おひさま三人娘 [物語]
今日は、二十四節気の1つ、小暑。これから大暑をはさんで立秋までを暑中という。
雨が降って蒸し暑かったが、その割には、まあまあ凌ぎやすかった。
さて「三人娘」とは何か?Wikipediaの能書きから、以下のように勝手に解釈した。
“同世代の若手女性三人が一つのユニットで活動し、世間に認知されたグループ”
おひさま三人娘とは白紙同盟の真知子(マイコ)、育子(満島ひかり)、陽子(井上真央)
この三人を前述の定義で「三人娘」と呼べるか?はなはだ疑問は残る。それは兎も角
この三人娘の人柄・性格を比較しながら、「おひさま」の魅力を探ってみたい。
三人がユニット結成の契機になった白紙答案提出動議の首謀者は、真知子だった。
真知子は、東京女子大を受験するという育子が苦手とする英語、陽子が苦手とする裁縫を
先生として指導出来るほど、何でもできる優等生であった。頭脳明晰、学力優秀で、かつ
地方きっての素封家、安曇野の帝王と呼ばれる父を持つお金持ちのお嬢様だからこそ
英語教師に反抗する白紙答案提出動議を出せたともいえる。しかしお嬢様の権力闘争の
火遊びではなく、自分と同級生のために、筋を通す思いから出たのである。
陽子宅の便所立て籠もり抵抗もまた、白紙答案提出と同様に筋を通す行動であった。
当時の大家のお嬢様なら、親の勧める見合い結婚に従順に従うのが当り前だったが、
陽子の兄・春樹(田中圭)を好きになり、陽子宅の便所に陽子と共に立て籠もったのだ。
真知子の思いやり親切の事例では、育子が大学受験のため東京で幾日も滞在しなければ
ならないので親から反対された時も、自ら自分の父親を説得し、真知子自身東京に同伴
する事で、育子の両親を説得した。また東京大空襲の時に、いち早く情報を収集し、
育子の生存を確認して、陽子の協力を得て必死の救出作戦を強行した。
真知子はお金持ちかつ才媛で、何不自由なく育っているにも拘らず、世情にも通じ、
我儘な部分や、上から目線的な部分は感じさせず、実に思いやり深いのである。
育子は、大正浪漫的自由主義思想の影響を受けて古い慣習に囚われない生き方を選んだ。
それでも大学受験に失敗し東京への家出を決心した後も、小さい弟や妹の事を心配し、
飴屋「村上堂」に連れて行き、金を渡して、弟妹が来たときには飴を食べさせてくれと
頼むような優しさがあった。(私ならそんなに心配なら東京に行くな!と言いたいが)
前にも書いたが真知子、育子は女学校の後輩に多くの崇拝者をもつ超有名人。それに反し
陽子はいわば普通の女の子。家族や、タケオの家族、夏子先生(伊藤歩)、幼馴染、
白紙同盟、教え子達、丸庵の人々との人的交流の中で、着実に人間関係を築いてゆく。
「おひさま」の脚本家・岡田惠和は、NHKステラ7/9~15号で、「(視聴者が)登場人物
皆を好きになって欲しい。」と、言っていた。そういわれると、この物語には、誰も
悪人が出てこないのである。便所立籠りで、悪役を演じた真知子の父・剛三(平泉成)も
良く知れば、良い男である。陽子を竹刀で気絶させた鍛錬の中村先生(ピエール瀧)さえ
どこかの口先だけの政治家に比べれば、教え子に教えた通り有言実行、勇敢に戦死した。
ただ、そういった事だけでは魅力を説明しきれない何かが、この物語にはありそうだ。
「おひさま」の魅力は、「聖」でも「俗」でもない世界(社会)に生きるという生き様を
描こうとしている事にあるのではなかろうか。2011-05-10のブログ「成長と差別」に
書いた事にも関連するが、理性的で合理的な「左脳」的な生き方が尊ばれるのではなく
右脳と左脳のバランスのとれた生き方こそ、本当の生き方ではないか?ということだ。
自力開化によって開化できない人間を差別するのではなく、また、欲や業に惑わされた
人間を責めるのでもない。
右脳と左脳のバランスのとれた生き方の社会は、皆が幸せになれる社会。
陽子や陽子を取巻く人間模様を通じ、右脳と左脳のバランスのとれた生き方の大切さを
訴えたいのではないか? そして、現代社会が左脳に偏してしまった現実を痛烈に批判
しているとも解釈できる気がするのは、私だけだろうか? 如何なものか
