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柔軟な精神とは? [閑話]

立春も過ぎて散歩も日に日に楽になるだろうと期待している。今日は晴の間に
散歩に出たからか、良い日和だと思っていた。しかし曇り空になると風も冷たく
急に冷え込み、寒いからスロージョギングしたら、日が照って汗を少し掻いた。
日差の有無で、体感温度が随分違う様に思うのは、年のセイだろうか?

昨日のブログで、昔の年寄は柔軟な精神を持ち、今の人は硬直した精神だと書いたが
それは言葉の綾であり、全くその反対だと言い包める事もできるだろう。要は、
昔の年寄と今の人とは、心も持ち方、精神のあり様が違うと言いたいだけである。

今、80歳以上のお年寄は、古い道徳に縛られて、結婚して、子どもを生み育てた。
その多くの人々は、貧乏だった社会の為に懸命に働いて、豊かな社会に貢献した。
こういう見方をすれば、80歳以上の昔の年寄は、硬直した生き方だった?
一方、今の人々は、新しい生き方で、結婚も子育ても面倒だと思えば自由に「ノー」
従って、そういう意味では、今の人々は、柔軟な生き方だといえる。

しかし今の人々の自由は、物質的豊かさを前提にしたものでは?
仮に今の人々の老後が物質的に豊かでなくなり、その上、高齢者になり、
身体的にも様々な自由が利かなくなった時に、柔軟な精神で生きる気力が湧くか?
少子化で心の糧になる子どもも孫も居なくても、他所の子や孫の世話をする苦労や
可愛がる喜びを通して、生きる事の意味を学ぶ柔軟な精神を養う事ができるか?
勿論、そういう人々も多く居ることと思う。だが
現代の世相を見ていると、生きることの本質(即ち道徳の本質)を見失っており
今の人々で世相に流されている人達は、現在の長寿者の様には行かないと思う。

現代の世相とは、例えば「純と愛」に描かれている二人の主人公とその家族だ。
彼らは、いわば中流階層であり、財産を相続する様な、有産階級である。
有産階級でも、親が寄付して子どもに相続しないのなら別であるが。
「純と愛」の二家庭の登場人物は、個人主義者として描かれているが、有産階級は
基本的に個人主義ではありえない(成立たない)。こういう基本が全然わからずに
ドラマを作っているから全く現実味がないのだ。こういうドラマを見て面白いと
感じる人々は、相当に本質から外れている?或いはこういうドラマを制作している
NHKやその関係者、許容している世間も相当に狂っている? 如何なものか
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