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スロージョギングのコツ [散歩]

今日もスロージョギング(SJ)。今日は快調だった。マイペースがよかったのだろう。
SJは、慣れてくるとスピードを出したくなるが、私の様に頑健でない老人は無理をしない。
急ぎ足か、それ以下の普段の歩行速度で充分である。それではSJと歩行は何が違う?
微妙に違う。私は、去年の6月の「ためしてがってん」再放送をキッカケに、挫折しながら
今年の1月からずっとSJを継続しながら、その事を考え続けていた。そして今日、
同行の妻とSJをしながら話していて良いたとえを思いついた。その前に少しSJの整理を。

生活習慣病予防や回復のために、歩行や走行は「帯に短したすきに長し」。即ち、歩行では
効果が薄い。走行では、きつ過ぎて心臓や足の関節・筋肉に余病を併発する危険がある?
歩行よりも、もう少し全身に適度の刺激を与えると共に余病を併発させない程度の運動として
SJ{歩(走)行}が、歩行と走行の中間的な位置づけとして考案されたのだと思う。
SJは、その為に速度は歩行と同じで良いが、運動効果を高めるために、歩行よりも体内の
組織・細胞全体を揺らすことを目的としているのである。そこでSJ運動のたとえである。

阿波(女)踊をイメージしてほしい。阿波踊は“元祖・SJ”と言っても過言ではない。
しかし阿波踊をしながら歩くのは、普通は問題になる。そこで、阿波踊の振りを失くす。
ただし、身体の上下動はそのまま。足の着地は、そっと置くが、爪先からではなく全体。
これを阿波踊のリズムに合わせて、歩行時より、小刻み(小さい歩幅)に進む。
そうすると大体、歩行と同じくらいか、少しは早くなるだろう。

そうしてSJを実行していると、結構、疲れてくる。これは、歩行よりもきついのだから
仕方がないのだが、徐々に疲れが蓄積されてくる。その辺で、挫折するケースが多い?
そこで、SJ実行に、もう一工夫を凝らす必要がある。それは身体を揺らす揺らし方である。
そのためにSJの歩(走)行に、天秤棒で液体を入れた桶を担ぐ歩き方をイメージすれば色々
利点がある。天秤棒で液体を入れた桶を担ぐ歩き方は液体をこぼさない様にリズムをとる。
この要領で、自分の身体の組織・細胞を桶の中の液体と思ってリズムをとるのである。
組織・細胞の全てが、SJの運動に協力してくれるように、全身の組織・細胞の端々にまで
気を配って、呼吸や身体の動きを調節するのである。そうする事によって、組織・細胞間の
イザコザが起きないために、運動後に嫌な疲れが残らず快い汗を感じ、疲労も蓄積しない。
これがスロージョギングのコツ? 今だ道半ばながら一説を披露した。 如何なものか。
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伏見散歩'10.12月-Ⅱ [散歩]

今日は5日振りにスロージョギングをしたら脹脛や足首がだるくなった。使わない筋肉が
少し劣化したのかも知れない。とりあえず続行していたらダルさも徐々に収まった。
人によって筋肉の衰えの速度も異なるのだろうが、私の場合は衰えが早いのではないか?
私の体質なら、余り長期の旅行など、非日常的な生活は、健康に良くない?
さて伏見散歩だが、石峰寺へは伏見稲荷の境内にある東丸神社の横の細い道を抜けて行く。
その途中に「ぬりこべ地蔵」の祠がある。歯痛平癒祈願のお地蔵さんというので、歯の悪い
私としては、“何とか一日でも長く自分の歯で食事ができるように!”と、お願いした。
私と同じ様、願っても甲斐ない願懸けをした幾多の諸先輩の事を思わずにはいられない。
◎ 落ち葉ふる 地蔵だのみの 歯弱爺

