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京セラ美術館など [散歩]

京都散歩記事も長引いたが、今日は京セラ美術館などの鑑賞から派生した話をしたい。
そもそも京セラ美術館に、どんな目的があって行ったのか?後で考えたら???となった。
特に展示されているものに、前もって特別の興味があった訳ではない。
それでよくよく考えを巡らせたら、その日は、美術館等の休館がやたらある日なのに、
京セラ美術館は、開館していたから行ったという訳である。

隣に見本市や大きな会議のできるパルスプラザというビルがあり、中にレストランもある。
昼食は、そこできのこスパゲッティ(野菜サラダと飲物付)を食べた。中々美味しかった。
お値段は千円札で二百円弱のお釣をもらった。サービスもよく、スペースもゆったりして
京セラ訪問に幸先の良さを感じたが、その感触は間違っていなかった。

京セラ美術館には、ピカソ87才の時の銅版画347点、東山魁夷「山霧幽玄」、平山郁夫の
「平等院」、吉井淳二「市場」、その他の絵画、彫刻等なかなか見応えがあった。しかし
私が、最も魅せられたのは、ファインセラミック茶器「玉磁」と、乾隆ガラスであった。
その理由は、「玉磁」や乾隆ガラスを観覧している時に、丁度団体さんが入って来られ
それに付き添う案内の方(案内係ではない?もっと偉そうな人)の説明が良かったからだ。

“乾隆ガラス”は、中国清代に作られたガラス製品の総称だそうだが、特に乾隆年間
(1736-1795)に作られたものが優れているので、この名が付いたとのことである。
「玉磁」は地色も絵模様も、様々なものがあったが、地の色はうわぐすりを使う陶磁器と
違い、中まで同じ色だという。

「玉磁」には、艶消しと艶出しのものがあるが、艶出しのものは、磨き上げるという。
有名な陶芸家が、艶出し玉磁表面の光の反射具合が完璧過ぎるのを見て「気色悪い」と
表現したそうである。玉磁の絵付けはマイセンの専門家に依頼して開発したという。
ファインセラミックの焼成は1800℃という高温だから、普通の絵具では旨くのらない。
しかも色によって仕上げの温度が異なるという大変な手間がかかるという。また玉磁は
陶磁器に比べて丈夫であるという。玉磁発表の日に、稲盛会長が絨毯の上ではあるが、
放り投げたという逸話も紹介してくれた。「玉磁」のお値段は、百万弱~数百万円?
らしい。さすが稲盛会長、太っ腹!

そんなこんなで、最初は見る気のなかったファインセラミック館も見物した。そこで
私は、中国・長江の中・下流域から出土した5千年前の玉器に施された極めて精巧な
紋様の彫刻と、その複製品の再現に関する苦労話を知った。

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京都散歩2012-9月 [散歩]

嵐まだ去りやらぬ今日、高速を走り京都へ早すぎる彼岸の墓参りをした。途中の高速では
強風と雨で、結構、車の走行が不安定になったが、京都に着いてからは天候も回復した。
今日のブログは、京都四条界隈の何の事はない写真の羅列。

DSC09404.JPG最初の写真は、西洞院四条の角になる「化粧水」の湧水があった?小野小町(山形(出羽の国)の生れという)の別荘の跡。写真を撮っていると、道行く人が、振り返って、写真の立札を見ていた。私の様なよそ者ではないと思うが、そんな立札を写真に撮る人も珍しいのかも?


