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高梁川用水工事記念碑 [歴史]

今日は、孫の世話で神奈川方面に行く妻を駅まで見送り、倉敷イオンに寄った。
雑用もあったが、酒津公園でのスロージョギングを楽しむためである。真夏の日差しを
避ける木陰がふんだんにあり、空気も澄んで風も涼しく絶好のコンディションである。

2008.04.04のブログ「酒津・定点観測」でも少し触れたことのある用水工事竣功記念碑
(用水工事竣工記念碑)を改めて見た。5mはあろうかという巨大な碑である。
酒津貯水池に向かって立つ碑の碑文を改めて眺めた。遠目で判読が難しかったが、
大変なご苦労をした工事であり、完工した喜びが、文面に溢れていた。

そこでもっとチャンと知りたいと思って、高梁川東西用水組合に行って様子を聞いた。
碑の文面に関しては、現代文に翻訳した文章のコピーを頂いたが、後は分らないとの事。
ネットで調べたら、いろいろ分るだろうと思って帰宅後、調べたが余り情報がない。
頂いた現代語碑文は、結構貴重な資料のようなので、要点をかいつまんで記しておく。

用水工事竣工記念碑文(この碑文の日付は、大正14年(1925)4月)
1.高梁川改修の論議は、明治13年、17年の大水害あたりから始まった。
2.時の内務大臣に度重なる請願・陳情。明治25・26年の未曾有の災害で、人命、家畜の
  死傷、耕地・宅地の荒廃により、一層の改修に迫られた。
3.当局の熱心な陳情の結果、明治39年 改修の議案が通過。明治40年 着工に至った。

洪水の対策は出来たが、一方、総社・湛井(たたい)堰による取水で下流が渇水する対策を
とる必要が出てきた。(洪水対策によって、耕地面積が増加した?) 大正5年に
渇水対策として、現在の酒津貯水池を設けると共に、用水組合を統一することになった。
しかし、そのための調査と協定は容易に進まず、前後7年を費やしたという。
その時のことを、「共同施設の利益を体験している今(大正14年)からみれば、まるで
悪夢のようだが、当時は互いに譲るところが少なかった。ともあれ、融和・協調して
合同の目的を貫徹できたのは、実に地方100年の慶賀である」
4.総工費は、当初90万円の予算だったが、欧州戦乱(第一次大戦?)による経費膨張で
  279万円余になった。その内、197万円弱は国庫からの補助だった。

碑文だけを読んでも、全体像は中々浮かんでこない。
何故、これ程の大工事を、一般にわかりやすく、しないのだろうか?
この辺が、日本人が、みんな専門(たこ壷)に閉篭る原因ではなかろうか?


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流される? [歴史]

東日本大震災は地震、津波、原発事故等の被害の大きさから、未曾有の大災害となった。
この危難を乗り切るに当たって、気を付けなければならない事が、沢山あるように思う。
しかし、今の状況では、苦言を呈するような何かを言えば、皆から白い目で見られる?

かつてブログ「2009-11-23続2・たこ壷社会[社会]」で「起承転結」サイクルを指摘した。
明治維新から終戦までの約80年間と、戦後から約60年間の世の移ろいが似ているのである。
<起>の期間は、新生日本の復興ということで目覚しく頑張る。復興が一段落の<承>の期間は
徐々にリアリティを喪失していく。そしてイケイケムードの<転>の期間は挫折(金融破綻等)
で締め括られる。この<起・承・転>は、明治維新から終戦までと、戦後から現在までとが
非常に似ている、と私は考える。戦前は、挫折を起点とした<結>の期間でもリアリティを
回復することなく、破滅の道へと突き進んでしまった。現在は戦後から66年目に当たる。
既に<結>の期間に突入している。そこに起こった「東日本大震災」にどう対処する?