京阪電鉄の深草駅の手前にある食堂で昼食をとったが、其処の女将が気さくな好人物で、
話し方が、親戚のおばさんに似ているのも懐かしかった。徳島の出身で、半田麺を故郷から
取り寄せて店に出している。冷込む日だったので、鍋焼き半田麺とおでんを食べたが美味。
そうめんに似ているが、暖かい麺でもコシがあって歯ごたえが良かった。(歯の悪い私でも
噛み切れるから、コシがあるといっても、歯の悪い人にも心配はご無用である。) それと
気付かず食した事はあるのかもしれないが、鍋焼き半田麺は私にとって初体験であった。

深草駅の横を流れる琵琶湖疎水の細い散歩道を南に下っていく。綿森橋、町通橋、きとら橋
堀田橋、極楽橋、藤森橋、高田橋、北新橋、墨染橋などを過ぎて、墨染寺に参詣した。
小野小町のもとへ「百夜通い」をしたという伝説の人物・深草の少将の屋敷がその辺り?
墨染寺という寺名または地名は、関白・藤原基経(836-91)の死を悼んで詠んだ和歌
◎ 深草の 野辺の桜し 心あらば 今年ばかりは 墨染めに咲け 作:平安歌人・上野峰雄
にちなんだものという。

その後は、伏見の酒蔵を巡った。キンシ正宗、宝酒造、招徳酒造などを歩いたが
お酒を造って(或いは売って)いるだけ?利き酒や見学などについては、黄桜酒造の
カッパカントリー、月桂冠の大倉記念館などを見て回った。カッパカントリーでは、
昔懐かしい清水昆のカッパの絵をたくさん見る事ができた。月桂冠の大倉記念館には、
立派な見学コースがある。酒造りの工程は、精米、洗米、浸積、蒸米、麹、酒母、醪(もろみ)
、上槽、滓引き・濾過(おりびき・ろか)、火入れ、貯蔵、という事になっている。
楽しい見学と利き酒、そして吟醸酒、酒饅頭などの土産を買った。
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伏見散歩'10.12月 [散歩]

最近は、親族の通院介助や墓参り等と共に、京都・大阪・奈良・神戸など関西・四都の散歩を
楽しむ目的で、だいたい二ヶ月一度程度の割合で出かけることが多い。今回は伏見散歩だった。
伏見といえば京都の南に位置して、大阪、奈良との交通の要衝として栄えた処である。しかし
お稲荷さん、桃山城、そして‘灘’と並ぶ酒造りで有名な処という位しか知らなかったが、
京都駅の?(インフォメーション)の案内のプロの口ぶりからすると、伏見は、京都市の中では別格?
そんな話を聞いて、食わず嫌い(例の龍馬で有名な寺田屋)を返上して、伏見の中心部を探索
することにした。

最初に訪れたのは深草の「石峰寺」。伊藤若冲が下絵を描いて石工に彫らせたという五百羅漢
で有名である。羅漢とは、釈迦の説法を聞き、一般人から施しを受ける価値のある人である。
即ち、釈迦の教えを実践し、世の中を良くする影響力を持っているということであろう。
私は、「京都の寺社 505を歩く」山折哲雄監修・槙野修著でその事を知り、是非行きたいと
思っていた。石峰寺の裏山にひっそりと苔むしている五百羅漢は、まるで釈迦の絵巻物を見る
思いだった。来迎菩薩、出山の釈迦、十八羅漢、説法場、托鉢修行、諸羅漢坐禅屈、涅槃場、
賽の河原などと立札が、五百羅漢の群像グループに割り振られている。
写真は撮影禁止であるが、入山のパンフレットには、4枚の羅漢さんの写真があった。
そこに写っている羅漢石像がどこにあったか、何度も山を巡り、全てを見つけ出した。
そうしている間に、石像の表情が心に沁みてきて、仏の教えの有難さを思った。