DSC09406天満宮降誕の地.JPGDSC09408道元じじゃく.JPG次の写真は、菅原道真降誕の地の石碑である。西洞院通りに面した四条から高辻通り手前にある菅大臣神社鳥居のそばにある。

次の写真は、道元禅師示寂の地。禅師は鎌倉時代初期の禅僧。日本における曹洞宗の開祖。ネットによると、「建長5年(1253年) 病により永平寺の貫首を、弟子孤雲懐奘(『正法眼蔵随聞記』を編す)に譲り、俗弟子覚念の屋敷(京都高辻西洞院)で没す、享年54(満53歳没)。」とある。西洞院通りを高辻通りで西に入ると間もなくである。

DSC09412伏見道.JPGDSC09414秦家.JPG禅師示寂の地を少し西に行ったところの東中筋通りの入口に、「ふしみみち」という石柱があった。

高辻通りから、油小路を北に向けて歩いていると、「秦家住宅」という京都の旧家の家があった。

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二日連続の散歩話 [散歩]

今日は、久しぶりに曇り後雨という予報だった。
従って、早めの散歩に出かけたが、天気男の悲しさ、出掛けた途端に晴れだした。
風はあって爽やかだったので、スロージョギング(SJ)で短時間目標達成を試みた。
最初は風の助けや、家などの陰を利用して快調だったが、体温の上昇につれ
ペースを上げていたからか、汗がドクドクと流れ出して、目まいがしてきた。
だが丁度、電動車椅子の爺さんが後から付いて来るので、格好をつけて走り続け
根性で目まいも治して、目的地の“いづみ”到着。SJ=33分58秒、万歩計=6300歩

それでも、夏真っ盛りのSJに比べれば軽いものである。
汗が目の中に入るほどではなかったし、目まいといっても歩行が乱れる程ではない。
帰路は歩いたが、時々薄曇になると、風の心地よさが格段に増してくる。

話は少し逸れるが、明らかに散歩、乃至は運動で歩いたり走ったりしている人に
イヤホーンをして、音楽などを聞いている人が居る。マラソン選手などで、
毎日何十キロも同じ場所を走っている人ならいざ知らず、歩いたり走ったりする
正味の時間が、1~2時間程度でそんな事をする人の気が知れない。と言いながら
私も一時期、合唱練習の為に音源を聞いていた事があったが、いつの間にかやめた。
外を散歩していると、耳が聞こえないのは、危険であることがひとつ。
もう一つは、外気や、風景などの毎日の移り変りに、より興味を魅かれるからだ。
私が、十年一日の如く、雨の日も風の日も夏も冬も欠かさずに、散歩できるのは
健康の為だけでなく、外界から受ける様々な刺激に対する興味が尽きないからだ。

山折哲雄(1931-)著「わたしが死について語るなら」2010発行という本がある。
その本の最終章の「お前は今、死ねるか」という最終節の一部を概略紹介する。
“私は長い間散歩する事を趣味にしていた。年を取るにつれて、散歩が楽しみで
 今日まで生きてきた。・・・中略・・・あるとき天の方から「お前は今、死ねるか」と
 いう声が聞こえるようになった。大抵の場合「今は駄目だ」と答える。易々と
 死んでなるものか、という思いが胸元を突き上げてくるからである。
 ところが不思議な事に、その天の声が聞こえてきた時に「今なら、いいぞ」と
 答えていることがあった。・・・中略・・・いつのまにか自然と一体になっていた
 自分を感じていたのです。” 山折氏78才の時の文章である。
私は、無論、氏のような境地にはない。天の声も聞こえないし、自然との一体感の
経験もまだまだである。だが、氏の経験を理解できる気がするのだ。如何なものか
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春うらら散歩 [散歩]

今日も昨日に続き好天で、おまけに風も余りなく、光線も暖かで、春の陽気を満喫した。
散歩途中、1-2歳位の可愛い女の子が、三輪車に腰掛けて何とも幸せそうな顔をしていた。
ニコニコしながら何かブツブツ言っていたが、子ども同様に幸せそうにして座っていた
お母さんに話しかけていたのかも知れない。特に意味もない片言だろうが、この陽気の
素晴らしさを片言で共有している母子に、幸せのオーラが輝いて見えた様に思えた。

それで五ヶ月前に「幸福感」について書いた一連のブログの事を思い出した。幸福感には、
更に様々な形態や性質がある事を、今日の散歩途中に見かけた母子の様子から学んだ。
「幸福感」には、環境要因もあるが、環境要因が欠けたらなくなるとは限らない?例えば
今日の様な陽気は「幸福感」をもたらすが、陽気の欠如が「幸福感」の喪失に直結するか?
もっと直截な例で言えば、経済的自由・不自由で「幸福感」に変化を来たすとは限らない?
それらは皆、個人的問題で、相対的か絶対的かは、人により異なるのではなかろうか?