<結>の期間で大切な事は、社会が喪失したリアリティを回復することだと思う。
日米安保問題、北方四島・尖閣諸島・竹島などの領土問題、国債乱発の肥大予算、政府の
情報隠蔽(尖閣問題)、自衛隊の言論封殺など民主党の政治にはリアリティが欠如している。
民主党政権は、既に死に体だった。そこに「東日本大震災」が天から降ってきた。
民主党政権には、干天に慈雨? 国費の大幅引き上げ、その他、国が全面に関与するらしい。
今や、民主党政権の失政は、「東日本大震災」の大津波に呑まれてしまったのか?

思えば戦前の<転→結>への契機となったのは、1923年の関東大震災と1927年の金融恐慌。
戦後の<転→結>への契機は、2008年の金融危機そして、今回の「東日本大震災」という事?
金融問題と大震災は前後しているが、余りにも、似通っているではないか?

私は今こそ、初心に返って考える時ではないか?と思うのである。戦前の<結>の時期
国民それぞれに言い分はあったと思う。しかしあの惨めな敗戦を分っていればもっと何か
手立てはあったはずである。もっと互いに意見を戦わせて、暴走を防げたはずである。
初心とは昭和天皇の「終戦の詔勅」の基本部分。「時運ノ趨(おもむ)ク所、堪ヘ難キヲ堪ヘ
忍ビ難キヲ忍ビ、以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス」をジックリ噛締めるべきでは?
あの敗戦の苦しみに耐えるよりは、それを回避するために耐えた方がマシだっただろう?
人間は、歴史に学び、未来に活かすことが出来る。「東日本大震災」を口実にした民主党の
リアリティ喪失の暴走に歯止めを掛けなければ、戦前の二の前になる?如何なものか。
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相撲は国技か? [歴史]

今日のTBSテレビの「ひるおび」という番組で、「相撲の歴史」が取上げられていた。
これは面白いな!と思って、少し調べてみた。幾つか拾って、掻い摘んで、以下に記す。
1.明治時代になって、欧化思想の華やかな鹿鳴館時代には、「相撲は、裸踊りの野蛮なもの。
  廃止すべし!」という若手官僚に排撃されたという。
  (現代の教師による「国歌・国旗」反対と似通ったところがある?
   ただ、相撲を国技として、思想的に排撃しようとしたものではないのではなかろうか?
   それとも、西洋かぶれで(西洋思想に洗脳されて)、保守思想を排撃したのだろうか?
   今となっては不透明だが、現代の「八百長騒動」を読み解く鍵にはなるのでは?)
2.板垣退助が、外国の賓客に相撲を観覧してもらうために相撲興行の常設館を提案した。
  (何せ当時は小屋がけ興行で、晴天でないとできないので、10日の場所が1ヶ月になると
   いうことも、珍しくはなかったらしい。)
3.常設館を「国技館」と命名した経緯については、ネット上でもいろいろと書かれている。
  はっきり言える事は、責任者・板垣退助ではなく、相撲協会の役員だったということ。
  (前2項にも書いた通り、当時の民衆を始め知識人でも相撲=国技という認識は薄い?
   国技館開館の時期は、日露戦争終了直後の明治42年(1909)。欧化主義に反動的になり
   国粋主義が台頭する時期と一致した事が、「国技館」命名によって、相撲=国技という
   認識に、一挙に火をつけた、といえるのではないか?)

今回のマスコミによる相撲の「八百長事件」の過熱は、相撲=国技という認識を強化する方向?
これは、日露戦争後の、夏目漱石の警告を無視して、国粋主義・軍国主義に走った過ちをまたも
繰返す愚を冒しているのではなかろうか? TBSテレビ 「ひるおび」の一部を見習えば?

私は、2011-02-04の「八百長相撲」という私のブログのコメントに対する書き込みで
“大相撲の事件へのマスコミの反応には、伝統擁護と、伝統廃絶(例えば国旗・国歌訴訟等)との
 奇妙な共鳴現象がその背景にあると思います。そういうことが、ことの真相を不透明にし
 民衆を不安に落しいれ、過激な扇動(者)に乗じる隙を与える事になると思います。”
と書いた。