◎ 愚鈍なる 我を導く 羅漢かな201012161543市電.jpg

早、紙幅も尽きかけている。伏見の中心街に至る前の深草で、古の少将のごとく
小町への恋路ならぬ、伏見地区中心街の散策路にも届かなくなってしまった。
今日の締括りは伏見中心部の「西岸寺」としよう。寺田屋から歩いて5分程度
油掛通の北側に位置する。商売繁盛、願望成就、家内安全の「油掛地蔵尊」
や芭蕉の句碑で有名だが、今回は竹田街道と油掛通の角に建てられている
「日本における電気鉄道発祥の地」の写真を掲載した。
明治28年に油掛通から京都駅迄、日本初の電気鉄道(後の市電)が営業を開始した。
伏見は重層的歴史を今に感じさせてくれる興味尽きない町である。如何なものか。
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'10.11健康&etc. [散歩]

9月に、血圧が高いといわれて血圧測定を継続していたが、少し運動量を減らす方がよいと
考えて、各種目ごとの運動量を減らして、頻度管理することにした。また、筋トレだけは
頻度目標を50%から30%に下げることにした。
11月の健康のための各種運動頻度の概要は以下の通り。
1.万歩記録。合計・441千歩。1日平均・14727歩。1週間平均・103090歩。増加傾向。
2.筋トレ。実施日・16日 実施率:0.533と、目標の30%を達成。先月より微減。
3.スロージョギング。実施日・23日 実施率:0.767。目標をクリア、先月よりも微増。
4.ゴルフ素振り、アプローチ、練習場等。15日実施で0.500。先月比アップ。目標達成。
筋トレは、種目別で一回当りの運動量を3/5~1/2に減らしたので楽に出来るようになった。
201011251051面影.jpg201011251107山吹.jpg
先週は上京の合間に散歩を楽しんだ。宿泊先の新宿(大久保寄り)のホテルからまだ行っていなかった「関口芭蕉庵」を訪ねた。平(たいら)橋から神田川に沿って歩く。源水橋、高田橋、高戸橋、曙(あけぼの)橋と歩いていく。面影橋に来たら、洒落た欄干があったので写真に撮った。
茅葺の水車小屋の様だが、芭蕉庵が近づいてきたのか?
そのすぐ脇に、「山吹の里」の碑と説明板があった。
太田道灌が鷹狩で、雨に降られ蓑を借りようとした時に、山吹の小枝を差し出したと言う故事に因んでいる。この話、道灌の相手は農家の若い娘という事になっている。勿論、その場合の農家は豪農であり、娘は今で言うご令嬢である。それでも若い娘が、後拾遺集の和歌を諳んじ、咄嗟にそんな所作が出来るのだろうか?私の浅はかな推論では、当時、ものがないときには、「山吹の小枝」を差し出したら、断りの印という教育が行き届いていたのではないか? それにしても、文学的教養と実用性を兼ね備えた立派な実学の教育体系があったことが伺える。「福沢諭吉の実学の教え」の源流は、こんな所まで遡ることができるのかも知れない。201011251135皇帝ダリア.jpg

今日は「関口芭蕉庵」にたどり着かないで終わりそうだ。芭蕉庵の入口は駒塚橋の胸突坂の途中にあるが、隣の水(すい)神社に参ったので、通り過ぎて講談社の野口記念館まで行ってしまった。記念館の入口に「皇帝ダリア」が美しく咲いていた。名前のせいか お高い(背が)花である。散歩は東京散歩の他、
コウタロのサッカー見物を兼ねた多摩川など川崎散歩、またryuの野球見物などでの横浜散歩もした。お陰で先週は、久方ぶりに12万歩を越えた。
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京都散歩2010-10月 [散歩]

今回の京都散歩は、松ヶ崎から宝ヶ池を経由して、上高野まで約2万歩の散歩だった。
DSC08622.JPGDSC08623.JPG叡山電鉄の始発駅・出町柳を出発して5つ目の駅・修学院で下車してすぐ西に向かって歩く。五山の送り火の1つ「法」の字の松ヶ崎・東山の南の大通りを少し北に入った裾の細い道を歩く。自動車の喧騒がウソのように静かな古民家や田園風景が開ける。間もなく松ヶ崎・大黒天(妙円寺)。写真は参道のぼんぼり。DSC08627.JPGDSC08628.JPG
同様に、東に進むと、湧泉寺(写真は本堂)。
そこをまた西に進むと、林山の麓に、末刀岩上神社がある。いわゆる磐座(いわくら)信仰の地である。巨石を御本体として祀っている。この神社のすぐ西側に、桜井水という湧き水があった。
◎ 春めける声にきこゆる 鶯は また桜井に住めるなりける 紫式部
 