私は、2011-12-01のブログ「絶対幸福感覚はあるか?」で、「病者の祈り」という詩を例に
作者が重要体験を通して、能力、健康、富、権力等の有無に左右されない「絶対幸福感覚」に
到達したのではないか?と結論付けた。即ち「絶対幸福感覚」の存在を肯定した。
「絶対幸福感覚」とは、自己の奥底から真の幸福を感受する感覚能力の事である。例えば
今日の様なうららかな春の陽気に、その素晴らしさを感受し、幸福を分かち合う能力だ。
2012-03-14のブログ「春日和」で引用した芭蕉の句
◎ よく見れば なずな花咲くかきねかな 芭蕉 貞享3年(1686) 芭蕉43歳
について、鈴木大拙は、『禅と精神分析』の中で、次の様に解説している。
「・・微塵も見せかけのない美しさ。・・その時、芭蕉の胸の内には、何とも言えぬある感じが
脈打っていたに違いない。キリスト教で言う“divine love(聖なる愛)”に通じる宇宙に
満ち満ちている生命の最も深い底に到達しているものなのだ。」

うららかな春の陽気の素晴らしさを感得できる事は、人間に「絶対幸福感覚」が本来的に
備わっている事を示しているのではないか。最も深い底に到達しているか否か別にすれば、
春の陽気は宇宙に満ち満ちている生命そのものなのだから。科学は、精神的豊かさを追求
した余禄だった。目的を見失い、科学を安易な物質的豊かさ追求の手段にする事は人間を
苦しめる?しかしその苦悩を通して人は「絶対幸福感覚」の底に徹し得る?如何なものか
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寒さ本格化?(2) [散歩]

TV等の天気予報によると、日本列島は強い寒波に襲われ、東北、北海道等は記録的な積雪。
26日の最低気温は、岡山市-2.9℃、奈義町-7.9℃など県内16観測所全て氷点下。内8カ所で
この冬の最低を記録したという(岡山地方気象台情報)。
我家の洗面所の温度計も、一応、外気温と相当強い相関がありそうだ。

今日も一昨日同様に猫の目天気だったが、幸い雪にならず、洗濯物の取入れに帰宅せずに
済んだ。しかし帰路の風は、氷の刃の様に肌を差す冷たさであった。それでも、少し厚着を
したからか?恥も外聞もなく、声を出して合唱練習をしたからか?薄っすらと汗をかいた。
合唱に情熱をなくしたからか?ここのところ、久しく散歩で合唱練習をしていなかった。
散歩の練習は、音楽媒体に練習曲を録音するか?歌い込んで、ほぼ暗譜状態にして、
イメージトレーニングないしは実際に歌うなどを行う。散歩練習の条件が備わっていなかったが、
今度の演奏会に歌う曲を、ほぼ暗譜状態にまで漕ぎ着け、この数日、散歩練習をしていた。
お腹から声を出すのは健康に良い。「笑う」のも、そういう精神状態にするという意味と
「ワッハッハ」と、お腹から息を吐き出すのが、良いのだと思う。
歌を唄うのもそうだと思う。歌を唄う精神状態になる事に、大きな意味があるのだろう。
合唱活動の意味は、唄う精神状態でなくとも練習日は歌う習慣を継続できる所にある?

