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ミュージカル映画「レ・ミゼラブル」(4) [物語]

1832年の6月暴動は6月5日、民衆の味方とされたラマルク将軍の葬儀をキッカケに起った。
映画では、“ABCの友”という結社が中心となった活動を主に取上げて描かれている。
中心人物は、結社リ-ダ・アンジョルラス(アーロン・ドヴェイト)とその親友マリウス(エディ・レッドメイン)だ。
その前に、マリウスとコゼット(アマンダ・セイフライド)との街中での偶然の出会いがある。
二人は一目ぼれしてしまう。結社の学生達と親しい関係に有ったエポニーヌ(サマンサ・バークス)も
また、以前からマリウスに恋していた。

雨の中で歌うエポニーヌの“On My Own”という曲が、しみじみと心に沁みた。
マリウスがコゼットに夢中なのを知り、失恋を嘆く歌だと思うが、私にはそれだけではない何か?
があると感じたのである。それは、「無償の愛」に近い純粋な愛とでも言おうか?やがて
始まる政府軍の攻撃の中、エポニーヌは、自らを楯にして愛するマリウスをかばい、神に召された。
マリウスもまた、攻防のさ中に、銃弾を受けて負傷する。気を失っているマリウスを助けたのは
バルジャン(ヒュー・ジャックマン)だった。パリの下水道を伝って逃げるが、土壇場でまたも天敵の
ジャベール(ラッセル・クロウ)が前にたちはだかる。しかしジャベールにはバルジャンに借りが出来ていた。
ジャベールが、革命軍のバリケード内に労働者に扮してスパイとして潜入していた時、ガブローシュ
少年に正体を見破られた。処刑されようとした場面で、バルジャンが命を救ったのである。
バルジャンの「しばしの猶予をくれ!」という願いを聞き入れてしまったジャベールは、信念を
曲げてしまった事に耐えかねて、高い橋の欄干からセーヌ川に身を投じてしまった。

「レ・ミゼラブル」は、フランスのロマン主義文学の代表作だという評もある。
原題は“Les Miserables”。「哀れな(惨めな、悲惨な)人々」という意味だろう。
この物語の意図を、ロマン主義の特徴(以下の「」内)に即して見て行こう。
まずファンティーヌは、若い頃の恋におぼれて結果的に悲惨な結末となったが、それは
「普遍的理性(既成の道徳)に対抗して個々人の感性の優越を主張する」生き方といえる。
またエポニーヌの恋は、「情熱的で絶望的な恋愛と自殺への志向」を表現している。
バルジャンの生き方も「古典的表現を打破して自由な表現を追求した」ということ。
そしてジャベールの敗北は、「個々人の感性の優越を主張」したバルジャンの勝利でもあった。

マリウスとコゼット、そしてエポニーヌの恋物語を見ながら、ふと数週間前に見たNHK連続テレビ小説
「おしん」における高倉浩太(渡瀬恒彦)とおしん(田中裕子)そして酒田の米問屋・
加賀屋の娘・加代(東てる美)との三角関係を思い出した。
最も似ている共通点は、マリウスも浩太も実家は裕福な学生であるが、窮民を助けたいという
革命家を目指していた事である。次は、コゼット、エポニーヌ共に、1832年当時17才に対し、
おしんも加代も、浩太との出会いのあった1917年当時、二人共、同い年の16才であった。

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「レ・ミゼラブル」では、マリウスとコゼットはハッピーエンドだ。一方、「おしん」物語では
おしんと浩太は結ばれる事はなかったが、浩太は、おしんを物心両面で支え続けた
生涯の心の友だった。

ロマン主義文学では、主役はハッピーエンドにならないといけない?
しかし結婚してからが、本当の生活である。喧嘩もあれば浮気もあるだろう。
当時のフランスも、ヨーロッパも、世界もまだまだ落ち着いておらず、二人は
人生の荒波に揉まれ続けなければならなかったに違いない。
その点、「おしん」物語は、1907~1983年現在まで女の一生を語っている。
その険しい山坂、怒涛の荒波を乗越えるとき、大きな助けになってくれた浩太は
家族とはまた全く違った意味で、おおきなおおきな存在だった? 如何なものか
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