DSC08633.JPGDSC08636.JPGそこから宝ヶ池通りに出て、すぐソフトクリームの看板の処を横断すると早、宝ヶ池である。
池のそばに、奇妙で巨大な彫刻(ホルヘ ・テ・ ラ・ ペーニャ作、「エスタンピーダ」:写真を参照)がある。この作品は京都・グアダラハラ(メキシコ)姉妹都市提携10周年を記念して,グアダラハラ市から1990年10月に寄贈された。最初は何なのか?分からなかった。DSC08643.JPG馬のように見えたが、異様な“木の古株”の枝のようなものが生えており、何か妖怪のようにみえたが、よく見ると鬣(たてがみ)が豊かに風に靡いているのである。三匹の馬が重なり合うように虚空を飛んでいる。まさに、野生の天馬、空を駆ける様であった。
池の東を巡って北側の広場に出ると目の前に比叡山の雄姿が目に飛び込んでくる。花園橋を渡り、さば街道を高野川沿いに上の方へと歩き三宅橋を渡って、蓮華寺も越えて、最初に崇導(すどう)神社、そして蓮華寺、最後に三宅八幡と順に参詣した。崇導神社には小野毛人(小野妹子の子)の墓がある。慶長18年(1613)に発見され、石棺から鋳銅製の墓誌が発見された。697-707年の文武天皇期に仕えたという。今回の散歩コースを設定した最初のテーマは、実は崇導神社参拝だった。私の好きなサスペンスの浅見光彦シリーズ「崇徳伝説殺人事件」で、この崇導神社が出てくる。異様に陰気な雰囲気で、まさに魔道に経を捧げて恨みを晴らす崇徳上皇を祀った神社にふさわしい雰囲気が気に入っていた。今回訪れて、期待に違わぬ陰鬱な冷気が身を包み、西行が上皇と夢で出会う雨月物語の気分を味わえた。
DSC08651.JPGDSC08656.JPG
蓮華寺も印象深いお寺であった。黄檗山の隠元禅師、木庵禅師などの影響の濃い禅寺風の本堂や、茅葺の鐘楼堂や裾が波打つ梵鐘も珍しかった(写真参照)。



その後、三宅八幡までの道も素晴らしかった(写真参照)。今年の残暑の厳しさを思い出させるように、彼岸花が10/6というのに綺麗に咲いていた。DSC08659.JPGDSC08660.JPG
最後の三宅八幡では、外出寸前の神主さんがわざわざ引き返して、参拝の栞を頂きました。虫除け八幡は、子どもの疳(かん)の虫よけ、小児病を治す神として崇められている。
DSC08662.JPG
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民主党迷走? [散歩]

今日は電気記念日という。日本での家庭配電開始が明治20年(1887)3月25日である事から
昭和2年(1927)に日本電気協会が制定した記念日である。既に120年余を過ぎたが、家庭に
おける電気は、水道と共に、ライフラインの中でも最も命にかかわるインフラ設備である。

私は昨日“哲学の道”を辿って、雨中散歩を楽しんだ。“哲学の道”の終着点は南禅寺。
京都のサスペンスものではよく出てくる水路閣(南禅寺境内を通る琵琶湖疎水の水道橋)と
その後、琵琶湖疎水記念館を詳しく見学した。琵琶湖疎水は明治23年(1890)に竣工した。
現在も京都市民のライフラインとして現役で稼動する施設だという事である。
今年、竣工120年に当たる。勿論、水道の歴史は電気よりも長い。芭蕉が延宝5年(1677)から
4年間、江戸小石川(神田川上水)で水道工事に携わっていたという話もある。
琵琶湖疎水の工事は日本で初めての長いトンネルを掘るなど、困難な工事を純日本技術で
完工したという。そのために病気や事故で殉職された17名の慰霊碑(「一身を工事に殉じ、
万戸(沢山の家々)その恩に潤う」と銘記されている)があるという。殉職された人々や、その
ご家族は大変お気の毒だが、そのご恩に京都市民が感謝しているという。素晴らしきかな!