最近、インフルエンザ患者がまた増加しているそうである。しかし園庭で走り回っている
幼稚園では、患者が一人もいないという。戸外で元気に遊ぶのと同様、歌を元気に歌う人々も
インフルエンザに罹り難い、というデータは無いのだろうか? ボケをいうべきでない?
インフルエンザ(感冒)予防どころかカラオケボックスは、インフルエンザウイルスの巣窟?
ネットに、2009年?に学級閉鎖になった高校生がカラオケに殺到して問題になった記事が
あったが、今の段階では、インフルエンザ流行時には、カラオケを敬遠する人が多い。
カラオケを上手に活用するとインフルエンザ対策になる統計データは得られないだろう。
しかし、感冒に罹らなかった高校生がカラオケに行きたがるのは、インフルエンザ予防の
本能的な欲求行動ではなかったか?まあ冗談は程々にしておこう。

2009年は、1918-1919年に世界で大流行し、日本でも甚大な被害のあった「スペイン風邪」
の再来か!と騒がれた年であった。幸い、大問題までには至らなかったようである。
しかし、また何時、襲われるか分からない。その時の為に、準備を怠ってはいけない。
免疫の本によると、インフルエンザウイルス感染に強力な予防効果を持つ物質がある?
GPS(グリコポリサッカロイド)は人の臨床試験でも効果が証明されたとか。如何なものか
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古今集&散歩 [散歩]

古今集の雑歌という分類の中に、なかなか味わいのある歌がある。
◎ 紫のひともとゆえに 武蔵野の草は皆がら あわれとぞみる よみ人しらず
歌意:一株の紫草があるだけで、武蔵野の広大な草原全体に一層の情趣が加わる。
従って、この歌は、様々な状況に転じて、応用できるのではなかろうか?
ある本では、紫草を妻に例え、愛情こまやかな一人(妻)がいるので、親子、兄弟の絆が
強く結ばれ、愛と親しみの中に暮らせるのだという意を含んでいると解釈している。
しかし現代では、それは家族に限らず、さまざまなチームなどにも言えるのではないか?
   
次は、時の移ろいに関する感慨を歌ったものを集めてみた。
◎ 止めあえず むべも疾しとは言われけり しかもつれなく過ぐる齢(よわい)か
歌意:年月は止める事ができないから、疾駆すると言われるのも尤も(むべ) しかも
   つれなく素知らぬ顔で、私の年齢は過ぎて行くよ 
◎ かくしつつ 世をや尽くさむ 高砂の尾上に立てる松ならなくに
歌意:私は、この様にして一生を終えよう。高砂の尾上の松ではないのだから。
この歌は、自分の寿命が、有名な長寿の象徴である高砂の尾上の松と比べ物にならないから
自分らしく生きようと決意したものと読み取れる。しかしこれは、寿命の観点だけではなく
さまざまな観点にも応用できるものだ。己の生き様を再確認した素晴らしい歌ではないか!

散歩の話に替わる。昨日と気温は変らなかったが、風の強さが違ったのか暖かく感じた。
SJ(スロージョギング)でスタート。20分で汗が出そうになったので、そこからは歩く事にした。
散歩で目に映る景色、風の肌触り、出会う人の様子などから様々な連想が湧いてくる。
人間の考えなど、時間の経過で随分変るものだ。昔はそれで良かったと思っていた事が
今では、それは間違いだと気づかされる。考えの次元には、さまざまな次元がある。

今日も散歩の途中に美観地区を通った。人通りはまばらだが、この季節に人が来てくれる。
ありがたい事である。さすが、老舗観光地だけのことはある。週末はまた賑わう事だろう。
駅の北側に出たが、ARIOは混雑しているだろうし、時間が遅くなったので帰路についた。
SJを再開。40分弱(39分39秒)までやった。感謝のサンキュー・サンキューである。
最近は、SJもセイブしている。膝関節の問題もあるが、頑張り過ぎは良くない?と考えた。
膝関節問題に関しては、昨年暮辺りから、「グルコサミン」を飲んでいる。サプリメントは
これがはじめての使用だ。飲んだ途端に利いた様な?そんな気がしてならないの、赤坂!
この正月、カラオケで孫達にせがまれ、久しぶりに歌った「コモエスタ赤坂」の一節(^^)
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散歩つれづれ'12.01 [散歩]

