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冬至:2010 [閑話]

今日は冬至。柚子湯に入って、小豆がゆやカボチャを食べる風習がる。風邪を引かないとか
中風に良いとか言われている。冬至から春分迄は、私にとって一年で最も過酷な時期になる。
「クリスマスはキリストの誕生日」というのは後世のキリスト教教会の作り話で、元は、
「太陽の復活」を祈った西洋土着の行事という説があるが、私は心から賛同する。
科学知識では、二十四節気は祈らなくとも巡るが、早く太陽が復活して欲しいと祈りたい。
特に大昔、薪を焚くくらいしか暖房のなかった時代の人々の祈りは、命がけだっただろう。

最近、散歩途中で、あちこちの庭に南天があるのに気付く。赤い実が目立つこともあるが、
NHKTV小説「てっぱん」で、南天は「難を転ずる」という意味がる事を知ったからか?
欽也(遠藤要)が弁当で支援した人から返してもらった空の弁当に南天の実が入っていた。
それを見た母・真知子(安田成美)が、「難を転ずる」という意味だと解したのだ。
かつて幼い頃住んでいた家の小さな庭にも南天があった。母に教わったのだが、その時に
南天の枝を切ってはいけない、と教わったことを思い出した。理由を尋ねたが、教えては
くれなかった様に思う。南天には毒性があるので注意したのだろうか? その毒性の為か
南天は不浄を清めるというので,昔はお手洗いの外によく植えた。昔の我が家もそうだ。

俳句では「南天の実」は、秋の季語になっているが、赤い実は、今が盛りのようである。
「難を転ずる」は縁起がいい。お目出度いお正月の飾りにも最適!結構、使われている?
妻が、南天は、関西以西ではよく見かけるが、関東では、入手も難しかったし、あまり
見かけなかったという。日本では西日本、四国、九州に自生している様だし、名前からも
南方系なのだろう。最近は、「難を転ずる」人気で、関西以北の需要も伸びているか?

最近の「週刊現代」に石川遼の父親・勝美氏の「石川遼に足りないのは経験と教養」を
読んだ。週刊誌側の意図には、海老蔵事件との対比が感じられた。観客やマスコミを顧客と
して捉え、邪魔なことは1つもない事を、自己の銀行員としての経験に基づいて教えたと
いう。“貸し出しを返済しない人、延滞している人もお客様であることに変わりはない”
という自己の体験からの顧客観を説かれると、遼くんも充分に納得できるだろう。
誰かが、重石(おもし)になっている間は、人間の“おごり”には自制が効くものである。
社長でも首相でも、芸能人でもスポーツマンでも、顧客を大切にしている間は大丈夫!
しかし顧客はこれら高慢になりやすい人々をキッチリ観察して選択すべきであろう。
特に政治家は、チャウシェスク夫妻の様な独裁者になってしまうと困る。如何なものか。
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