相撲=国技という思い込みを持っている人々は、明らかに、虚像に洗脳されている訳である。
「国歌・国旗」=国家権力という思い込みに洗脳されているのと同じである。相撲=国技?否?の議論
は必要ない。「国」が頭に付く言葉に踊らされない事が、平和な日本に必要不可欠である。
金ばかり欲しがる「守銭奴道」ではなく、事の真贋を極める「道」こそ大切??如何なものか。

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「坂の上」から「坂の下」へ [歴史]

今日は太平洋戦争開戦記念日。明治維新・坂ノ下→日露・坂の上→坂ノ下→敗戦・奈落の底。
昨日、日本帝国陸軍が日露戦争(1904-5)・旅順攻撃において大きなミスをしたと書いたが
その元ネタは、高原友生著「悲しき帝国陸軍」である。高原氏の祖父・石原廬(いおり)は
第11師団歩兵第44連隊長として日露戦争に従軍した。当時の事を書き残していたのである。
当時、参謀本部の作戦計画の失敗や現地参謀の独走によって、第44連隊が如何に苦境に立ち
多くの犠牲者を出しながら任務を全うしたことを「子孫に伝える」ためであった。
司令官・乃木希典からの感状(感謝状)も添えてあった。

高原友生氏は、祖父の非公開の記録を読んだ感想として、次のように書いている。
「国民や将兵が、強国ロシアに勝つための凄まじい努力、精進、そして膨大な犠牲を正しく
評価すべきであるのと同時に、日清戦争に既に萌芽がみられる‘驕り’、非合理的精神主義
などに懲りず、無反省に同一路線を踏襲したことを残念に思う。」 また、高原友生氏は
祖父の記録から、日露戦争当時を峠に「坂の下の淵」へ降下する原因について述べている。
日露戦争後、参謀本部は「戦史」編纂に当たって通達を出し、反省点に重点をおかず
不都合な記述を行わなかった。国を誤らせる芽が、「坂の上」の頂点で育っていた、と
高原友生氏は書いているが、その芽のタネは、既に明治維新において蒔かれていた、と
いうのが、私の考えである。明治維新の覇権を勝ち取ったグループが、勤皇攘夷すなわち
「天皇を擁し鎖国を継続し、外国を打ち砕く」というマニフェストを掲げていたのだから。
彼らは、自分達グループの「志」が変わっている事に対して何の反省もなかったのだ。
正に、「勝てば官軍、負ければ賊軍」。勝ちさえすればいいという価値観で、「義」も
何もあったものでは無い。そういう伝統がズッと継続しているのが日本である。

直近の権力者・民主党も、在来日本の権力者の正統な流れを汲んでいると思う?票欲しさの
マニフェストを掲げ、有る有る探検隊ならぬ「有る有る財源」が無くとも何の反省も無く、
厚顔無恥に推し進めるところは、日清・日露から第二次世界大戦までの日本帝国軍隊と、
精神構造は、ほとんど何の違いもないのではなかろうか?折りしも、驕り高ぶって舞台に
大穴を空けるという空前絶後の大失態を演じた歌舞伎界の名門御曹司が、お詫びの記者会見
をした。チラリと拝見したが、自分の言葉なのか疑問?誰かから指導された通りに話して
いる様に思えた。この問題は「良い加減」が好きな日本人の良さを発揮して、丸く納まって
くれればいい。しかし政治的な問題は、「良い加減」から「いいかげん」にならない様に
批判精神を養い、グローバルな正義を見失わないために、努力すべきでは?如何なものか。
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明治維新の歴史認識 [歴史]

やっと、「龍馬伝」が終わったと思ったらまた、「坂の上の雲」が放送されている。
相も変わらず、明治維新を美化するドラマが国営放送・NHKで延々と放送されている。
坂本龍馬や秋山兄弟など、維新期、明治時代に立派な人物がいたことは確かである。
しかしそれなら、明治維新期に限らず、いつの時代でも個人的に立派な人たちはいた。
結局、明治初期の物語が語られる背景には、「明治維新の美化」がある。
歴史認識の一助に、明治維新の実態に関して、少し皮肉な見方をしておきたいと思う。