寒さが募ってくると外に出るのも億劫になるせいか、散歩に出るのが遅くなってしまった。
そこで歩いて15分ほどのイタリアン:「パルパスタ」で昼食を摂る事にした。(写真参照)
DSC09204.JPGDSC09205.JPG
普段、あまり入らない店だが、店員さんの感じがよかった。ランチセットを注文。
お好みのパスタに野菜サラダとドリンクバー、それにパンかパスタの大盛りを選択できる。
左の写真は、オーロラドレッシングの野菜サラダ。ドレッシングの味がよかった。
喉の渇きを複数のドリンクで癒す事が出来るドリンクバーも、散歩人間にはありがたい。
メインは、キャベツとベーコン入りパスタ(写真右)。ペペロンチーノに近いという説明。
私は最近、免疫学に凝っていて、昼は日本そばか、ペペロンチーノなどがメインなのだ。
大盛を頼んだが、食べやすくなかなか美味しくて、ぺろりと平らげてしまった。

食事中に、隣の席の話し声が自然と耳に入ってきた。「年寄が口出すと碌なことは無い」
人間の耳は高性能だ。他人の会話は普通、雑音として聞き流されている。しかしひょんな
言葉で、急に話し声が雑音ではなくなるらしい。今回の場合は、“年寄”がキーワード?
何せ、私もあと数年で後期高齢者の仲間入り。レッキとした年寄りである。

そのフレーズを口にした人を伺うと、何と妙齢の美女ではないか?興味が湧き聞くとはなく
耳にしたところによると、ご本人の結婚話に年寄(お爺ちゃん)が口出しして、娘さんは
家を出て、正式の式もせず、結婚生活に入っている模様。同様の状況に陥りかけている?
話相手(本人ではなく関係者?)の相談に乗っている最中の会話らしい。
話の内容は暗いが、妙齢の美女は誠に明るく朗らかで、現在の状況を全く気にしてない様子。
お爺ちゃんに関して何の悪意も感じられなかった。口出しの罪を憎んでも、人は憎まない?
飛んだ盗み聞きだったけれど、実に爽やかな気分だった。それでも今回の経験から、年寄が
何かにつけてでしゃばらない様に、(私としても)気をつけたい。如何なものか
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快晴散歩'11.11(2) [散歩]

11.26に花の写真を撮ったが、何に付けてもど素人の私には、名前がわからなかった。
昨日、たまたま植物図鑑に遭遇した機会に、調べたところ、大体の見当が付いた。
一枚目はネリネ。ネットを使って、更に念押しをして、以下に紹介する次第である。
DSC09094○桃.JPG
図鑑を見た時、直感的に、撮った花がネリネでは?と思ったが、
後で考えると写真とは随分と花の形が違う。そこでネット上で
ネリネの写真を多数検索したがズバリのものに出会わなかった。
諦めかけたが、ネリネ由来の幾つかの記事を読んで、悟る所が
あった。ネリネが、園芸植物として、17世紀頃からヨーロッパに
渡り、20世紀初頭から英国で改良が始まって多くの交配種があるというのである。
従って私の撮った写真はキッとその一種と確信して、ネット検索を熱心に繰り返している内に、
以下のURLの記事に到達した。http://d.hatena.ne.jp/hantubojinusi/20081220
写真の花をネリネと推定した根拠は、実にこの記事に由来する。(以下はその引用)
ヒガンバナ科ネリネ属のボウデニー(Nerine boudenii) という。ネリネは、ギリシャ神話
の水の妖精、ネリネ(Nerine) の名にちなむ。ボウデニーは、人名にちなむ。
ネリネボウデニーは、1904年にイギリスに紹介され、日本には1912年に渡来した。
その他ネリネ参考情報(http://www.kamoltd.co.jp/kakegawa/nerine.html
DSC09090白花大.JPGDSC09089白花.JPG
左の花は、私の推定では、ツメ蓮華。
これも植物図鑑で当りをつけて、ネットで
検索して確信がもてた。
図鑑では頭部が細くなっているし、
いろいろ違って見えたので、図鑑だけでは
確信がもてなかった。確信がもてたのは、以下に示すURLの記事による。
http://photo.air-nifty.com/blog/2008/11/tsumerenge.htm
この記事によると、ツメレンゲは、環境省RDBでは、準絶滅危惧種に指定されているとの事。
環境省RDBは、URL(http://www.biodic.go.jp/rdb/rdb_f.html)を参照のこと。実際に
環境省RDBのリストを調べたらツメレンゲのランクは、確かに準絶滅危惧(NT)となっていた。

