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芭蕉と秋散歩’09 [散歩]

今朝は曇り、天気予報は午後・雨だったので、午前中から散歩に出た。
しかし、その頃から晴れ間が見えたので用心の為に日焼け止め。案の定、日差しが背中を暖め
少し汗ばむくらいの快適な秋散歩になった。もう秋も深まる寒露の頃で、引用に相応しくないが
次の芭蕉の句を引いて、最近の散歩の感慨を述べてみたい。
◎ あかあかと 日はつれなくも 秋の風  ばせを  元禄二年(1689)

上の句は、芭蕉が「奥の細道」で数々の名句を詠みながら行程の3/4程度を経過し、終盤に近い
北国行脚の時に詠んだものである。季節は立秋を過ぎた残暑の頃であるが、毎日歩いている
私には、すごく分るような気がするのである。
長い夏を歩き続けてきた身には、秋とはいえ残暑の厳しさに、お日さまのつれなさを恨みたく
なる。しかし萩・すすきに吹く僅かな風に慰められて、その気持を切り換え有名なこの一句を
ものにする芭蕉は、生の苦しみを支え人生を豊かに生かす力を備えていると思う。

人間はかけがえのない恵みの源であるお日様という存在さえも、“つれない(思いやりがない、
むごい、薄情だ)”と、私など凡人は恨みがましくなることがある。
だから理由もなく最愛の人を殺されたら復讐する。或いは不正の温床になりやすい天下り等を
全面禁止する。そういう行為は正当である、ということを主張したいわけではない。
そうではなくて、恨み、ねたみ、反感などの感情は、人生を豊かに生かす力にならず、却って
人生を害し、貧しくする力になってしまうということである。

私の様な凡人が散歩の途中で、お日様をつれないと思ったとしても大した事はないと思う
かもしれない。しかし、そのような些細な恨み・辛みでも、そんなものを長引かせては、
私にとってかけがえのない散歩、即ち自分を活かし自己の人生を有意義なものとする力を
失ってしまう。芭蕉のように爽やかに、素晴らしい気分転換を成し遂げる心がけが大切だ。

さて、私の生甲斐である散歩を継続する大切な道具・‘新しい運動靴’の履き心地や如何に?
今日は運動用の厚めの靴下をはいて、初日の散歩に使用してみたが、おおむね良好だった。
ただ、1万歩程度歩いた時点で、足の指の分れ際辺りに圧迫感があり、靴の紐を緩めてみた。
しばらくして圧迫感は少し弱まった。まあ履き慣らす範囲内?如何なものか。
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