明治維新そのものが、自発的な活動でなかった点を充分に確認しておく必要がある。
黒船の来航などによる「外圧」に負けて、開国した当時の政府・徳川幕府と、外様大名の
権力争いというのが、正直な実態である。龍馬暗殺事件がそのことを雄弁に物語っている。
新政府となった薩長藩閥政治は、何の展望も持っていなかった。現代の民主党に似てない?
自分達の権力収奪が目的であった。その証拠には、憲法の制定に多年を要し、かつ民衆から
沸き起こる自由民権運動を抑圧し、彼らの創案した素晴らしい「日本国憲法」を踏みにじり
例の明治憲法を作った。

「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」で始まる福沢諭吉の「学問のすすめ」
は、明治5年(1872)に発行された。翌年、各県が組織的に購入し、小学校用教科書として
採用されたが、明治13年(1880)に文部省は、「学問のすすめ」を危険書物に指定した。
「学問のすすめ」は、当時の発行部数で300万部以上もあったという。日本人の自立への
意思は、当初から封殺されたのである。その傾向は、現代にまでに及んでいる?

日清・日露の戦争に勝って、国民は喜んだが、これらの戦争も非常に問題がある。
日清戦争(1894-5)は当初、「清国は、韓国の文明開化に干渉する賊国であり、義戦」と
宣伝されていたが、実は明治政府が朝鮮王朝の完全支配を狙ったもの?いわば後追い
植民地主義である。この戦争が、以後の歴史の方向を決めたと言っていい。明治政府の
無能ぶり、明治維新の大きな欠点が此処にある。この後、三国干渉に国民が怒り、日露へと
至る。日露戦争(1904-5)での旅順攻撃は、乃木希典司令官が無能という事になっていたが
実は情報不足による参謀本部の作戦計画の失敗や現地参謀の独走が原因だった。
こういう課題を陸軍内部の反省として伝わらない体質こそが、本質的な問題なのである。
明治維新を美化して、第二次世界大戦のみを悪者にしても仕方ないのでは?歴史を多角的な
観点から認識して過去の課題を組織として確認・改革する事が大切と思うが、如何なものか。
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マルクスと家族 [歴史]

エンゲルス編・マルクス「資本論」の中で扱われている家族は、ほとんど18~19世紀頃の
急激な工業化・資本主義化で揺れ動く激動の時代の‘労働組織’としての「家族」である。
工業化によって、それ以前の家族形態が崩れた?そして、未成年者労働の問題等で、
当時の世間は、「親が親権を楯に、無慈悲な労働を強いた」というのに対して、マルクスは
「資本主義的搾取様式が、親権の乱用に至らしめた」と書いている。(岩波文庫二・p510)
最近の幼児虐待問題も、この論法でいけば、「資本主義が悪い」と言う事になる。

工業化以前の社会でも、子どもに無慈悲な労働を強いた親もいた。ただそれが工業化以前は
隠蔽されていただけだ。工業化後に、そういう実態が顕在化しただけである。
幼児虐待も、以前は隠蔽されていたし、様々なお節介焼きのご近所等による援助・圧力で
大きく顕在化されなかった。ある意味、親の権利を守ることで、社会秩序を保ってきた。

「資本論」を掻い摘んで読んでいると、マルクスは、資本主義を解明し、資本主義が社会の
変革契機と新たな社会の形成要素を成熟させるという。これを革命と結びつけるのは問題?
「資本論」で、マルクスは資本主義的生産の‘無政府性’という言葉を繰返すが、これは
明らかに間違っているのではないか?マルクス思想を革命思想とするところに問題がある。
「資本論」の中には、老荘思想を尊重するようなところが随所にある。従って「資本論」を
ポスト資本主義以降を、老荘思想的な理想郷の社会を夢見て書いた物と考える観点もある?