ネットでは、様々な豊富な知識を持った人々が沢山存在する事を、改めて思い知った。
今回の写真検索によって、戸外散歩の楽しみ方が、無限に広がる様な予感をもった。
ど素人の悲しさ、品種に間違のある場合、ご叱責を賜れば幸いである。如何なものか
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快晴散歩'11.11 [散歩]

DSC09079快晴.JPGDSC09086銀杏.JPG今日は手順よく、比較的早い時間から散歩に出かけた。昨日以上の冷え込みだったが、快晴なのでお天道様のエネルギーを頼りに、昨日よりも若干薄着で散歩した。最初は寒く、スロージョギンで体を温めるも、なかなかヒートアップしなかったが、お天道様はありがたい。徐々に快適になってきた。
写真は山の端まで真っ青な快晴の写真である。どんなに快晴でも地平線近くは乳白色になるのがほとんどで、空気が乾燥した冬でないとこういう写真はなかなか撮れない。

散歩の最初は、日なたが有難く、日陰になるとゾクリとなる。暑い頃はあんなに日陰がいとしかったのに、寒くなると厭わしくなってしまう。所が、スロージョギングで体が温まると、日陰がまた有難くなる。人間の体感は同じ様な状況でも、環境や自分の体調で随分と受取り方が異なるものだ。
◎ いとしいと、いとわしいとは、1字の差 わの働きに驚かされる  自作

次の写真は、黄葉した銀杏の木である。銀杏の黄葉する時期になると、この時期に逝った友と、友を散り行く黄葉の銀杏に見立てて詠んだ奥さんの追悼和歌を思い出す。読むものの魂を揺さぶる言葉、そして和歌の威力を改めて思い知らされる。

閑話休題:幸福感を考える上で、音感との対比だけでは不十分である。そこで言語能力について幸福感と対応可能か検討した。しかし言語力は、認知能力の総合化の手段で、幸福感のような人間の生存にとって有用な認知か?無関係かを識別するという一種の価値観を有していないので不適格だと思う。そこで思いついたのが、免疫力である。免疫力は、人間の生存にとって、有害なものを識別し、排除する能力で、人間生存に関わる価値観を有した能力である。これは幸福感を正しい道に導くためのアイデア発想に役立ちそうだと思う。

現代は、人間の免疫力が低下してアトピー、うつ病、がんなどの病気が増加しているとの事。原因は、過剰な清潔社会、快適で便利な文明社会による活性酸素の増大、過大なストレスなどである。幸福感という幸福認知力が低下しているのに相似するではないか?免疫力を増大し、回復させる事と、幸福感という感覚を取り戻す事には、重要な関係があるようである。今後とも、考察を続けて行きたいと思う。如何なものか
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'11晩秋散歩の写真 [散歩]

今日は雨のち曇の予報で、午前中に雨が止んだので散歩に出たが、少し降られた。
新渓園を通りかかったら、写真グループに出会った。その人々の撮影の視点から刺激を受け
急に写真を撮りたくなり晩秋の新渓園界隈を撮影した。(写真上でクリックすると拡大できます)
DSC09026狛犬T.JPGDSC09036秋.JPG
DSC09015秋.JPGDSC09016秋.JPG
DSC09018秋.JPGDSC09020鯉.JPG





























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