥居の額は、それなりの決まりがあるのではないかと思う。
稲荷神社の総元締めである伏見稲荷に行ったが、数ある鳥居の額に石臼が
使われていた例はない。そういえば、稲荷の鳥居といえば朱塗りと相場が
決まっているが、この鳥居は石造り。型破りの稲荷神社のようである。

散歩で良い汗をかきながら、少し家族の絆について考えた。私たち夫婦も当地に引っ込んでもう
10年近くなっている。子ども達と七百数十キロの距離があることが、家族の絆を細くしている?
豊かになった事や社会福祉の充実等が、気苦労の多い地縁・血縁の絆を‘ほだし’と勘違いして
日本のみならず、西洋各国も地縁・血縁の絆が、切れ掛かっているのだと思う。

西洋社会は、「神は死んだ」といわれて久しいが、決して死に絶えてはいないのではないか?
しかし日本社会では、心に神を抱いている人々の数は、わずかではなかろうか?
もし神も地縁・血縁の絆も見失ったら、日本社会は物欲の野獣社会、さもなくば幻想社会、
そして精神異常の社会と化す? あるいは今のギリシャのようになるのだろうか?
如何なものか
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