現代の我々に、ご先祖の血の出るような苦しみ、汗と涙の結晶の上に暮らしているという
認識と感謝の気持があるだろうか? 問題なのは「感謝の気持を持てない様に育てられた」、
「親が悪い」、「世間が悪い」という不平不満を並べ立てる人々と、それらの人々と結託して
権力を弄ぶ輩の増殖である。不平不満を並べる人々の真の問題を把握し解決に立ち向かう
べきである。私が民主党を批判する根本は1つである。彼らは真の問題に立ち向かわない。
民衆のご機嫌を露骨にとる政治スタイルで権力を握る事を臆面もなく日本に顕在化させた。
民主党は、そういうスタイルにバカな政治家が付和雷同して大きな勢力になっている。だが
問題はそれだけでは無い。民主党のやり方を他の党も一斉に真似しだした事こそ真の問題。

亀井大臣は、郵政民営化を、また国営化に近い形にして民衆の為だという。しかし本音は
選挙基盤を維持・強化するためではないのか?郵政民営化で困る人々を救う手段は、国営化
する以外に幾らでもやりようがあるはずだ。完全な偽善行為である。国民新党を社会主義的
と呼ぶのは間違い?社会のためではない。生方騒動のゴタゴタも、鳩山首相や小沢幹事長の
言動も、社会のためでは無いことは明らか?都合の良い時だけ国民をチラリと見ていかにも思い
やっているポーズ(スタンドプレー)だけ?政治家よりも役者になったらどうか?如何なものか。
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国連デーと散歩 [散歩]

久し振りに朝から曇天。午後の散歩に出かけるときに少し薄日が差したが、また曇天で風も
無く気温も丁度良くて、ほとんど汗らしい汗もかかなかった。この所、妻が不在だったので
散歩も変った歩き方をして、道の新発見を幾つもしたが、今日も普段には歩かないコースを
とったので、またまた2つばかり、新しい道を開拓した。私の‘新しい道’とは、今までに
歩いたことがなく、かつその道の出口が想像できない道である。私の頭の中にある道の地図
に、簡単に書き込める道はかつて歩いたことのない道でも‘新しい道’とは呼ばない。

今日はいつの間にか新興住宅街に踏み込んでしまった。前から見覚えのある家や歩いた道も
有ったのだが、しばらく行かない内に随分と家が建て込み、何処までが歩いた道か?新しい
道かの区別も付かなくなってしまった。そこで、ふと考え込んでしまった。
認知症になるというのは、こういう状況のことではなかろうか?と。記憶の一部が欠落する
と、既知の道が見知らぬ道に、見知らぬ町に変貌してしまい家に帰りつけなくなる。
ならば、私も既に認知症?いや‘認知笑’くらいか?新興住宅街と思い込んでいるが、実は
記憶の一部が欠落しているのかも知れない。だとするならば、‘新しい道’等と言っているが
それも単に記憶が欠落しているだけではないか?疑いだすと空恐ろしい事になってきた。
くわばら!くわばら!まあ考え込んでも詮無い事。

帰り道、少年が用水路で今迄みたこともない大きなザリガニを捕獲しているのに出くわした。
普通のザリガニの2倍くらいあった。飼育しているならまだしも野生でこんなに大きいのは
越冬したに違いない。「大きいなぁ!立派だね。良かったね!」と、感嘆して声をかけたら
少年はハニカミながらも嬉しそうだった。彼の幸せそうな心持を思うと、私まで幸せな気持
になれた。‘認知笑’のことで勝手に思い悩んだかと思えば、またザリガニ1匹で幸せ気分
にもなれる。私は、本当に単純で、お気楽な性格だなぁ~!