人類の長い歴史の中で、「家族」は、何度も崩壊しているが、必ず再構築されている。
現に、資本主義社会になって既に二世紀は経過しているが、未だに家族はなくならない。
NHK・TV小説「てっぱん」を見ていても、決して核家族に萎縮する方向ではなく、様々な
人間の絆を深めて、拡大する方向性を持っている。
今や、「家族」は‘労働組織’ではない。そういう観点から、親は何の権威もなくなった。
しかし、「家族」は、人間を一人前に育てるための‘インキュベータ’なのである。
どんな時代でも、「家族」が、子どもを一人前にしてきた。社会における相互扶助的な
子育ては、満足な「家族」が居ない子どもを援助し、子どもが満足な「家族」を再構築する
手助けをするだけなのである。そのためにお金も要る?しかし子どもに与えるのではない。
飽く迄、援助・支援する人々の経費などである筈だ。民主党の子育て思想は間違っている?
百年?千年?万年?老荘思想的理想郷社会を夢見るのは良いが現実と混同してはならない。
子育てする「家族」を尊重せず、軽視する考え方は、百年?千年?早い。如何なものか。
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言語による疎外 [歴史]

幸田露伴が、明治24年(1891)に書き残した“言語”という短い評論の最後の言葉は、
“「言」は「礼」の声なきなり。「礼」は「言」の形あるなり。「言」にして「礼」に違わば
あやういなり。”という言葉で締め括られている。実に簡潔に事の本質を突いた言葉である。
「礼」は「言」によって形は明らかだが、「言」には「礼」から直接、忠告される事はない。
しかし、もしも「言」が、「礼」の声なき声を聴かなければ、社会はあやうい、という忠告の
ように私には読める。この忠告は、益々、現代の日本社会に大きな意味を持つに至っている。

情報化、グローバル化によって、地域共同体が不安定になっている現状で、社会や個人の利益
とは何か?が分かりにくい。様々な利害が絡み合う個人、団体・組織にとって、社会秩序とは
何か?見えにくくなっているからだと思う。例えば、最近、グローバル企業では、“英語”を
社内共通言語にするという流れにあるようだ。グローバル社会で日本人企業が勝ち抜くために
必須の事かも知れないが、それで良いのか?様々な角度からの議論も必要であろう。

言語の元々の起源は、個人の「社会化」、「共同化」にあったという。しかし、言語機能は
「社会化」、「共同化」に止まらず、「個性化」をも育む複雑さを有している。旧約聖書の
皆で力を合せて立派な塔を建設する途中で、神が言語をバラバラにさせたという“バベルの塔”
の物語はそれを象徴的に語っているとも読み解ける。個人や集団が「社会化」、「共同化」を
極めていくと、個人や集団は「個性化」、「自立化」を志向し、高次元の世界へ向かうのだ。

しかし、「個性化」、「自立化」の道は、不安定であるために、折角の志にも拘らず孤立状態
を維持できず、自立性を放棄して不穏な言説に惑わされ、転落するケースも多いのだ。
第2次世界大戦中のファシズムは、このような観点から見るときよく理解できる。
日本の社会は明治維新以降、国や地域共同体の概念を強固なものとして確立した上で、
“科学技術”という近代言語を入手し、「社会化」、「共同化」という道をひた走った。
しかし「社会化」と「個性化」の緊張関係(即ち「礼」)を見失い、「自立」ではなく、
「孤立」という疎外化によって、ファシズムに堕落した。罠にはまってしまったのである。
敗戦後、“自由・民主主義”という現代言語を併せ持ち、「社会化」から「個性化」へと
進んできている。だが今の民主党政権の政治やマスコミの言説を見ると、「社会化」の基盤が
脆弱である。にも拘らず、砂上の楼閣の様な議論が横行し、「個性化」、「自立化」に対する
緊張感がなく、人々は再び「孤立状態」、「疎外化」に堕落する懸念が大きい。如何なものか。
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相撲界と丸暴 [歴史]

丸の中に暴と書いて丸暴と読む。警察が目の敵にしている暴力団の事だ。先週の「週刊朝日」に
相撲界と丸暴との関係が載っていた。丸暴幹部が一般販売されない土俵際の特別席で相撲観戦
した問題は、野球賭博の前哨戦だったのか?それはさておき丸暴幹部がなぜ特別席を好むか?
警察幹部の話では、「テレビ中継で画面に映り易い。相撲中継は刑務所でも観戦できるので
服役中の組員らにアピールしているのだろう。」という。組織内情報伝達としてアイデア賞?

