SSブログ

非合理と不合理 [社会]

‘不合理’とは合理化を否定する事、‘非合理’とは合理化を否定しないが合理化に踊らされ
ない事、と定義する。荘子(?紀元前369-紀元前286)の外篇には、井戸の水を汲み取るのに
「つるべ」という仕掛けを使わずに厳しい労働をするお百姓の話がある。ある人が気の毒に
思ってその仕掛けのことを教えたら、お百姓は「それを知らぬではないが機械を使うと機心
(効率化・合理化を欲する心)が出る。これは物によって心が制せられることになるのでワシは
好まぬ。」、と応えたという。このお百姓の行為は、‘不合理’である。この荘子の話は、
「物に心が囚われること」を抑制する事が、心のあり方として大切だと教えてくれていると思う。

「つるべ」は、加賀千代女(元禄16年(1703)-安永4年(1775))の
○ “朝顔に つるべ取られて もらい水”
という俳句に詠まれている。千代女は、「つるべ」という機械を使っているのにもかかわらず、機心
(効率化・合理化を欲する心)を起こさず、朝顔を思いやって、能率の悪い‘もらい水’をする余裕
がある。作者の優しい感性が、この俳句の命だろう。

荘子の話に出てくるお百姓は、機心の起こること、そして物に心が囚われてしまう事を心配して
いたが、千代女の俳句から、効率化、合理化をしたからといって、必ず機心が起こり、物に心を
奪われてしまうという因果関係が成立するわけではない事は、明らかだろう。効率化、合理化は
大きく構えれば、世のため人のためであって、私利私欲のためではないのである。
勿論、小さな構えとしては、私利私欲も世の中の進展には潤滑油的な役割もあるだろう。
荘子の時代から数えると、2千3百年も経っている。千代女からでも250年。我々は、今や荘子の
感性も、千代女の感性すら見失ってしまっているのではなかろうか?

現代日本を省みて、政権交代をした政権は、私利私欲を潤滑油レベルに抑えるような政策を
進めるのではなく、金をバラマキ、甘言を労し、欲望を煽り、政権を維持する事に狂奔している。
そのために民主党幹事長自らが中国に大旅行団を編成し、国家主席にゴマをすり米国をけん制
する。挙句の果ては、次期主席という人物の訪日と天皇陛下との会見を、ルールに反して強引に
割り込ませるという暴挙までやった。従来の自民党以上に、パワーゲームをもてあそぶ危険な
政党である。私の予感していた滅亡への“起承転結”の “結”のシナリオがいよいよ見えてきた。
如何なものか。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

普天間問題091209日本的美意識 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。