昭和20年(1945)の今日、忌まわしい第二次大戦を記憶に止めて平和と安全の維持、各国間
の友好関係の促進を目的に、国際連合が国際協力組織として正式に発足したという。平和と
安全の維持、そして各国間の友好関係の促進は、約束を守ることが基本ではなかろうか?
日本は昭和8年(1933)に国際連盟を脱退した。そして第二次大戦へと傾斜していく。
理由によらず対等な国同士の約束を破るという事は国際的な信用をなくし、孤立化する?
民主党の普天間基地問題に関する世界認識の甘さがあらわになってきた。如何なものか。
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芭蕉と秋散歩’09 [散歩]

今朝は曇り、天気予報は午後・雨だったので、午前中から散歩に出た。
しかし、その頃から晴れ間が見えたので用心の為に日焼け止め。案の定、日差しが背中を暖め
少し汗ばむくらいの快適な秋散歩になった。もう秋も深まる寒露の頃で、引用に相応しくないが
次の芭蕉の句を引いて、最近の散歩の感慨を述べてみたい。
◎ あかあかと 日はつれなくも 秋の風  ばせを  元禄二年(1689)

上の句は、芭蕉が「奥の細道」で数々の名句を詠みながら行程の3/4程度を経過し、終盤に近い
北国行脚の時に詠んだものである。季節は立秋を過ぎた残暑の頃であるが、毎日歩いている
私には、すごく分るような気がするのである。
長い夏を歩き続けてきた身には、秋とはいえ残暑の厳しさに、お日さまのつれなさを恨みたく
なる。しかし萩・すすきに吹く僅かな風に慰められて、その気持を切り換え有名なこの一句を
ものにする芭蕉は、生の苦しみを支え人生を豊かに生かす力を備えていると思う。

人間はかけがえのない恵みの源であるお日様という存在さえも、“つれない(思いやりがない、
むごい、薄情だ)”と、私など凡人は恨みがましくなることがある。
だから理由もなく最愛の人を殺されたら復讐する。或いは不正の温床になりやすい天下り等を
全面禁止する。そういう行為は正当である、ということを主張したいわけではない。
そうではなくて、恨み、ねたみ、反感などの感情は、人生を豊かに生かす力にならず、却って
人生を害し、貧しくする力になってしまうということである。

私の様な凡人が散歩の途中で、お日様をつれないと思ったとしても大した事はないと思う
かもしれない。しかし、そのような些細な恨み・辛みでも、そんなものを長引かせては、
私にとってかけがえのない散歩、即ち自分を活かし自己の人生を有意義なものとする力を
失ってしまう。芭蕉のように爽やかに、素晴らしい気分転換を成し遂げる心がけが大切だ。

さて、私の生甲斐である散歩を継続する大切な道具・‘新しい運動靴’の履き心地や如何に?
今日は運動用の厚めの靴下をはいて、初日の散歩に使用してみたが、おおむね良好だった。
ただ、1万歩程度歩いた時点で、足の指の分れ際辺りに圧迫感があり、靴の紐を緩めてみた。
しばらくして圧迫感は少し弱まった。まあ履き慣らす範囲内?如何なものか。
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閑話’091013 [散歩]

今週からまた仕事がないので、早朝割引のゴルフ練習に行きたいのだが、宵っ張りの朝寝坊で
今朝も行けなかった。筋トレ・素振り後に、散歩でイオンまで行き、誕生月の割引を利用して
つましい生活のために、散歩で草臥れた運動靴の予備、その他、無駄のない買物をしてきた。
経済的にどういうカラクリになっているのか、こういう量販店では、セール品と誕生月の割引
を合わせると30%も値引きされて、私の必需品等は年々安くなって来ているように思う。

現役引退後、当地に転宅した後の散歩用運動靴の購入についての変遷を振り返ってみよう。
私は元々、あまり靴一般に対して難しい注文をつけない主義だった。私は足を靴に合わる、
即ち多少の齟齬は使い慣らしてしまうことができた。運動靴の選択は若干のクッション性と
簡単なフィット感以外には、基本的に経済性(即ち低価格)を、殆ど最優先としていた。
従って最初の頃は2千円・3千円の運動靴を愛用していた。毎日1万歩以上歩いていると、
靴の底が割れるとか、底が剥れる等でダメになった。恐らく生産技術の海外移転当初の初期
トラブルだったように思う。近年の運動靴は随分改良されて、耐久性等の品質の改良と共に、
低価格も維持されてきているように思う。

