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幸福とは? [現代詩]

この処の散歩は、変わりやすい冬の天候の割には雨にも会わず、好調である。
寒い日冷たい風の日も続くが、ホンのわずかずつ「名のみでない春」が近づいている?
厳しい北風さんと戯れる冬の散歩に夢中のあまり、寒椿の見頃も過ぎてしまった。
「花の命は短くて 苦しき事のみ多かりき」という言葉が、ふと頭をよぎった。

以下の詩は、このフレーズの原典(林芙美子の自筆の詩:次のURLによる)である。
http://duolavie.blog117.fc2.com/?mode=m&no=175
「風も吹くなり 雲も光るなり
 生きてゐる幸福(しあわせ)は 波間の鴎(かもめ)のごとく 漂渺

 生きてゐる幸福(こうふく)は あなたも知ってゐる 私もよく知ってゐる
 花の命は短くて 苦しき事のみ多かれど  風も吹くなり 雲も光るなり」

以下はこの詩についての私なりの解釈である。その為に全文を記載させてもらった。
1.「幸福」を、第一フレーズでは“しあわせ”、第二フレーズでは“こうふく”と
 ふり仮名を違えた理由は何か? “生きている幸福”を、
 縹渺(ひょうびょう:広くて果てしない様、かすかではっきりしない様)とした
 波間の鴎に譬えた芙美子自身の境地と、皆と了解できる幸福とを無意識に区別した?
2.皆と了解できる幸福とはなにか?
 それは、“花の命は短くて 苦しき事のみ多かれど 風も吹くなり 雲も光るなり”
 即ち、人生の苦難に立向う中で、幸福も味わうことができる、という事である。
3.一方、林芙美子の到達した幸福の境地とは何か?
 それは“風も吹くなり 雲も光るなり”という冒頭の二句で謳いあげている。
 積極的な心の持ち方こそが、生きている幸福である、という事ではなかろうか?
 
波間の鴎は、広大な海中で寄る辺なく漂って果敢なげにみえる。しかしそれを
林芙美子は、広大無辺の仏様に救いとられた姿として活写した。通常“ひょうびょう”
という字は「縹渺」と書くが、芙美子は「漂渺」と書いた。「漂渺」は誤字ではなく、
恐らく彼女の独創的な表現だと考える。「漂渺」とは寄る辺無い鴎の安心立命の姿だ。
それはとりもなおさず、林芙美子の生き様である。殺伐たる社会に身を任せ、悠然と
生きる心を表現した独創的な二字熟語のではなかろうか? 彼女は経済的に苦労した。
そのためか働きすぎて早世したが、生きる幸せを十二分に知っていた。如何なものか
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