雨が降って蒸し暑かったが、その割には、まあまあ凌ぎやすかった。
さて「三人娘」とは何か?Wikipediaの能書きから、以下のように勝手に解釈した。
“同世代の若手女性三人が一つのユニットで活動し、世間に認知されたグループ”
おひさま三人娘とは白紙同盟の真知子(マイコ)、育子(満島ひかり)、陽子(井上真央)
この三人を前述の定義で「三人娘」と呼べるか?はなはだ疑問は残る。それは兎も角
この三人娘の人柄・性格を比較しながら、「おひさま」の魅力を探ってみたい。
三人がユニット結成の契機になった白紙答案提出動議の首謀者は、真知子だった。
真知子は、東京女子大を受験するという育子が苦手とする英語、陽子が苦手とする裁縫を
先生として指導出来るほど、何でもできる優等生であった。頭脳明晰、学力優秀で、かつ
地方きっての素封家、安曇野の帝王と呼ばれる父を持つお金持ちのお嬢様だからこそ
英語教師に反抗する白紙答案提出動議を出せたともいえる。しかしお嬢様の権力闘争の
火遊びではなく、自分と同級生のために、筋を通す思いから出たのである。
陽子宅の便所立て籠もり抵抗もまた、白紙答案提出と同様に筋を通す行動であった。
当時の大家のお嬢様なら、親の勧める見合い結婚に従順に従うのが当り前だったが、
陽子の兄・春樹(田中圭)を好きになり、陽子宅の便所に陽子と共に立て籠もったのだ。
真知子の思いやり親切の事例では、育子が大学受験のため東京で幾日も滞在しなければ
ならないので親から反対された時も、自ら自分の父親を説得し、真知子自身東京に同伴
する事で、育子の両親を説得した。また東京大空襲の時に、いち早く情報を収集し、
育子の生存を確認して、陽子の協力を得て必死の救出作戦を強行した。
真知子はお金持ちかつ才媛で、何不自由なく育っているにも拘らず、世情にも通じ、
我儘な部分や、上から目線的な部分は感じさせず、実に思いやり深いのである。
育子は、大正浪漫的自由主義思想の影響を受けて古い慣習に囚われない生き方を選んだ。
それでも大学受験に失敗し東京への家出を決心した後も、小さい弟や妹の事を心配し、
飴屋「村上堂」に連れて行き、金を渡して、弟妹が来たときには飴を食べさせてくれと
頼むような優しさがあった。(私ならそんなに心配なら東京に行くな!と言いたいが)
前にも書いたが真知子、育子は女学校の後輩に多くの崇拝者をもつ超有名人。それに反し
陽子はいわば普通の女の子。家族や、タケオの家族、夏子先生(伊藤歩)、幼馴染、
白紙同盟、教え子達、丸庵の人々との人的交流の中で、着実に人間関係を築いてゆく。
「おひさま」の脚本家・岡田惠和は、NHKステラ7/9~15号で、「(視聴者が)登場人物
皆を好きになって欲しい。」と、言っていた。そういわれると、この物語には、誰も
悪人が出てこないのである。便所立籠りで、悪役を演じた真知子の父・剛三(平泉成)も
良く知れば、良い男である。陽子を竹刀で気絶させた鍛錬の中村先生(ピエール瀧)さえ
どこかの口先だけの政治家に比べれば、教え子に教えた通り有言実行、勇敢に戦死した。
ただ、そういった事だけでは魅力を説明しきれない何かが、この物語にはありそうだ。
「おひさま」の魅力は、「聖」でも「俗」でもない世界(社会)に生きるという生き様を
描こうとしている事にあるのではなかろうか。2011-05-10のブログ「成長と差別」に
書いた事にも関連するが、理性的で合理的な「左脳」的な生き方が尊ばれるのではなく
右脳と左脳のバランスのとれた生き方こそ、本当の生き方ではないか?ということだ。
自力開化によって開化できない人間を差別するのではなく、また、欲や業に惑わされた
人間を責めるのでもない。
右脳と左脳のバランスのとれた生き方の社会は、皆が幸せになれる社会。
陽子や陽子を取巻く人間模様を通じ、右脳と左脳のバランスのとれた生き方の大切さを
訴えたいのではないか? そして、現代社会が左脳に偏してしまった現実を痛烈に批判
しているとも解釈できる気がするのは、私だけだろうか? 如何なものか
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