毎日1万歩以上歩き続けていると、私も何時の頃からか履きなれた靴でも足が痛くなってきた。
足を靴に合わせる能力が衰えてきたのだろう。その頃から経済性と共にフィット感を大切に
しだした。すると、やはり無名のメーカでなく、ブリジストンとかミズノなどのブランド品が
よりフィットするように思った。そこで、その中では安いクラスのもので、しかもセール品等
を狙って購入するという戦術をとっている。

最近では、ブランドの安いものも、無名のものも価格に差はない。
従って今日もブランド志向で、自分の足に合っているミズノの運動靴(セール品)を選択した。
まあ私の購入する運動靴などは、世間でいう超高価なブランド品とは月とスッポンの違いだ。
そんな超高価なブランド品を欲しがらず、つましく生活すれば、それなりに結構な生活が
できるからといって、満足できるのは、既に欲望が枯れかかっている人間だからだろうか?
それはさておき、年金暮らしの身にインフレや消費税の値上げ等が心配だ。これからの日本は
その国力をバックに政策的にも市場的にも、食品等を含む庶民的な必需品の諸物価は、適切に
コントロールされるメカニズムが働くようになっていくのだろうか?如何なものか。
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中秋の名月 [散歩]

今朝は全天あまねく真っ青で爽やかな秋空だったが、午後になって少し雲が出てきた。
今日は旧暦8月15日。従って今宵は中秋の名月という事になる。しかし月齢では明日が満月。
1日や2日のズレはままあることらしい。だとすれば、芭蕉が、名月と仰ぎ見て、夜もすがら池を巡っていた時も、名月を取ってくれろと子供が泣いた時の月も満月ではなかった可能性もある。
まあ、そのような事はどちらでも良い。子供が欲しがったり、夜もすがら池を巡ったりする時の月には、人々にとって、特別の何かが感じられたのだろう。その何かに感応することが素晴らしいのであり、月齢の満月かどうか、は問題ではない。

兎も角、今宵は天気が気になるところである。今日の月の出(岡山)は16:57。日の入りが17:46だから、与謝蕪村の俳句、“菜の花や 月は東に 日は西に”と季節は異なるが入り日と月の出が同時に見られるはず。今日の散歩は、夜の合唱練習の往復にしたから、そういう光景を見られるかと思われたが、東の空は厚い雲に覆われて期待は見事に外れた。

合唱練習が早めに終わり急いで外に出た。しかし残念ながら月明かりは無く、トボトボと歩きながら、既に1万歩超えなので、どの辺で妻に迎えに来てもらおうかなどと自分勝手なことを考えていた。そんな時、ふと見上げると、ビルの上に白い煙のようなもの見える。良く見ると月明かりに光る雲だ。“アッ!月だ!”と慌てて場所を替える。薄い雲から透けて見えるお月様が素晴らしく輝いて見えた。17時頃に出たはずなのに、もう中天に輝いている。ほんのわずかな雲だけがかすかに流れて月はますます冴えわたる。まがう事なき中秋の名月!
◎ 月月に月見る月は多けれど 月見る月はこの月の月  読み人知らず
091003_月見.jpg
あぁ嬉しい。久しぶりの感激の月見。まるで千秋の思いで待つ人に会うような感激だ。今宵の月はどう見ても満月との区別がつかなかった。やはり中秋の名月こそ正に本当の名月であるということが分った。歩きながら何度見上げても見飽きることがない。感激の一句
○ あなうれし 望みの月を 供として
しかし月に群雲、花に風の例えどおり、ついに厚い雲に覆われてしまった。
写真は帰宅したら、妻が月見団子を買ってきていたので撮ったものである。ご愛嬌!
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