その記事によると、名古屋に本拠を置く丸暴さんが相撲興行とかかわっているようだ。
相撲界と丸暴(昔はやくざといった)とは、江戸時代から地方巡業ではお世話になっていた?
そういう面では芸能界も例外ではない。神事とやくざとの関係も深い。神社等の祭礼の出店
(香具師:やし)と、その仕切りもやくざさんだった?(“ごくせん”、“男はつらいよ”参照)
だから浅草・三社祭りなどで刺青や神輿乗りなどの問題もあったのだと思う。
刺青という風習は、私自身はなにか暗いイメージがあって嫌いだが、刺青=やくざ=悪、という
短絡的思考も余り好きではない。FIFAワールドクラスサッカーの選手には、人種的に関係なく
刺青をしている人も多い。

私の好きな「サスペンスもの」の「ハマの静香は事件がお好き」は、「横浜猫の手商会」を
経営しながら、前科者を立ち直らせる女社長・ハマの静香(片平なぎさ)の物語である。
社員の一人元ヤクザ・自称通天閣のトラこと朝日虎之助(赤井英和)は、ことあるごとに
「やくざにもええやくざと悪いやくざがおるんじゃい!わしは任侠道を行くええやくざじゃ」
と息巻いている。私は、彼の言い分にそれなりの真実を感じるのである。世の中、殆どの事は
きっぱりと善悪、白黒付けられない。良いやくざにもまた良いのと悪いのが居る。そしてそれは
人に固有のものでもなく、時と場合によって変わる事もある。

日本人は、昔から社会の荒くれ者を上手に使っていた。やくざ組織も、岡っ引組織も、
江戸火消し組織も、さまざまな工夫を凝らして、悪い事に加担せず、良い事に加担するように
荒くれ共を上手に捌いてきた。「日本人の歩み寄りの心」をうまく引出していたのだと思う。
現代は、利己心と自立心、“歩み寄りの心”と“古臭い心”、潔癖性と合理性等の仕分けなしで
古い体質を現代的に再構築しなければならない。社会を革新しなければならないという。
それは見世物で自分の気に入らない予算を削減する民主党政治の様なものではなかろうか?
各人それぞれが、小さな独裁者になっていないか?我が身を省みてはどうか。如何なものか。
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民主党の裏切り [歴史]

昨日、今日と国会の代表質問に対する菅首相の答弁を聞いていて、実に情けない!と思った。
普天間問題や小沢隠しなど守りの部分では官僚作成の答弁用原稿の棒読みで、経済問題等の
攻めの部分では、調子のいい超党派財政再建などで、無責任発言を行っていた。
国民の支持(世論調査における内閣支持率や参議院選挙における民主党への投票率)を背景に
参議院選挙によって一定の支持を得れば、9ヶ月以上は政権を維持できると考えているのか?
確かに、鳩ポッポに比べると菅は大人に見える。だが比較対象の鳩ポッポが酷過ぎることを
勘定に入れないといけない。小沢だって議員辞職したわけではない。

民主党の問題は余りにも多岐にわたる無責任政治体質であり、従って分かり易く議論し難い。
従って、此処では「普天間問題」に限って、その無責任体質を論じて見たいと思う。
そもそも沖縄問題と言うのは大変に根が深い。沖縄は、慶長14年(1609)まだ豊臣政権時代
薩摩藩が植民地化した。しかし薩摩藩は中国政府を刺激せず、沖縄を介して中国、そして
米国や欧州とも間接的に取引し、また砂糖産業などで裕福になった。明治12年(1879)
琉球政府を廃して沖縄県とした。しかし沖縄は日本本土の文化・伝統とも異なっていたことが
戦後(昭和27年:1952)日米安保条約発効と共に、沖縄を切り離す事に、多くの日本人が
苦しみを感じなかった大きな理由だった。昭和47年(1972)に沖縄は返還されたが、
いま振り返ってみると、政治的なショーであった一面が強かったように思う。

沖縄は、第二次世界大戦終末の米軍上陸による大きな被害だけでなく、封建時代や、戦後でも
様々な苦役を強いられてきているのである。そのような人々のことを真に思うのであれば、
鳩ポッポのようなマネは出来ないだろう。余りにも無責任な発言を重ねておいて、最後には
勉強不足だった!元の辺野古に戻します。ハイさようなら! ・・・は余りにも酷過ぎる。然るに
日本国民のこの非情さ!はなんだ?こんな酷い目に会わされた沖縄の事など忘れた様に
菅首相や民主党を大勢が支持するとは!日本人の真心、思い遣りの精神は何処に行った?

代表質問に立った人々は、鳩ポッポを補佐する立場にあった当時の菅副首相や担当大臣だった
岡田克也・前原誠司・北澤俊美その他の人々の責任を追及していたが“カエルの面にションベン”
厚顔破廉恥なのは国民の支持があるからだ。沖縄が日本では特別な地域であるとはいえ
此処まで沖縄の人々の心をもてあそんだ民主党政権を支持するとはどういう神経をしている?
自己中心の我が身を省みよ!日本人の真心よ甦れ!民主党にお灸をすえよ!如何なものか。
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国家のリスク管理 [歴史]

故ケネディ大統領に、日本の政治家の名前を挙げてもらったら、「上杉鷹山」を挙げたという。
上杉謙信・直江兼続の系譜を継ぐ米沢藩の殿様である。上杉鷹山(1751-1822)は、1760年
上杉家に養子に入る。1766年元服。1767年(17歳)家督相続して、藩政改革を行う。改革で
画期的な成果を上げながら1785年(35歳)で引退する。上杉鷹山は素晴らしい改革者だが
ただそれだけではないから、故ケネディ大統領の心に届いたのである。

引退に当たって、跡継ぎである養父の実子・治広に与えた有名な「伝国之辞」は、
鷹山の先進的で素晴らしい政治理念を遺憾なく表現している。
1.国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして、我が私(わたくし)すべき物には之なく候。 
2.人民は国家に属したる人民にして、我が私すべき物にはこれなくそうろう。
3.国家人民の為に立ちたる君にして、君の為に立ちたる国家人民にはこれなくそうろう。

「伝国之辞」は、リンカーンの「人民の人民による人民のための政治」で有名な演説(1863)に
先立つこと約80年である事に注意したい。恐らく鷹山自身のオリジナルだろう。国家リスクは
人の物まねや口先ばかりの政治理念ではなく、先進的な新しい理念なくして管理できない。
普天間の問題にしても、いつまでも自民党のセイにしても仕方がない。沖縄基地の苦悩は、従来型
リスク管理では律しきれない。自民党以上の実力と先進的政治理念で取組まねば解決しない?
然るに、福祉、環境などの概念の後追いばかりで、何時までも税金、年金、借金のゴタゴタに
振り回されている。立派な政治家なら問題の本質に迫れ!然らずば、一般庶民と何ら変りない。

無能な国会や政府なら、樽床伸二議員の主張する少人数国会や小さい政府で充分ではないか?
小さな政府・大きな政府、民営化・国営化、という議論の前に、我々現代人が抱えるリスクの
新しい姿・形を予測し、回避すべきリスク、挑戦すべきリスクを将来に備え仕分けすべきでは?
その具体的管理をしっかりと立案し実行していくのが、国家(国会・政府)の役割では無いか?
リスク管理の基本はモラル教育であり、まともな国家の善良な国民は家庭や宗教で教育される。
例えば年金問題でも制度改革前に、年金制度が直面している新リスクの正体を見極めたのか?
旧態依然のリスクならば制度改革は専門家に任せておけばよいのである。役人や政治家或いは
国民のモラルの問題ならばいくら制度をいじってもダメだ。その仕分けは出来たのだろうか?
国家のリスク管理は、企業の商品開発のように選挙民の御用聞きでできるものではない。
先進的な理念、優秀な人材、更に卓抜した見識で国民を納得させて行うもの? 如何なものか。
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